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ハチは知っている

渋谷区について広く・浅く知識を深めよう♪
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北 杜夫 「どくとるマンボウ昆虫記」

2012年05月30日 | 文学
渋谷区の隣、港区青山の地で少年時代を過ごした作家・北杜夫氏。
昆虫採集が趣味である著者の随筆集「どくとるマンボウ昆虫記」は、昆虫の解説や思い出などをユーモアあふれる文体で語っています。

カブトムシやチョウといった一般的に人気の高い虫から、長いシッポのような産卵管を持つウマノオバチや完璧に近い擬態能力があるナナフシなどの変わった虫、セミやアリといった身近に見かける虫など、あらゆる種類の昆虫が本書に登場しています。それらの説明する際、たとえ話や想像、著者の失敗談などを織り交ぜることで読みやすく、それぞれの昆虫の魅力が読者に伝わりやすい内容となっています。


アポロチョウ(著書で取り上げられている虫の一種)


本作に収録されている内の一編、「まんぼう、憶(おも)い出(で)を語る」の中で、著者が子供の頃、とある中学生に、虫に注射する代わりに、特徴が大きくて真紅の色をしたショウジョウトンボをまき上げられたエピソードがあります。
 それには、『幼いころ、私の家の隣りには広い空地があった。夏には雑草が生いしげり、キチキチと鳴くバッタがとび、~中略~これは次第(しだい)に私の性分(しょうぶん)にあわなくなりつつある。私はあまりにも虫に注射をしすぎたのだ。』と、クスリと笑ってしまう思い出話を当時の青山の自宅周辺の風景と共に書き綴っています。


ショウジョウトンボ

引用
北杜夫 「どくとるマンボウ昆虫記」 新潮社 <新潮文庫>(1979)

写真引用
アポロチョウ:ウィキペディアより
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C
ショウジョウトンボ:Yahoo!きっず図鑑 より
(http://contents.kids.yahoo.co.jp/zukan/insects/card/0248.html)

参考:東京都高等学校国語教育研究会 [文学散歩東京] 冬至書房(2004)



平岩弓枝 「神楽師」

2012年05月30日 | 文学
昨年の7月、渋谷区立中央図書館で講演をされた平岩弓枝先生の作品を紹介いたします。
平岩弓枝先生は、代々木八幡宮の宮司の一人娘として生まれました。先生の作品の一つに、代々木八幡宮を舞台にしたものがあります。
それが、短編小説「神楽師」です。


太太神楽・岩戸開きの舞(『戸隠神社HP』より)

神楽師とは、神前に奏される歌舞・神楽を舞う人のことです。神楽には、大きく分けて宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行われる里神楽(さとかぐら)の二種類があります。(『日本大百科全書第5巻』より引用)
この作品で主に登場するのは、里神楽の一種、太太神楽と呼ばれるものです。これは、神楽を愛し、情熱を捧げた神楽師とその弟子の物語です。


代々木八幡宮(『代々木八幡宮HP』より)

作品の中で代々木八幡宮は、『建暦草創(西暦一二一二)という縁起を持つ代々木神社は、昔の代々木練兵場、戦後、米軍がワシントン・ハイツと改名した治外法権の一画を稜線とした地と隣接し~中略~その辺りにも武蔵野の面影は、色濃く残っている。』(『神楽師』より引用)と、簡単な歴史の説明とその風景が描写されています。

なお、「神楽師」は短編集[鏨師]に収録されています。


引用 
『神楽師』平岩弓枝/文藝春秋:Xヒラ(中央所蔵)

写真引用
<写真1> 戸隠神社HP http://www.togakushi-ja.jp/festival/contents/index.html
<写真2> 代々木八幡宮HP http://www.yoyogihachimangu.or.jp/01_history/index.html

参考資料
『私の履歴書』平岩弓枝/日本経済出版社:N02ヒ(中央所蔵)
『日本大百科全書 第5巻』小学館:031ニ:(中央所蔵)

エッセイ「東郷神社」(家城定子)

2012年05月29日 | 文学
(前回よりのつづき)
 空襲ですっかり焼けてしまった境内には、草がひょろひょろと生えているばかりでした。当時、中学生になったばかりの私は、ひっそりとした神社の池の端に座り、これからこの神社はどうなっていくのだろうと思っていました。
 ちょうどその頃、大貫宮司さんが神社に着任してみえ、神社の再建に心を砕いておられました。その一方で、原宿の人々との交流を深め、神社はひととき原宿の氏神様のような存在になりました。
 当時の境内は、今、竹下通り寄りにある「パレフランス」や、裏参道寄りにある「生長の家」の辺りまでありました。その広い境内は、原宿の町の人たちの盆踊り大会や相撲大会の会場にもなり、娯楽の少なかった当時、人々に喜びを与えてくれました。
 あれから五十余年経った今、神社の復興はめざましく、境内には社殿をはじめ、東郷記念館、東郷幼稚園、中央図書館等が建ち、原宿の街の発展とともに神社も立派になりました。

家城定子「東郷神社」(『原宿の思い出』、2002年)から引用

著者:原宿生まれ、原宿育ち。雑誌『東郷』に「原宿の思い出」を連載(「あとがき」から)、平成14年に単行本として出版された。『原宿の思い出』には、その他に「隠田商店街」「統合神社の池」「明治神宮の思い出」などが収録されている。

エッセイ「東郷神社」(家城定子)

2012年05月29日 | 文学
広大な池田侯爵さんの屋敷の一角に、ある日突然白木の鳥居が建った時、何か不思議な世界が現れたような気がしました。当時、小学二年生になったばかりの私は、なぜかその鳥居が珍しく、その側に行って見上げたり触ったりしたものでした。
  ここに祭られた東郷元帥は、日露戦争の時日本海海戦で活躍され、後に国葬となられた方でした。そのような偉大な人の神社が原宿にできた時、地元の人たちもたいそう喜びました。
  神社が建った昭和十五年の翌年、第二次世界大戦が始まり、東郷元帥は、海軍の護り神として崇められ、全国から大勢の人が参拝に見えていました。
  なかでも、五月の海軍記念日の日は大変な人出でした。参拝の人のなかには憧れの水兵さんや海洋少年団の子どもたちの姿も見かけられました。
  日が暮れると篝火がたかれ、その明かりに浮かぶ境内は、子ども心に厳かに見えました。
  このように賑わった東郷神社も、昭和二十年、敗戦を迎えると同時に参拝の人々の足がバッタリと途絶え、火の消えたような寂しさになりました。(つづく)

家城定子「東郷神社」(『原宿の思い出、2002年)から引用

著者:原宿生まれ、原宿育ち。雑誌『東郷』に「原宿の思い出」を連載(「あとがき」から)、平成14年に単行本として出版された。『原宿の思い出』には、その他に「隠田商店街」「統合神社の池」「明治神宮の思い出」などが収録されている。