エルミタージュ美術館の小さな番人たち

サンクト・ペテルブルグ市にある世界三大美術館のひとつ『エルミタージュ美術館』で暮らすネコたちの様子をお届けします。

<ふくちゃん、さようなら。そして、ありがとう!>

2020年11月26日 | Weblog
2020年11月11日(水)

ふくちゃんが旅立ちました。
自力で立てなくなり、食事も水も飲めないようになってから
6日目のことでした。

保健所で殺処分になるところをボランティアさんに助け出された子
でしたので、享年「?」歳のまま。
一緒に暮らした歳月は、2008年12月から2020年11月まで。
うちに迎えたときには、すでに立派な成猫でしたので、たぶん、
15~16歳であったのかと思います。

駐在先のロシアにも一緒に行って、約2年間ともに過ごしました。
その後、生まれた私たちの(人間の)子供たちにも会ってもらう
ことができました。

5歳になる息子には、もう死というものが少し理解できるようで、
火葬場での最後のお別れのときには涙を流して泣いていました。
2歳半の娘は、まだよく状況が分からないようです。

腎機能に障害があるといわれてから約12年生きました。
食事療法だけで12年。尿毒症が進んできてからは、自宅で皮下点滴を
繰り返しました。結局、病院に入院させることはしませんでした。
前に腎不全で亡くした子のつらい記憶があったからです。あの子は
入退院を繰り返し、最後は結局、病院のケージの中で動かなくなりました。
最後の6日間は、自宅でふくちゃんが苦しむ様子を優しく撫でながら見守るだけ
でした。

最終的には私のおなかの上(ふくちゃんのお気に入りの寝床(笑)で
息を引き取りました。前の晩にいつもよりも長く撫でながら、
「もう、頑張らなくていいよ」と何ども声を掛けた次の日でした。

最後まで医療を頼って一生懸命に動くのも良し、今回のように安心できる
自宅で最期を迎えるのも良し。結局、正解なんてないのでしょう。
でも、自宅で家族と一緒に最後の瞬間までいられたことは
やっぱり良かったのかな、と思っています。
そう思うようにしています。
そう思いたい。

ふくちゃんは、生涯で一度も人に噛みつきませんでしたし、ひっかきもしませんでした。
それはそれは、温厚なネコでした。
亡くなってから2週間経ちますが、家の中でカサっという音がすると振り向いてし
まいます。ごはんと水が置いてあった場所を蹴飛ばさないように無意識に避けて
しまいます。時々、声も聞こえていましたが(もちろん幻聴)、それも段々
聞こえなくなってきています。

ああ、とても良い子だったな。。。