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貝原益軒の養生訓―総論上―解説 016 (修正版)

2015-04-13 16:15:27 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

天地のよはひは、邵尭夫の説に、十二万九千六百年を一元とし、今の世はすでに其半に過たりとなん。前に六万年あり、後に六万年あり。人は万物の霊なり。天地とならび立て、三才と称すれども、人の命は百年にもみたず。天地の命長きにくらぶるに、千分の一にもたらず。天長く地久きを思ひ、人の命のみじかきをおもへば、ひとり愴然としてなんだ下れり。かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を弥みじかくするはなんぞや。人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず。

(解説)

 邵尭夫とは、宋代の思想家であり、諡を康節と言います。道家的な宇宙生成論を唱えたことが特徴で、その後その思想は、朱熹による朱子学の成立に大きな影響を与え、日本の儒学者に知られる所となりました。尭夫の有名な話に、洛陽の天津橋の上で杜鵑の声を聞き、王安石が宰相になること、および国家の政治的混乱が生じることを予言した、というものがあります。国から何度も仕官の声がありましたが、断って自由気ままに生活をしました。

 さて、「十二万九千六百年」を「一元」とする彼の思想は、『皇極経世書』に書かれています。もう少し詳しく見てみましょう。まず人の一世代、一世を三十年とします。そして十二世が一運であり、それが三百六十年です。それから三十運が一会であり、それが一万八百年であり、十二会が「一元」、「十二万九千六百年」なのです。一年は約三百六十日あり、また十二ヶ月でもあり、一月は三十日あります。このように宇宙には周期があり、尭夫は、このような周期を計算していくことで、天地の寿命を知ろうとしたのでした。

 初めの第一会(一万八百年)で天が開け、次の第二会で地が開け、次の第三会で人を含む万物が生じたと、そして、現在は第六会であり、第十一会で万物が死に絶え、第十二会で天地の寿命が終ると、尭夫は考えました。現在では、地球の年齢は四十五億年であり、膨張する太陽に飲み込まれ消滅するまで、まだ数十億年あると考えられています。尭夫の出した天地の寿命が正確か否かは置いておき、彼は人々に、天地にくらべて人の寿命が短いことを量的に示すことに成功したのです。

 そして益軒は言うのです。「かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を弥みじかくするはなんぞや。人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず」と。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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