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貝原益軒の養生訓―総論上―解説 021 (修正版)

2015-05-06 21:55:01 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

言語をつつしみて、無用の言をはぶき、言をすくなくすべし。多く言語すれば、必、気へりて、又気のぼる。甚、元気をそこなふ。言語をつつしむも、亦徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。

古語に曰、莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る。須臾とはしばしの間を云。大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。酒食色慾など、しばしの間、少の慾をこらえずして大病となり、一生の災となる。一盃の酒、半椀の食をこらえずして、病となる事あり。慾をほしゐままにする事少なれども、やぶらるる事は大なり。たとへば、蛍火程の火、家につきても、さかんに成て、大なる禍となるがごとし。古語に曰ふ。犯す時は微にして秋毫の若し、病を成す重きこと泰山のごとし。此言むべなるかな。凡、小の事、大なる災となる事多し。小なる過より大なるわざはひとなるは、病のならひ也。慎しまざるべけんや。常に右の二語を、心にかけてわするべからず。

(解説)

 「言をすくなくすべし」と言うのは、今まで『養生訓』に何度も出てきました。忘れやすく、しかし重要なことは、益軒は重ねて言い続けます。

 「古語に曰、莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る」、と言うのは、朱子学の始祖の一人、程明道の弟子である尹和靖の言葉です。彼は続けて「謹しまざるべからず、聰明、遙知なれば、愚を以て之を守るべし」と言いました。聡明で遥か遠くまで知る能力があれば、謹むことを愚直に守るように、という意味です。『荘子』外物篇には、「夫れ、忍ばざるは一世の傷にして、萬世の患を驁す」とあります。益軒は「一世の傷」を、そして密かに「萬世の患」を軽視しないように説きます。

 「古語に曰ふ。犯す時は微にして秋毫の若し、病を成す重きこと泰山のごとし」と言うのは、『千金方』―『備急千金要方』とも言いますが― 婦人方虚損第一の一節です。正確には、「病を感じること嵩岱よりも廣し」ですが、嵩岱とは、それぞれ五岳の一つ、嵩山と岱山(泰山)のことであり、古来、巨大なものの代表です。その後、医学書により一節の後半が微妙に変わりますが、言っている内容はどれも同じであり、どんな重い病も初めはとても小さく微かなものであり、軽いうちに治療しましょう、と言ったものです。

 『千金方』は唐代の医書ですが、同じような思想がそれより遥か前、これは政治に関してですが、『呂氏春秋』察微に見られます。そこに、「治乱存亡は其の始は秋毫の若し。其の秋毫を察し、則ち大物を過さず」とあるように、何事も物事が小さいうちに対処することが望ましいのです。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)

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