クリフハンガーな人たち②

2008-01-30 15:24:37 | 20XX年うつうの旅
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 嘘の話。

 聴こえないはずの不快な音に悩まされていた頃、僕は寝ていなかった。酒を浴びるほど飲んで、酩酊しているんだけれど、頭の中はブンブン回っていた。そんな人たちが周りに沢山居たから、そんなに気にすることはなかったんだけれど、実際は不眠に苦しめられることにはなっていたんだ。目を閉じた瞬間から、高速道路の音が、耳元を掠める。その中に、自分に向けられた嘲笑が混じっている。趣味みたいな病気のフリなんだろうけど、好きでやっているようなことなんだろうけど、やっぱり不快は不快だった。

 誰かに助けてもらう為には信頼が必要だった。信頼の形はどうだっていいんだろうけど、誰かが傍にいなければならない、らしい。でも、だから、それで。

 実際は、少し壊れているんだけれど、特に直す必要はなかった。それを自覚していたし、「何故に直さなければいけないのか?」が分らずにいた。眠れないだけだったから。風邪はひきやすかったけど。不健康も、不摂生も、僕に返ってくるから。それで、自然だと思っていた。多分、周りの(ごく少数の)正気が僕の状態を許してくれていたんだと思う。見守ってくれていた、と言い換えてもいいだろう。偶に、声を張り上げても。泣き出しても。襲いかかっても。少し我慢して、その度に馴れてくれたんだ。数年越しで。

 間違った方法で、脳を最適化していた気がする。睡眠って、そんな機能なんだってさ。そんなこんなで、もしそうだったら、寝ていなくて良かったんだ。「とりあえず、寝るのが正解だった!」というのは、たった今、気付いたこと。何か、錠剤を貰いに行けば良かったんだ。


「何を持って、壊れたか?」というのは、問題ではない気がする。「何に対して、治すのか?」の問題だと思う。正常な人なんてもんは、存在しない。例えば、引きこもりにしたって、その異常を許す環境があるわけだから、そのようにして存在できる。「異常を何に対してフィットさせるのか?」「異常が何所に対して歩み寄るのか?」「その必要があるのか?」は、当事者を置き去りにする。でも、それがホントの実益(ホントの実益…)に沿うのなら、そうしたらある程度の妥協を強制しなければならないんだろう。だから、ホントの実益に関しての話し合いが必要だろう。でも、「話し合いがホントに必要か?」「どんな形で、誰と誰が集まるのか?」「そこに愛情はあるのか?」「しょぼい奴は来ないか?」その辺は、分かんない。

 僕の場合、それを許容するグループに自分が居たから、自然治癒という道を選べた。余所に飛んだりしたことが何となく上手く働いたのかもしれないけど。しかし、治癒と言っていいのか…? いや、かなり怪しい…。


 異常な状態をトンネルに例えるのは軽薄なことだと思う。「これを抜けると、そこに景色が広がっている」なんて言っても、トンネルの中の景色もカッコ良かったりするから。もっと、マシだったりするから。


「異常を許して貰える工夫が出来るくらいだったら、異常ではない」って、ダサい落ちをつけて、今回は終わろうと思う。またしても、特に、教訓は生まれなかった。


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