芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

鬼胎は生きていた

2016年07月04日 | コラム
                                                                                                                  

 つい先日、明治神宮の休憩所で友人たちと語らうなか、そのうちの一人が言った。「まだ司馬遼太郎さんが存命なら、今の日本をどう言うだろうか?」
 
 司馬遼太郎は「異胎」「鬼胎」と呼んだ。異形の、異界の、あるいは鬼の子を孕み、それと知らず産み出してしまった、という意味だろう。司馬は日本の連綿と続いた歴史や文化は、それなりに美しい伝統と継続性があったが、その鬼胎は日露戦後に産み落とされ、「日本ではない」日本を現出させたたというのである。
 鬼胎は調子狂いの産声をあげたのである。それは異様に肥大化した忠君愛国と帝国主義の妄想に囚われ、昭和期に「参謀本部」という異形の鬼胎となったのか。ボルヘスが言った。「愛国心は限りなく妄想を生む」
 その鬼胎の物狂いの最も酷い時代は、1935年から45年までで、敗戦まで続いた。ちなみにこの時代を、今の安倍自民、彼らを支援もしくは操る日本会議らは、日本の臣民が一丸となった最もピリッと引き締まっていた美しい時代と言うのである。その美しい時代の「日本をとり戻す」と言うのである。

 話を戻すと、司馬はその時代を「日本ではない」と言った。「参謀本部」は「明治憲法下の法体制が、不覚にも孕んでしまった鬼胎のような感じ」があるが、それは不正確で、参謀本部にもその成長歴があって、当初は陸軍の作戦に関する機関として、法体制の中で謙虚に活動した、と言う。
 しかし、日露戦争が終わり、明治四十一年(1908年)、関係条例が大きく改正され、内閣どころか陸軍大臣からも独立する機関になった。やがて参謀本部は〝統帥権〟という超憲法的な思想をもつにいたる。
 大日本帝國憲法は三権分立だが、それとは別に統帥権という鬼胎を孕んでいたのである。統帥権は天皇の大権であり、天皇の裁可を受けずして一兵たりとも動かすことができないのである。
 しかし天皇に帷幄上奏、補弼するのは陸軍の参謀本部、海軍の軍令部なのである。統帥権はやがて「拡大解釈」され、「超法規」として国務大臣は無論、内閣の一員である陸海軍大臣すら容易に口出しできぬものとなった。国際軍縮会議で陸海軍大臣や外務大臣は、交渉すらままならぬのである。すぐ、参謀本部や軍令部から「統帥権干犯」と怒鳴られるからである。参謀本部や軍令部の若造の軍官僚たちは「統帥権干犯!」と軍刀のつかに手をかけて脅した。ちなみに今の世の中は、自衛隊のエンブレムにこの「軍刀」がデザインされる時代なのである。
 
 鬼胎は敗戦で死んだわけではなかった。あの悲惨な戦争の武官の最高責任者は東条英機で、文官の最高責任者は岸信介である。岸信介は侵略戦争を全く反省することもなく、A級戦犯で巣鴨に収監されていたとき、「名にかへてこのみいくさの正しさを 来世までも語りのこさむ」と歌を詠んでいる。「聖戦」だったと言うのである。
 岸はG2のウィロビーと何がしかの取引をして釈放されたが、あのまま「鬼胎」とともに息の根を止めるべきだったのだ。
 まるで江戸時代以前の日本の政治制度のように、政治を世襲化、家業化し、その孫の安倍の時代に閣議ごときで憲法を「拡大解釈」して踏みにじり、さらに改憲を目論んでいる。
「統帥権」のように悪用される恐れのある危険な条項は、東日本大震災や熊本地震のどさくさにショックドクトリンのように持ち出された「緊急事態条項」であろう。これが入ってしまえば、いつでも内閣独裁条項に変じてしまうだろう。すでに、もう誰も安倍を止めるものがなく、独裁状態に入っているのではないか。
 今日、もし司馬遼太郎が存命なら、深い失望の溜息を吐き、激しい言葉で安倍晋三と自民党、公明党、改憲勢力を批判するであろう。「鬼胎はまだ生きていたのだ。愚行を繰り返してはならない。一日も早く、その息の根を止めなければならない。『日本ではない』日本を呼び戻してはならない。」と言うにちがいない。



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