犬のまりちゃんと風のふく丘

日々の出来事と感じたこと写真で紹介します。平凡が良いのです

ふく丘へ

2011-05-16 00:39:39 | 出来事
4/29から2週間程、大分実家に帰ってました。

理由は、突然訪れた衝撃で、実母が5/6他界したことです。葬儀・初七日を済ませ、まだ身辺・心の整理が終らないまま、社会復帰しなければならなく、ふく丘でやっと母を偲べる時間が出来ました。

想像以上の参列の方のご弔問・会葬で、母は、地域の皆様に愛され、支えて頂いていたことが、実感出来ました。
母は、幸せ者です。ありがとうございました。
79歳の生涯で幸せな日々を田舎で過ごしていたのです。喪主として沢山の方からお声を掛けられ、支えて頂いたことに大変感謝しています。  人は、本当に1人では、生きていけないと思います。 棺の中の母に最後のお別れと思い頬に手を添えました。柔らかい頬の感触は、忘れることはないでしょう。



私1人になると父そして母との小さい頃の思い出が走馬灯のごとく、「日本の原風景」と思われる田舎の風景が頭をよぎります。
他愛も無い単なる昭和の日常生活や畑で釜で切って食べた瓜、スイカ、ハマグリの貝堀り、親戚の家へ行き椎茸、みかんちぎり、子ども会で行った別府高崎山、楽天地、水族館・・・・・・・・全て白黒写真で走馬灯が回ります・・・・・・・・それは、亡き父と母が私に残してくれた心の財産なのでしょう。 


用事のある時、お金の無い時だけ実家に帰り、ふく丘で生活してたバカ息子でも、母は明るく、文句一つ言わず受け入れてくれました。


今思うに母の病魔は、
父が他界した頃から始まっていたかもしれません。それを言わずに、頑張っていたのでしょう。早く変化に気が付いてあげればよかった。もう少し大事にしてあげれば良かった。もう少し助けてあげればよかった。 

今、涙を流しても遅かった。

父を支え、私達子供を育てくれた母の旅立ちの為に費やした2週間は、短く、貴重な時間でした。
5/8葬儀が、皮肉にも子供たちからの「母の日」のプレゼントになってしまいました。祭壇の一部の花に紛れてカーネーションが飾られてました。
去年から入退院を繰り返し、今年になり、余命宣告を2度3度受け、私は、平常心で生活するのが辛かった。母には、最後まで病名告知しませんでした。



ブログには、出来るだけ明るい話題を書き続けることにしました。 Journey to a fantasy かもしれません。

沢山の方々から声を掛けて頂いた時に、母の状況が頭をよぎり、生返事したり、約束を守れなかったことが沢山ありました。申し訳ありません。

しかし、日常的に声を掛けて頂いたことは、気持ちが落ち込むことなく本当に心の支えになました。

皆様にご心配、ご迷惑お掛け致しました。 ありがとうございます。




最後に母に捧げます。 生まれて、育てられ、子供として

ありがとう
「あなたの笑顔に出会えて良かった。」


The Light Of The Spirit と・・・・・・・・・

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2 コメント

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Unknown (マッチェ)
2011-05-18 19:53:08
まり先輩はいつも明るく前向きで誰にでも優しく接し丁寧に指導されますし、素晴らしい家庭も育まれてます。
これもご母堂様の愛情を一心に受け継がれたからでしょう

ご母堂様のご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。
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Unknown ()
2011-05-18 22:39:35
マッチェさん ご心配お掛けしました。
素晴らしいコメントありがとうございます。少し恥ずかしくなります。

元気盛造で頑張って行くしかありません。
厳しいお達しで、時期が来たら磯釣り誘ってください。

 どうもトムさんが山に行きたがっています。油布岳でも行きますか・・・・
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