豚の飼い方。(エコって、何さ!?)

2008-10-23 00:57:53 | はなみず君でコラム
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 僕の母の実家には、その辺の小説よりは凄い歴史がある。名門でもなんでもないから、全ては口伝による。伝える側は、それを何とも思っていないから、チャンスは見事に少ない…。だから、この興奮は、早いうちに叩いて成型した方がいいだろう。

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 自給自足とか言うけど、やっている人の想いがどうであろうと、これだけ流通が発達した世の中では、滑稽さが数%含まれてしまう。よっぽど山の中に入らなければ、インターネットで注文したCDは2日後に届く。そんな時代を蔑視したところで、変人と笑われるのがオチだ。まず、そういった時代が今ここに、ある。


 豚の飼い方を、母親から聞いた。かなりの富裕層から、転げ落ちた家の話だから、アルクホルが入って聞くと異様に面白い。その点は以前から注目していた。

① 豚を食べたい(食べさせたい)と思う。
② 豚舎を作る。
③ 豚を仕入れる。
④ 残飯を集める。代わりに仕事を手伝う。
⑤ 残飯を食べさす。
⑥ 藁を仕入れる。代わりに稲刈りを手伝う。
⑦ そこに寝さす。糞尿が付いた藁は肥料になるから、取りに来る。
⑧ 丁度いいところで絞めて食べる。


 残飯で豚を飼っていたらしい。100%、残飯で飼っていたと母は言い切った。その語り口に悲壮感はなかった。大きなカメを乗せたリアカーを押して、弟と残飯を貰いに歩いていたのだと言う。栄養豊富なオカラは豆腐屋の売れ残りを安く仕入れ、その辺を刈った草も豚に食わせていたのだと言う。豚を生かす作業は兄弟皆に課せられていて、その作業が終わった後に解放されたのだと言う。

 クラスの友達で、その作業が厳しい場合の子が居て、その子と遊びたい場合は皆で手伝って、その子を早くその作業から解放したらしい。…いい話だ。


 沢山の小さな家で小さな共生があり、死に対して生があった。生と死が循環しているわけではなくて、「肉を食べたい!(食べさせたい!)」という想いが循環を創ったのだと思った。各々の世帯は、仕方なく開かれていたし、閉じる余裕が全くなかった。近所で風呂を分け合う時代の話は、なかなか面白い。


 豚肉を食べるという行為は、そういうことに発していたんだ!と思い、不意に何気に、少し、涙が出た。

 ここで、僕は懐古主義に陥ることなく「何を目的とするか!?」「目的に対し何をせねばならないのか!?」というシンプルな態度に自分を置こうと思ったんだった。きりっとしてみた。

 直ぐにはできないだろうけど、アメリカのトウモロコシは要らないと思たんだった。

 近隣同士がお互いの目的を察しつつ、対峙しつつ、折り合いをつけて『豊かにぃぃ…!』とは思わないで!!自然と前に進んでいた時代。余りに無防備な個人個人の間に、無防備な風が沢山通って、だから澱まずに一様にバタバタとなびいて進んでいた時代の話。どうせなら、ここから『エコ』の話をした方がいいだろうと思う。



 例えば、『本当の、必要』が飽和して、世界が滅びるなら、それはそれで人類の歴史だと言い切ってしまう態度を持ちたい。当事者だった、そのジジイとか見ても、そんなに悪くないもの。











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