まことにとりとめもなく、茫洋として、また駁雑とした話だが、「今来の人」ということを考えている。
何度も繰り返して書いているが、この日本列島弧に、南の海から島伝いに海流に乗ってやって来た人々と、北からカムチャッカ海流に乗って島伝いに渡って来た人々や海を越えた靺鞨の人々が、最初の住民たちであったろう。
南から来た人々は、海や山での木の実などの採集と魚介類やさほど大型ではない動物の狩猟だったろう。南方系縄文人である。北の人々は、魚介や海獣、蝦夷鹿などの狩猟が主な食糧だったにちがいない。北方系縄文人である。
やがて韓半島から弥生人が渡って来る。稲作も、須恵器のような焼き物も彼らの手によって入って来た。彼らは多くの技術や文化をもたらした。土木技術も、石積みの技術も、神社のような自然や祖先の祀り方も、建築技術や機織りや、仏教や文字も紙漉きの技術も、彼らが持って来たと思われる。
彼らは国をつくり、国を統一し、大陸の律令を真似てつくり、自らを韓半島からの「渡来人」と意識していたと思われる。渡来人には差別の響きは全くない。しかし先住の縄文系の人々は、その渡来人に熊襲とか蝦夷と呼ばれ、差別されたのかも知れない。
その後から半島からやって来た人々も「渡来人」と呼ばれた。先に渡来した人々とは、百年、二百年の差である。渡来人は多くの新しい技術や文化をもたらした。その中には野生馬の捕獲、飼育と調教、馬具の技術、牧の経営術も持ち込まれたであろう。
後から渡来した人たちは「今来(いまき)の人」と呼ばれた。「つい最近やって来た人々」というほどの意味である。どこもかしこも「今来の人」で満ちていると記録されている。
「今来の人」にも百年から二百年の幅があったにちがいない。その「今来の人」には差別の響きは全くない。
その後も続々と人々が入って来た。新しい大陸や韓半島の技術や文化を持って来たのである。彼らは中央の政府から日本各地の開拓を命じられ、各地に入植していった。
しかし彼らは先に入り定住していた人々から「帰化人」と呼ばれるようになった。「この地は帰化人が開発した土地」「この寺社は帰化人が創建した寺社」…。帰化人が創建した寺社、帰化人がもたらした技術、帰化人がもたらした文化…。
いつの頃からか「帰化人」には、ほんの少しばかり差別の響きが混じるようになった。つまり早くから、従来から住んでいた人々の権勢や制度、文化や伝統が積み重なり、ある程度固まり、また確立されて、新しく流入した人々を下に位置づける意識が出たのであろう。…
ふと現代の日本を考える。少子高齢化が進み人口が減少している。つまり年寄りが増えて、若い人が減っている。労働人口が減っている。大手企業は生産拠点を海外に移し、またロボットを導入していけば労働力不足は問題ないと思っているのかもしれない。ロボットに代われない人手の必要な労働人口は不足し続けるだろう。また国内での消費はもう伸びない。昔のような経済成長は望めない。
海外から技能研修と名付けた若くて安い労働力を導入したり、出稼ぎ労働者に頼り続けるのか。
それなら移民を受け入れ、肌の色、人種、宗教を問わず、国籍を付与し、彼らを現代の「今来の人」としてはどうか。帰化人という呼び方もあるかもしれないが、差別の語感のない「今来の人」がいい。日本の伝統が壊れる、日本の文化が壊れる、と不安を抱く人は多いだろう。なに、この日本が、この星が、これから何百年も続けばだが、「今来の人」は気にもならず、この土地に溶け込み、ハイブリッドの新しい文化や伝統を生むにちがいない。それは今の私たちには想像もつかない風景だろう。
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