開かれている場所にある変なモノ

2006-11-01 10:15:14 | 最近、たまたま楽しいだけです。
「誰も訪れない部屋にあるものは、意味がない」出来れば、沢山の人の目の前に出す。

そう思って、ぱられる・びじょんを土澤に出した。存在するだけでは多分意味がない。全くの謎は永遠に謎だ。

「快」、「不快」でいいのだと思う。それだけで僕は生きているといってもいい。ただ、周りぐるりと見て思うのだけど、「快」「不快」を判断することって大変だ。そして、意外に体力と時間が要る。(自分だけで、いいのに…)自分の中に「快」を見つけることって難しい。

確かに、自分の定規を引っ張り出す場面って、殆ど無い。
判断を迫られた場合はたいてい定規を買う。買わなくても、その辺に転がっているものを拾って使う。「今年の流行色」なんてもんはそういったもんだ。

開かれた場所に自分を晒すのに、人から「快」と見られるか「不快」と見られるかの予測が付かないという理由で例えば色でその場を凌ぐ。後は寒くなければいい。

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