はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.46 五行について(その1)

2008-09-02 21:25:13 | 気・五行のはなし

中国伝統医学は陰陽五行説に基づくと(一般的には)言われています。さて五行とは何でしょうか。『漢辞海』によると「すべての物質を構成すると考えられた五つの元素、木・火・土・金・水。」と書かれています。五行とは本当にそのようなもなのでしょうか。とりあえず、朱熹の『近思録』を参照してみましょう。


「無極にして太極なり。太極動いて陽を生ず。動くこと極まって静なり。静にして陰を生ず。静なること極まって復た動く。一動一静、互にその根と為り。陰に分れ陽に分れて、両儀立つ。陽変じ陰合して、水火木金土を生ず。五気順布し、四時行はる。五行は一陰陽なり。陰陽は一太極なり。太極は本と無極なり。五行の生ずるや、各其の性を一にす。無極の眞、二五の精、妙合して凝り、乾道は男を成し、坤道は女を成す。二気交感して、萬物を化生す。萬物生生して、変化窮りなし…」(道體類、秋月胤継訳)


とあります。朱熹は周濂渓(1017-1073年)の『太極図説』から影響を受けました。朱熹の完成させた朱子学は「格物致知」方針によりの自然科学的色合いが濃く出ています。それ故、五行は元素のように還元論的説明に使用されていますね。


しかし、五行の初出は『書経』洪範(註1)です。そして多くの儒学者や伝統医学に携わる人々は五行の説明に以下の文章を引用しています。


「一には五行、一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土。水を潤下と曰う、火を炎上と曰う、木を曲直と曰う、金を従革と曰う、土は爰に稼穡とす。潤下は鹹を作す、炎上は苦を作す、曲直は酸を作す、従革は辛を作す、稼穡は甘を作す…」


そして五行はそれぞれ上記の性質をもった万物の構成元素であり、またそれぞれが味を生み出す、というような解釈が一般的です。しかし残念ながらそれは本来的意味ではないようです。なぜなら単語の意味はその文章の前後や、その時代、状況などの関係によって決まるからです。


『書経』洪範の内容というのは(事実かどうかは別として)、周の武王が殷の紂王を滅ぼした後に(BC1027年頃)、殷のかつての名宰相箕子に天下を治めるにあたっての道を質問し、箕子がそれに答えるというものです。五行の後に五事や八政、五紀などと続いていきますが、それらは政治的な内容です。上記の(元素や「あじ」という)解釈には少し無理があるようです。


ところで、最古の漢字字典『説文解字』によると「五」の象形文字は「二」が「X」で繋がっている形をしています。それ故「五」とは五行であり、二つの陰陽が天地の間で交わることを意味していると記載しています。『説文解字』とは鄒衍(BC305-240年)の陰陽五行説が完成した後に作られた字典であり、全ての数を陰陽五行説を用いて説明しています。人々はある理論が完成するとそれから先、全てのものをそれにより解釈しようと努力してしまうようです。そして無理が積もり積もるとその理論を完全に捨てる人々も現れてきます。


さて『書経』の五行とは何かと簡単に言うとこれはメタファーです。


つづく


(註1)『書経』:帝尭以来の帝王の言行録を中心に、周から戦国時代にかけて書き継がれて成立した経書。現存の五十八編中二十五編は後世の偽作。『書』『尚書』とも。五経の一つ。(『漢辞海』より)


(ムガク)


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