はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 034 (修正版)

2015-08-13 12:21:12 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

養生の道、多くいふ事を用ひず。只飲食をすくなくし、病をたすくる物をくらはず、色慾をつゝしみ、精気をおしみ、怒哀憂思を過さず。心を平にして気を和らげ、言をすくなくして無用の事をはぶき、風寒暑湿の外邪をふせぎ、又時々身をうごかし、歩行し、時ならずしてねぶり臥す事なく、食気をめぐらすべし。是養生の要なり。

飲食は身を養ひ、ねぶり臥は気を養なふ。しかれども飲食節に過れば、脾胃をそこなふ。ねぶり臥す事時ならざれば、元気をそこなふ。此二は身を養はんとして、かへつて身をそこなふ。よく生を養ふ人は、つとにおき、よはにいねて、昼いねず、常にわざをつとめておこたらず、ねぶりふす事をすくなくして、神気をいさぎよくし、飲食をすくなくして、腹中を清虚にす。かくのごとくなれば、元気よく、めぐりふさがらずして、病生ぜず。発生の気其養を得て、血気をのづからさかんにして病なし。是寝食の二の節に当れるは、また養生の要也。

(解説)

 ここで出てくる「神気をいさぎよく」とはどのような意味でしょう。それには古代中国の鬼神信仰を知っておかねばなりません。鬼といっても、地獄の閻魔様につかえている赤鬼青鬼とか、村で悪さを繰り返し桃太郎に征伐された鬼たちとは全く異なります。『論語』泰伯で孔子はこう言いました。

禹は吾れ間然すること無し。飲食を菲くして孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美を黻冕に致し、宮室を卑くして力を溝洫に尽くす。禹は吾れ間然すること無し。

 孔子にとって禹王は非のうちどころがありませんでした。それは飲食をきりつめて、先祖や神々をお祭りし、衣服や住居などを質素にし、天下の民を水害から守るための灌漑工事に力を尽くしたからです。当時は人は死ぬと鬼になると信じられていました。そして「孝」は父母に行なうものですが、父母が他界していれば「孝を鬼神に致」すのです。そんな鬼神の信仰に対して、漢代の王充は『論衡』論死の中で以下のように主張しました。

人は物なり。物は亦た物なり。物は死して鬼に為らず。人は死して何故獨り能く鬼と為る。世は能く人物を別つも鬼と為すあたわず。則ち鬼と為す鬼と為さざるは尚、分明し難し。別つあたわざるが如し。則ち亦た以って其の能く鬼と為すを知ること無し。

人の生きる所以は、精気なり。死して精気は滅す。能く精気を為すは血脈なり。人は死して血脈竭き、竭きて精気は滅す。滅して形體は朽ち、朽ちて灰土と成す。何を用って鬼と為す。

人に耳目無ければ、則ち知る所無し。故に聾盲の人、草木に比べられる。夫れ精気が人より去れば、豈に徒だに耳目無しと同じならんや。朽ちて則ち消亡し、荒忽として見られず。故に之れを鬼神と謂う。人の鬼神の形を見るは、故より死人の精に非ざるなり。

何ぞや。鬼神は荒忽として見えざることの名なり。人は死して精神は天に升ぼり、骸骨は土に帰る、故に之れを鬼と謂う。鬼は帰なり。神は荒忽として無形なる者なり。或説に、鬼神は陰陽の名なり。陰気は物を逆して帰し、故に之れを鬼と謂う。陽気は物を導きて生じ、故に之れを神と謂う。神は、伸なり。申復して已むこと無し。終して復た始まる。

人は神気を用いて生じ、其れ死して復た神気帰る。陰陽は鬼神を称し、人は死して亦た鬼神を称す。気は人を生じ、猶ほ水の冰を為すがごときなり。水は凝して冰を為し、気は凝して人を為す。冰は釋けて水を為し、人は死して神を復す。其れ名は神を為すなり。猶ほ冰の釋けて水と名を更めるがごときなり。人は名の異なるを見て、則ち知の有るを謂う。能く形を為して人を害す。據すること無く以って之れを論ずるなり。

 王充は古代中国の合理主義者の代表格ですが、ここでも超自然的な信仰を否定し、高度な言語論を展開しています。もちろん、この論の中で人間の生死を説明する単語、「神気」にも「精気」にも超自然的な意味合いは全くありません。あるのは言語上の曖昧さだけであり、それも現代のそれに比べて五十歩百歩なのです。「神気」、それは人を生命たらしめるもの、大自然からのあずかりものなのであり、そして『淮南子』俶真訓には、「神、清らかなれば、嗜欲乱すこと能ず」とあります。「神気をいさぎよく」、この言葉にはこのような背景があるのでした。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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