天を表す一と地を表す一を上下に並べたのが二という数字です。
これは、すべてが混ざり合った状態から、
清らかで軽いもの(陽気)は上へ、
暗く重いもの(陰気)は下へと別れた状態、
と中国の古典にあります。
陽気は雨によって大地に降り、
陰気と混じり合って生命活動を行い、
生命が尽きると、
再び陰気と陽気に分かれる、
という循環をしていると云われます。
真言宗には、
物事現象には常に二面性があり(二而 にに)、
しかも二つ別々のように見える事象は、
実は一体のものである(不二 ふじ)という考え方があります。
例えば、お花を供えることには、
御本尊様やご先祖様に真心を送るという意味、
と自分の慈しみの心を輝かす、
という二つの意味がありますが、
「祈る心」によって一つとなるのです。
◎ 二月(如月 きさらぎ)
二月三日は、節分の日(豆まき、各地の寺院で執り行われます。)
珍しく旧正月朔日に当たります。
二月四日は、立春になります。
(智山御宝暦から抜粋)
これは、すべてが混ざり合った状態から、
清らかで軽いもの(陽気)は上へ、
暗く重いもの(陰気)は下へと別れた状態、
と中国の古典にあります。
陽気は雨によって大地に降り、
陰気と混じり合って生命活動を行い、
生命が尽きると、
再び陰気と陽気に分かれる、
という循環をしていると云われます。
真言宗には、
物事現象には常に二面性があり(二而 にに)、
しかも二つ別々のように見える事象は、
実は一体のものである(不二 ふじ)という考え方があります。
例えば、お花を供えることには、
御本尊様やご先祖様に真心を送るという意味、
と自分の慈しみの心を輝かす、
という二つの意味がありますが、
「祈る心」によって一つとなるのです。
◎ 二月(如月 きさらぎ)
二月三日は、節分の日(豆まき、各地の寺院で執り行われます。)
珍しく旧正月朔日に当たります。
二月四日は、立春になります。
(智山御宝暦から抜粋)