優秀な評論家&優秀なDJに関して。

2008-01-09 15:42:57 | はなみず君でコラム
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 白熱灯と羽毛布団が、仲良く手をつないで歩いています。この二人は何処へ行くのでしょう?


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 見た目には、沢山の情報を持っていて、沢山の見解を持っている。多分、皆、年相応の情報を持っているんだけど、でも「あの人は!!」と言われる。その違いは「何なのか?」ということを考えてみた。

 膨大な数列を暗記している人がいる。膨大な量の活字を読む人がいる。膨大な国を巡っている人がいる。膨大な数のコミュニケーションをこなしている人がいる。膨大なマッチ棒を金閣寺にする人がいる。膨大な時間を(見た目に)無駄にしている人がいる。膨大な距離を走る人がいる。でも、「だから、何?」

 仕組みを考えた。

『膨大な』で括られるものは、途方も知れない非日常的(異様な)なものである場合が多いから、語り易い。ラベルに『膨大な』って、書いてある。大抵の場合『膨大な』のラベルに免じて、許して貰える。スカスカの好奇心に訴えるにしろ、宇宙人の言葉を受信している人を演じるにしろ、簡単で楽な話だ。

 どうであれ、基本的に、何にしろ、同じ時間のインプットがあって、それを酒の力なり、何なり借りて、同じ時間でアウトプットしているのが、僕らの、いわゆる日常だ。それでいい。ただ、同じだけれども、残念ながら「上手い」「下手」がそこには、存在する。「有利」「不利」と同じような感じで。



 僕は、こんなことを考え始めて、始めにDJのことを考えた。膨大な量の音楽を聴いていて、それで『聴いていないかもしれない人』を踊らせる。僕は、クラブとかに余り行かないから、こっから先は想像の域を出ないですぜ。まぁ、それを踏まえて…。『その音を、聴いてないかもしれない人たちを踊らせる…!』って、素人の僕には神業のように感じる。けど、そんな空間は、確かにある。
 そんな神業のようにみえる所業には、裏付けがあるに違いない。
 膨大な量の音楽を聴く、知らんけど何かそこに法則みたいなモノが見えて来るのかもしれない。「ワァー!!」となって、「ん!?」と思って、でも直ぐに次の瞬間「ワァー!!!」っと、皆がなっちゃう法則。ただ音楽を修行のように聴いて来た人だけが習得できる、奥義。軽くなるけど、言い換えれば、テクニック。あるだろう…。絶対に、ある。伝える技術。巻き込む手法。


 同じように、テレビを賑わす評論家もそうだ。
 知らない人たちに、『知識』と言う名の所蔵コレクションを、分かり良い順序に並び代えて生活している人たち。好きでやってきたことを、それっぽく製品にして外にに発信する人たち。そりゃ、皆、自分の知らないことだから、感心する。「そうなんだぁ!」って。 だた、「インプットが違うだけ!」なんだけど、知らないところから(わざわざ)やってきたもんだから、歓迎の意味も込めて、感心するより仕方ない。だって、感心するより仕方ないっしょ!?冷静に考えれば「知ったこっちゃない!」…そんな事柄だとしても。

 どんな生き方があろうとも、純然と、テクニックってのは存在する。如何に効率良く「ほぉ~!」とか「おぉ!!」に変えれるか?だけの違いで、評論家とかDJはそれを丸ごと、お金にしているだけだ。



 誰もが、インプットしながら生きている。そして、適宜それをアウトプットして偶に関心を買う。売れた関心で、次のインプットへ向かう。繰り返す。
 確かに、平穏な生活を営んでいる、いわゆる『普通の人』には、出来ない…。インプットとアウトプットの間に、チャンスを見つけることが出来ないんだ。…チャンス???


 人生なんて、そんなことの、繰り返しなのかもしれない。でも、評論家とDJの生き方は何となく、最先端で、純粋で、分かり易くて、結果的に、僕は正直羨ましいと思っている。作り出す必要はないし、リスクも少なそうだし。なんちゃって。










 あ~ぁ、…ギザギザしたのを書いてしまった。酔っ払い過ぎたぁ…!!


 
 

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