73年ヒット・チャートはカリー・サイモン「うつろな愛」スティービィ・
ワンダー「迷信」ローリング・ストーンズ「アンジー」エルトン・ジョン
「クロコダル・ロック」アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」
ドーン「幸せの黄色いリボン」オリビア・ニュートン・ジョン「レット・
イット・ビー・ミー」等、この中で「幸せの黄色いリボン」は、山田洋次
監督がこの歌からヒントを得て「幸せの黄色いハンカチ」を撮 . . . 本文を読む
72年はニルソンの「ウィズアウト・ユー」とギルバート・オサリバンの
「アローン・アゲイン」が印象に残っている。
特にニルソンは「ワン」の澄み切った歌い方が、スリー・ドッグ・ナイト
と対照的で、また「うわさの男」も爽やかな悲しい歌。
後に「ウィズアウト・ユー」は、マライア・キャリーがカバーし、こちらも
聞かせるいい曲になった。
他では「アメリカン・パイ」「ハート・オブ・ゴールド」「ディ・アフター・
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71年は日本に人気ロック・バンドが、次々来日するようになる年だ。
7月に「グランド・ファンク・レイルロード」が後楽園球場で
コンサートをやった。「シカゴ」「BS&T」「UFO」
「レッド・ツッエペリン」「フリー」「ピンク・フロイド」
特にこの「グランド・ファンク」は、天候的に印象がより強烈に
なる。雷鳴轟き、雨中での野外コンサートは演奏の良し悪しより
熱狂させる素因を、より以上に含み大音量に観客は . . . 本文を読む
1970年って年は、幼かった田舎の少年を、ほんの少し大人
にしてくれた年だった。
この年上京し、学生時代を迎えていた。
無我夢中だった一ヶ月を過ぎて生活に慣れてくると、生活にも
普段の行為にも疑問が生まれ、「俺は何をしたいんだ」の自答自
問が、常に腹の奥底で渦巻いていた。
それだけにサイモンとガーファンクルの「BOXER」は、非常
に共感できた。
お助けソングの「明日に掛ける橋」には抵抗感があり、 . . . 本文を読む
69年は究極の一発屋セガーとエバンズの「西暦2525年」
がヒットした。単調なリズムに単純な歌詞、しいて言えば
吉田拓郎の「今日まで、そして明日からは」だな、もっと
も拓郎の唄は、繰り返すことによって言葉の重みを・・。
片や西暦が進めばどんどん悪い方向へ進む暗い内容、ただ
単調な歌詞の繰り返しが、やけに耳に残る。
同じようにアーチャーズの「シュガー・シュガー」も、68
年の「サイモン・セッズ」にあ . . . 本文を読む
68年は「オーティス・レディング」を聴きまくった年
だった。きっかけは写真の「ドック・オブ・ベイ」だったが、
その頃レコード屋で働いている人と知り合い、従業員価格で
レコードが購入出来る事を知り、頼んだのが「ヨーロッパの
オーティス」という、ライブ音源のレコードだった。
何しろ2割引で購入できるのは金のないこちらにすれば大きい、
一月に一枚のアルバムを買えるかどうかなのだ。
それにしてもこのアルバ . . . 本文を読む
この67年は、より以上に洋楽に急激に興味を持ち始めた年だ。
それは勿論友人の存在が大きい。
席が隣だった友人とは、授業中会話を交わしたいばっかりに、
どちらかが教科書を忘れたことにして、机をくっつけ小声と
ノートの書き込みで、情報交換、バンド批判などさまざまの
うん蓄を語り合った。
勿論洋楽については、私はもっぱら聞き役で、唯一「マカロ
ニ・ウェスタン」の話題は、こちらが先導したが・・。
この「今 . . . 本文を読む
1966年と書かれたテープを聞いていて、写真の曲が流れてきた。
このホリーズの「バス・ストップ」は好きな曲だった。
このうちの一人、グラハム・ナッツュが後にクロスビー
スティルス、ナツシュ、ヤングとして、脚光を浴びる。
この年、あのマイケル・ジャクソンも「ベンのテーマ」
をヒットさせている。(これに入っていたから、そう思っている、
だけで定かでない・・)
後はサーフィンのビーチ・ボーイズの円熟期の . . . 本文を読む
この64年は、東京オリンピックが開催された年だ。
それまで白黒が主流だったテレビが、カラーに代わっていく
過渡期だった。
この年のヒットには、「プリティ・ウーマン」ロイ・オービ
ソンなんてのもあるし、「朝日の当たる家」アニマルズもこ
の年のヒットだったんだ。
何しろテープだけあって、何が収録されているかさっぱり分
からないから、聴きながら、へぇ~、と感心する。
そして写真のジャン&ディーンの「パサ . . . 本文を読む
昨年の大掃除の時、古い雑誌に混じってカセット・テープ
が出てきて、そんな中からCCRのテープを聴き、エント
リーを書いたが、テープは大量に見つかっていて、友人に
売りつけられたテープも出てきた。
「ヒットソング・ヒストリー」と手書きされたラベルは
1950年代から、1976年まで揃っている。
兎に角洋楽の好きな友人は、著作権など無視してテープに
年代別に曲を収録し(本人の好みが表れて年代も適当だが . . . 本文を読む
このバンドを知っている人は、きっと限られた年代
しかいないと思う。
一発屋といってしまえば、全くその通り・・。
ただこのバンドが出てきた背景は、ポップスの一発屋
と違って、混沌した世相を反映し、徐々にインド音楽
に傾倒していく数多のバンドと時を合わせ、演奏に巧
く取り入れている点だし、「バニラ・ファッジ」の音
楽でも、いろいろなジャンルの曲を、自分達の肉とし
て発展させているのと、その点はよく似て . . . 本文を読む
「三丁目の夕日」で、掘北真希が演じた集団就職
の少女が降り立った駅が、上野駅である。
その駅に歌碑がある。「ああ、上野駅」
東北出身でないこちらでも、この歌を耳にするたび
郷愁がふっと胸に宿る。
あの映画でも、蒸気機関車の白い煙に包まれた頬の
赤みの残る笑顔には、この歌がどうしてもダブッて
しまう。
希望と不安を抱き、列車に揺られて・・。
私にも青森、秋田の友人がいる。
訛りのある言語に、最初と惑 . . . 本文を読む
元モンキーズのマクネスミスが、解散後結成したバンド
「ファースト・ナショナル・バンド」のヒットが
この「シルバー・ムーン」だ。
作られたアイドル・グループ、演奏も満足に出来ない連
中相手に、良く我慢していたものだ。
もっともこのバンドも、この一曲であとはヒットがない。
一発屋だった。
カントリーフレバーのこの曲は、好きなので覚えているが
これ以外の曲となるとさっぱり思い出せない。
まぁねその程度の . . . 本文を読む
今日、車を走らせていたら、ラジオから
懐かしい曲が流れてきた。「アメリカン・パイ」だ。
なかなか長い曲だから、最後まで流すことなく終わった
が、この曲を聴くと、なんともほっとしてしまう。
内容のめちゃくちゃさの歌なのだが、歌は死んだなんて
フレーズは、その当時のベトナムの泥沼からを想起でき
るし、何より弱っているアメリカに、微笑む。
強いばかりでは、やはり疲れるし、こういうなよている
歌ってのは、 . . . 本文を読む
これも一発屋といっていい、清水健太郎の
ヒット曲「失恋レストラン」作曲はつのだひろ。
これまた「メリー・ジェーン」以外ヒットはない。
もっともつのだひろは、ドラマーとしての才能は
秀でている。
その昔、BBキングのコンサートに行った時、前座を
務めたのがつのだとなるもの二人バンドと、「PYG」
という、グループサウンズの寄せ集めグループであった。
つのだのグループの演奏の巧みな確かさに、驚いたの
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