芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

原理主義について

2016年05月19日 | コラム
                    

 どこの地域や国を発祥とするものであっても、あらゆる宗教は非論理的で非科学的で、不合理なものである。
 その宗教は時に押しつけがましく、ときに迷惑となって身に迫ることもある。しかし私は毫も人様の信仰を否定するものではない。ただそれらとは距離を置くだけである。
 かつて江戸の吉宗の時代、八戸の町医者・安藤昌益は、宗教を「戦争の元」と断じた。
 確かに宗教は世界各地の「戦争の元」であった。「迫害の元」ともなった。だから、ときに宗教は危険である。特に狂的な純粋さに浸された信仰は危険である。

 イスラム原理主義、キリスト教原理主義、ユダヤ原理主義、そして信仰とは懸け離れた自由市場原理主義も。昔から、そして今も原理主義は脅威である。イスラム原理主義のテロも、一国家の経済規模を遥かに凌駕するまでに巨大化したグローバル企業を利するための自由市場原理主義もあまりにも危険である。
 自由市場原理主義のひとつの発現形態である「カジノ資本主義」は全く無関係な市民生活を破壊する。ヘッジファンドが招いた金融危機、リーマンショックが招いた世界的経済危機…。
 また自由市場原理主義の手段ともなったWTO、TPPは、南北問題の溝を拡げ、飢餓を招き、貧困を再生産し、格差を拡大し、地球環境も、その土地の伝統も文化も破壊し踏みにじる。かつてフランス農民同盟のジョゼ・ボブェとフランソワ・デュフールが叫んだことは正しかったのだ。「地球は売り物じゃない‼」

 日本にはいつの頃からか神道があり、古代に仏教が流入した。仏教には教義があるが、神道に教義はない。
 日本にも原理主義がある。日本の歴史上、ときどき露出し、ときに突出して暴発する。南北朝時代、幕末の尊王攘夷運動の時代(※)、それに続く明治維新、下って昭和維新のテロと戦争に直走った時代。それは日本の狂気の時代だ。
(※CMに萩の町が映し出され「そして吉田松陰の教え…」などと言う。すでに何度も書いたが、松陰は純粋には違いないが、軽躁なテロリストであろう。)

 原理主義は危険である。特に政治やナショナリズムと結びつくと、より危険となる。
 原理主義的日蓮主義がナショナリズムや皇国史観と結びつき、極右的日蓮主義となり、井上日召のようなテロ集団の血盟団を育て、国柱会の主宰者・田中智学は「八紘一宇」(※)という誇大妄想的スローガンを作り、暴走する軍部と政権がそれを叫んだ時代であった。
 このブログに一週間前に投稿した「日本の原理主義」と、だいぶ以前に紹介した「全体主義、原理主義」を、もう一度お読みいただければ幸いである。


(※ちなみに自民党の三原じゅん子が、いまこの時代に「八紘一宇」を叫んでいる。自民党は、ある原理主義に乗っ取られているらしい。また公明党はその母体から、いつでも狂的日蓮主義に変異する可能性がある。

                                                         

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