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sonohigurashi。

思いつくままその日暮らしの日記です。…もし意にそぐわなかった場合にはそっと立ち去って下さると助かりますm(__)m

入院生活 総括 (長文)

2012-05-11 23:44:38 | 入院日記
数年前から急に生理痛が重くなり、レディースクリニックに通い始めたのが2年半前。
加齢による体質変化で生理痛が重くなることはよくあることで、恐らく関係は無いものの数ミリ程度の“筋腫の芽”がいくつかあると判明。
すぐさま子宮筋腫になることは無いだろうけど、普通の人よりかは1~2割程度妊娠できる割合が落ちるかもしれないと言われ、漢方薬を処方され経過観察となりました。

1年近く通院したとある時、基礎体温をつけてひたすら漢方薬を飲むだけの診察にも疑問を抱き始めていたその頃(最近どう?→変わりないです。のような問診のみで生理痛もあまり改善されている感じが無かったし)…その病院の受付で保険証の取り違えをされ(受診前に出したが会計時に戻ってこなかったので、探してもらった所、違う患者さんへ渡っていたことが判明)、それが決定打となりセカンドオピニオンと言うか転院を決意。
次に通院したクリニックでは、“双角子宮”でかつ、血液検査で“高プロラクチン血症”とわかる。
双角子宮とは、普通子宮は卵型なのですが、私の場合生まれつき双角…いわゆるハート型で、妊娠しても流産しやすい・育つ部分が卵形に比べて狭くなってしまうため早産しやすい形の子宮なのだそう。
そして高プロラクチン血症…母乳を出すホルモン濃度が非妊娠時の基準値より高いらしく(基本、母乳が出ている間は妊娠しないでしょ?)、これまた不妊の原因だそう。
その時点では自分が不妊もどきだとも思っていなかったし、あくまで生理痛改善のための通院であったので、「あ~、そうなんだ」程度にしか思わなかったけど、先生の「子供を全く考えないと言うのでなければ治療して、年齢もあるし早めに子供も考えたほうがいい」との方針で自動的に投薬治療へ。
(後から知ったのだけど、先生自身も不妊で子供が授からず諦めたばっかりだったらしい。プロとして皮肉なもんだよね…)
投薬治療の効果あって2ヵ月後にはホルモン濃度も基準値まで下がりました。
先生は基礎体温表を見るたび「また来月がありますよ!」みたいに励ましてくれたけど、実は私、そんなに積極的に子供望んでいたわけでもなく…まぁ出来たら出来たで考えよう、程度だったんですよね(^^;

それよりも、妊娠がわかった時が驚いた。
月のモノが来ないので、ほぼ確定だとは思ったし、かなり早い段階でわかっていたのだけど、それこそ…いつの?!…みたいな(爆)。
震災の影響で連日放射能の話題で持ちきりだったし、相方も復興の仕事で被災地にしばらく行っていたし(被災地の方には本当申し訳ないけど、体への影響がホントに無いのだろうかとも思った)、こんな時に子供が出来て大丈夫なんだろうか、と。
仕事もちょうど夏季休暇を取得できる期間で、沖縄行こうかグアム行こうかなんて考えていた矢先で(それから子作り?)、すべてが白紙になりガッカリ(笑)。
それより…妊娠を甘く考えていたので、この時期まだ気づかない人だっているよなぁと普通に生活をしていたら、7週目いきなり大出血で切迫流産に。
夏休みは自宅安静ですべて消え、会社への報告も余儀なくされたのでした。。。

切迫流産のピンチを乗り越えると3ヶ月ほど普通に元気に生活出来たのですが、前述の12/16検診の日に22週で子宮口がすでに開き始めている&頚管長が2センチまで短くなっているとのことで切迫早産・緊急入院となり2ヵ月半に渡る入院生活とその後1ヶ月の自宅安静療養となったのでした。
入院と言われても自分自身が元気だったし、妊娠や切迫流早産にに対する予備知識もほとんど無かったので危機感はあまり無く…いや、危機感は結局出産するまで薄かったかもしれないです。←深く考えない、なるようにしかならないと思う性格が良かったのかも。たまには考える日もあったけどね。
まぁ、それこそT大病院でダメなら、しょうがないだろう…と。
切迫早産の原因は“子宮頚管無力症(疑い)”だそうで大きくなるお腹に子宮口と頚管が耐えられない体質ではないかとのことでした。

今思えば、“筋腫の芽”・“双角子宮”・“高プロラクチン血症”・“子宮頚管無力症(疑い)”と、ひとつひとつは大きな不妊の原因とはならないものの、私は妊娠・出産に適したカラダでは無かったんだなぁと思います。
出産時も後から聞けばトラブル続きだったみたいだし(^^; (出産記録参照)
家族や周りの親しい友人達は安産で子沢山な人が多く、私自身妊娠出産を安易に考えていただけに…ね。
入院時、同部屋のUさんと連日深夜までのガールズトーク(?)で、自身の状況を「絶対、妊娠出産に向き不向きがあるよね!」「普通の人はそんなことも気がつかないよね?!」「うちらなんて次の出産があるか、出来るかさえわからないけど、次も絶対同じ道(長期入院や帝王切開予定)になるもんね~」なんて語り合いました(笑)。
「それこそ、そんなウチらのお腹に今も居る位だから生命力の高い子であることは間違いないよね!」なんて励ましあったり。

Yさんは私が入院となった22週よりもさらに早い段階18週での入院。
自身の前回24週で死産であったという辛い経験を話してくれたのですが、その後状況の悪化、一進一退に前回のお産を思い出してはナーバスになる日が多くなり、私も隣で何も出来なくて歯がゆい辛い日々を送りました(Yさんは今も入院療養中。もうひと頑張りです!)。
変な話、最悪の状況で死産になってしまった場合、出生届と死亡届を同時に出さなきゃいけないなんて、普通知らないでしょ?!
私も聞くまで知らなかったし、そんな辛いなか、そんな辛いことしなきゃいけないんだと、頭を殴られたような衝撃でした。
その話を聞いた時、頭が真っ白になってかける言葉が何も浮かばなかったです。
今度こそ、無事に元気な赤ちゃんを産んでほしい、心からそう思います。

以前読んだ海堂尊さんの小説【マドンナ・ヴェルデ】。
妊娠出産することそのものが『奇跡』だと言うこと、ホントそうなんですよね。
私自身、いわゆる普通の妊娠・出産していたら絶対にわからなかったこと、気づかなかったことです。
強がりとか負け惜しみではなくて、この入院生活になったことで、その『奇跡』を感じることが出来て…経験することが出来て私の財産になりました。

自分の経験上、兄弟が居た方が絶対いいし、もう少しラクに妊娠生活を送ることが出来るなら2人目もいいけど…こればっかりは体質も年齢もある授かりものだからどうなるのかな?結構厳しいかもな…というのが今の心境です(^^;

入院生活 4/5-4/9

2012-05-09 12:25:42 | 入院日記
4/5
出産後、12時間。
早速「母子同室してみませんか?」と赤ちゃんが連れてこられ、授乳・オムツ交換・おへそ消毒指導を受ける。
いい年して沢山のはじめてにアタフタ。
うたた寝・ゴハン・オムツ・授乳(もどき)で一日が終わる。

4/6
うたた寝・ゴハン・オムツ・授乳(もどき)の生活。
恐らく、これからしばらくはこの生活リズムだろうな。

夕食に御祝膳が。
事前にメインが鯛の尾頭付きの和食かローストビーフの洋食か選べたので、洋食をチョイス。
何故なら…不思議なことに洋食の方がカロリー低かったから(笑)。
尾頭付きも捨てがたかったな。。。
ケーキ・コーヒーもついて結構なボリュームのお食事でした♪

4/7
母乳指導、毎日結構スパルタだ。
そんな急に出ないんですけど(-_-;
まぁ出来れば母乳がいいかなぁ程度でミルク使いたくないなんて全然思わないし、そんなに厳しくしないで欲しい。。。
完母なんて最初から望んでないよぅ。

午後イチで沐浴指導。
おっかなびっくりが伝わったのか、私が入れるとギャン泣き。
助産師Tさんにタッチしたとたん、気持ち良さそうに入浴。
もちろん相手はプロ。経験の差はあるにしろ、母親の立場ナシ(爆)。

4/8
横浜から義理の両親と伯母がお見舞いに来てくれる。
その後、姉と甥っ子も。
これから上野で兄一家とウチの両親とみんな合流してお花見らしい。

退院診察。傷口に触られて激痛。ぐはッ。
診察を受けて逆に痛みが倍増になった。そんなのってあるの?!
診察室から病室までフラフラになりながら戻る。普通に歩けない。。。
予定通り明日退院も、当分座れそうも無い(T_T)

4/9
母子1ヶ月検診の予約を入れ、入院費の精算・退院手続。
長き入院生活もここでピリオド。
まだ通院はあるけどね。

出産記録

2012-05-06 16:28:09 | 入院日記
4/4 出産のため入院。
9時過ぎ、陣痛室から分娩室へ移動。(もともと切迫早産で子宮口が開き気味であったため早目の対応)まだまだ余裕あったのでお昼のチンジャオロース完食。

午後から徐々に陣痛が強くなり、2時過ぎ頃か?、破水。
あ!破水した!!と自分でもわかった。まだ少しは余裕あり。
早く産まれてくれ~。

分娩時間が長時間となり担当助産師さん、日勤N井さんから夜勤K井さんへチェンジ。
先生方も当直組にチェンジ。挨拶に。
その夕方頃から我慢が出来ない痛みとなり吐き気が。。。
調子に乗って昼ゴハンを食べたこと後悔。。。すべて出してしまった(>_<)
K井さんゴメンナサイ。大変ご迷惑おかけしました。
我ながら大失態です(T_T)。
K井さんには入院時からかなりの頻度でお世話になっていただけに、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱい(でもまだそんなこと思う余裕はあった?!)

破水をし、だいぶ下まで下がってきている、あと少し…と言われたものの、微弱陣痛になり数時間が経過。分娩停止状態。
羊水も減り、胎児の心拍も落ち始め、このままではキケンとの事で、時間を決めてカンシ分娩に切り替えますとの説明(を、家族が受けたらしい)。

私は酸素マスクをつけられ微弱陣痛ながらも助産師さん達にいきむタイミングを教えられ、それに併せてカンシにより引き出される。
約10~15分後くらいか「今です!下見ていてください!!」と言われてまもなくご対面。
ちゃんと産声上げてくれて良かった。
ってか、もうヨレヨレだよ、私。。。
陣痛から14時間…分娩体勢(?)に入って7時間半…ようやく対面となりました。
取り上げてくれたN松先生が超爽やかで惚れたよ(笑)。
そして後から聞いたけど、カンシ分娩の説明もわかりやすく的確で、家族も「良い先生だよね」とみんなでファンになったみたい(笑)。

出産6時間後、看護師さんに付き添われ、最初のお手洗いへ行くもほんの数メートルの距離なのにフラフラで思うように歩けない…。
しかももう痛くないのにまたも吐き気が(すでに胃は空っぽだし吐かなかったけど)。
いやはや、ものすごいダメージだ。。。
たぶん普通に元気に過ごしていた妊婦さんなら、こうならないだろうと思う。
3ヶ月…いや4ヶ月近く寝たきり生活の体力じゃ経膣分娩厳しいって。
(実はあまりの体力の低下に帝王切開できないかと妊婦検診の時に打診したものの、頑張って産みましょうとやんわり断られた。まぁ手術になるわけだし、当たり前っちゃ当たり前なのだけど)

あとから母子手帳を見て知ったけど、出血も1リットル近くの多量だったらしい。
妊娠中から貧血だったところに、出産時出血多量じゃ産後フラつくだろうよ…。
母子手帳には“分娩停止・陣痛誘発・アトニン点滴・子宮収縮不全・酸素吸引・カンシ遂娩術・出血多量”…などなど文字にするとかなり怖い書き込みが沢山(^^;
自分的には無事に終わったと思っていたけど、何だかんだで最後までスムーズとは行かなかったわけだ(T_T)

※文中「カンシ」分娩、漢字が変換できないのでカタカナ表記になってます。。。

通院生活 3/1-3/31

2012-05-04 14:07:25 | 入院日記
3/2
退院後初の定期妊婦健診。状況は変化なし。
2ヵ月半ほぼ寝たきり状態だったため、通院するだけでも体がバラバラになりそう(>_<)
タクシー使って院内を少ししか歩いていないのに。。。

そろそろ体力作りに歩いた方がいいのか訊ねると「今すぐ産まれても後遺症の心配は無い週数になってきたにしても、まだ正産期では無いので勧めない」と言われた。もうしばらくは動けないってことか。

3/15
今日は助産師外来。助産師さんとバースプランの相談。
まさかバースプランの相談まで出来る週数まで耐えられると思わなかったので、考えていませんでしたと素直に申告(笑)。
ってか、出産にそんなに希望することってあるのだろうか。。。
無事に産まれてくれればそれでよし。
基本あんまり深く考えたりしない方だしなぁ。あんまり理想追い求めてそうならない時って嫌だし。
今更だしダメもとで出産方法についていくつか質問したところ、急遽次回の診察で産科の偉い先生(?)から詳しい説明を聞くことになった。

3/21
退院してお腹の張りが無く、落ち着いている日々。
これまでの日々は何だったのだろう。。。

妊婦検診&出産方法のメリット・デメリットについての説明。
先生に「出産は富士登山くらいの体力が必要だ」と、言われて急に不安になる。
ってか、長期入院でさんざん寝たきり生活していたの知ってるでしょ?!ムリ!!!!(笑)。

正産期に入ったことで、帰りは頑張ってバスと電車を利用して帰ることにチャレンジ。
バスは座れたし良かったのだけど、降りる頃からお腹が痛くなる。
駅で座る場所を探すが、なかなか見つからず…。
今の駅ってあんまり座れる場所無いんだね。元気な時は全然気づかなかったよ…(T_T)
結構ピンチ、ヨレヨレになりながらも何とか帰宅。

3/28
妊婦検診。
所見では、子宮口も柔らかくなり、いつ産まれてもおかしくないとの事。
早生まれ間に合うか?!
満月とか新月が近ければ、産気づく可能性あるかも。(調べたら次の満月は4/6みたい)
破水とか陣痛とか恐怖だ。

入院生活 2/16-2/26

2012-04-30 20:07:22 | 入院日記
2/16
今日で入院生活丸2ヶ月。

2/17
新しいお隣、Uさん。
義理のお父さんと仲が良いらしく毎日のようにお見舞い&差し入れ。
1日何度もだったり…お父さん何者?!(笑)。
しかも差し入れ、エシレだとかヴィロンだとか、名前は聞いたことあるけど私には手の届かない品々。
セレブ~。

2/19
今日は義父母が横浜からお見舞いに来てくれた。
遠い中、おばあちゃんの介護がある忙しい中、恐縮です。。。
イチゴの差し入れおいしかった。
昼間、他の病室でお引越しがあると思ったら、前同室だったYさんみたい。心配。

2/20
看護師Mさんより出産前後についてレクチャー受ける。
ついでにYさんの様子を探る。
ちょっと危険な状態になりつつあるとのことでの移動らしいけど、とりあえず無事確認。

2/21
点滴はずした。
第2回チャレンジ(笑)。思ったより張り返しは無い。

2/22
張りとは関係ないのか、お腹痛い。
3時過ぎから落ち着いてきた。
このまま落ち着いてくれれば、週末お試し外泊許可出るかも。

2/24
外泊許可…と思ったら、急遽退院の方向に。
担当の責任者が慎重派のI田先生から積極派のI山先生に変わったから?(笑)。
転院してちょうど2ヶ月になるからキリがいいかも。
『点滴はずれて、週数もだいぶ安心出来るところまで来たので、病院としてはもうやることないし、ただベッドでゴロゴロ安静にしているだけなら、家の方がいいでしょう?ご自身が心配で入院して居たいなら病室も混んでないし大丈夫ですが。一応、切迫早産の一区切りとして34週がゴールになるから、このまま入院していてもあと10日ぐらいで(強制)退院になりますよ。』ような事言われた。
いや、かなり直球で話す先生ですね…I山先生(^^;
ストレートなのは嫌いじゃないけど、人によってはそんな物言いだと傷つく人いるよ…と思った。
しかも、退院するなら好きな日にしていいと言われ、家族の都合も考慮して26日・日曜日に退院することにした。しかし、好きな日にしていいって…(^^;

2/26
退院前に看護師Mさんが、出産で入院となった場合についての病棟までの経路や施設を案内してくれた。
2ヶ月にわたるT大病院とも一時お別れ。
沢山の看護師さんにお世話になったな。
『即また入院になったりして(笑)。なるべくすぐには戻らないようにします」
次は出産で入院となることを願います。

入院生活 2/1-2/15

2012-04-28 13:14:53 | 入院日記
2/1
看護師さんによる赤ちゃんの心音チェック。
今日もポコポコ蹴って邪魔をするも「赤ちゃんが挨拶してくれてる~♪わかるんだね、偉い偉い!」と前向き発言。
そうか、そんな見方も出来るのね。
そう思うだけでウチのいたずらっ子もおりこうさんに?!(笑)。←親バカ発言。

「入院中のカワ●ヒロシさん~」の呼び出しアナウンス。ちょっと笑えた。(競馬ファンしか思わない?!)

2/2
頚管長15ミリと言われた。短くないか?!
若い先生に特に変わり無しと言われたけど。。。

夕方からやや調子悪く、お腹の痛みが続くのでモニター&診察。
当直の先生だったこともあり、案の定、安全策で点滴再開。
1週間の自由だったな。
一時退院の可能性はガタ落ち。

2/3
再開した点滴のおかげで張りも治まり今日はかなり元気。←こども。
動きまくりで元気ならそれでいいです。
再開の副作用意外とあった。。。
前はこんな量じゃあまり感じなかったのに、暑い・ドキドキ・ちょっと胃がムカムカ。

2/5
相方が仕事関係の新年会。
お土産のうなぎをちょっとだけもらった(笑)。うまし。

2/7
昨日の朝、祖母が旅立ったと聞いた。
私はかなりのばあちゃん子だったし、状況が状況(入院中)だったので両親は私に話すか迷ったらしいが、時間がたって後から聞くのもナンだろうとのことで話してくれたみたい。
急なことでビックリだったけど、苦しまないで…という事で良かったと思う。
それこそ去年の今頃祖母が入院した時は覚悟したので、あの時から奇跡の回復で頑張ったと思う。
私が入院中で、最期のお別れも出来ないけど…それはそれで良かったのかも。
絶対号泣しちゃうもん。
12人目の曾孫、間に合わず。

2/9
18時~祖母お通夜

2/10
12:00~13:00 祖母告別式

2/14
お隣のYさん点滴4Aに。
前回のお産が思い出され泣いていて可哀相…。
出生届と死亡届同時ってツライよね。
22週が流早産の境で、Yさんは明日からが22週みたい。
症状落ち着きますように。

夕方、会社のT部長とHちゃんが来てくれた。
かわいい差し入れもらった♪
休職関連の書類をもらった。クビ宣告されなくて良かった。。。

2/15
1月分の入院費の請求額が来た。驚愕。(まぁ12月分から想定内だけど)
そして午後、急に別の部屋へお引越しに。
新しいお隣、Uさん。
Uさんは胎児3D写真・4D体験済みらしい。羨ましい。。。


入院生活 1/16-1/31

2012-04-27 12:11:56 | 入院日記
1/16
入院生活、はや1ヶ月…。

1/18
朝5時、院内アナウンス“コードブルー”で起きた。
“緊急事態”を表す隠語らしいが、一瞬Dr.ヘリかと思った(笑)。←TV見すぎ
大丈夫だったのかな。

1/22
姉と義姉が来てくれた。
「お腹で暴れまくりなんだよね~。♂かな?」「男ならエコーのときじっくり見ていればわかるよ」なんて話していたら、その後すぐ超音波検査で呼び出し。
じっくり見てもサッパリわからなかったので、先生を誘導しつつ(病院は積極的には性別を教えない方針)確認してもらう。
「たぶん女の子ですね~」と言われたものの、会話の流れから念入りに見ていく先生の「あ、あるかも?!(男の子の大事なものが)」宣言。
男の子と言われて覆ることはほとんど無いので(女の子が男の子というパターンはよく聞く)、男の子確定。

コーヒーの差し入れも美味しかったけど、1時近くまで寝られなかった。
妊婦になってからはカフェイン摂取量が少ないから効くね!
夜中お隣さんが「助けて~」と叫んでいたから驚いてナースコールしようかと思ったところ…寝言だったっぽい。良かった。

1/23
配膳の際、看護師さんに「ご飯食べてますか?おいしいですか?」と聞かれた。
色々メニューも充実しているし病院食としては、かなりおいしい方なのではないかと答えたら、たまに不味くて食べられないと話す患者さんがいるとのこと。シンジラレナイ。。。
減塩食とか制限食なのでは?!普通食は味もしっかりしていてウマウマなの多いけどなぁ。切り干し大根とか(笑)。
美食家・グルメさんなのね、きっと。

1/25
T大病院へ転院して1ヶ月が過ぎようとしている。
順調に減らしてこられたウテメリン点滴をはずした。
夜9時頃から痛みを伴う張り。
診察受けるも恐らく“張り返し”という事で様子見。
12時くらいまで痛くて体勢変えられない&脂汗が出ていたが、急にフッと和らいでからは眠れた。
ホント、このまま破水とか出産になってしまうのではないかと思う痛みだった(^^;
朝起きてしばらく胎動が無くて心配だった。ここまできて死産は有り得ないでしょ。。。
朝の心音チェックで元気なこと確認。良かった♪

1/29
今日も先生の空き時間に突撃超音波検査。
胎児の3D写真を撮ろうとしてくれたものの、またもや顔の向きを変えてしまい撮れず…。
せっかくのチャンスだったのに残念。。。
先生、笑いながら「こんな写真でごめんなさいね。いつも顔撮れなくて。」と背骨の写真をくれる。
…って、背骨かい!(笑)。
先生とも2日に1回は顔合わせて1ヶ月のお付き合いになるもんね。色々笑い合える感じになってきた。
あまりにも毎度向きを変えたり動いたりで、うちの子は恥ずかしがり屋で写真嫌いなんだなぁ…と思うことにした。
ってか、いつも白黒2Dエコー写真しかもらってなかったから知らなかったけど、すごい機械だったみたいだ。

1/30
朝の診察で一時退院保留。
点滴無しでOKも所見は現状維持のため週数的に不安ありとのこと。
この間の張り返しで子宮口がさらに開いているとか、頚管長がさらに短くなっているかと想像していたから良かったかも?
回診で今週は無くとも来週には一時退院の方向になると言われた。

入院生活 1/1-1/15

2012-04-25 14:17:01 | 入院日記
1/1
新年を病院で迎えた。
朝はお雑煮でお正月気分を感じていたら、お昼には仕出し弁当風のお祝い膳が!
予想外の展開に、配膳されてきた時思わず2度見してしまい、笑われてしまった(^^;
食べ過ぎておなかがパンパン。
三が日はお正月メニューらしい。

1/2
箱根駅伝。TVつけたら、わが母校はすでに最下位…。
愛校心が強いわけではないけど、さすがにちょっとガッカリだ。

1/4
若い研修医(?)に、ちょっとムカッと。
ハイリスク妊婦多数の中、私の所見は比較的軽いほうなのかもしれないし、言ってくれること(たいした事無いね。早く退院させれば?みたいな)はありがたいのだけど言い方が、ね。

1/11
今日の昼ごはんのおかず(副菜)梅あえ…。
梅が苦手な私としては食事で初めて悲しかった。。。
ゆかりとかふりかけならガマンできるのだけど。

1/12
母がタリーズでカフェオレの差し入れを持ってきてくれた。久々にコーヒー飲んだ気がする。
美味しかった♪

1/15
テレビカードチャージしたところ機械が故障。
その際、端数の残額分(200円くらい)が消えてしまったらしく、ちょっとおまけしてキリのいい500円にしてくれた。ラッキー!


入院生活 12/16-12/31

2012-04-23 12:45:15 | 入院日記
12/16
仕事の前に検診も、検診後即入院。
切迫早産とのことだが、子宮頚管がかなり短くなっていて、このまま普通の生活を続けてしまうと産まれてしまうので強制的に安静生活が必要らしい。
いきなり車椅子に乗せられ…せめて明日からの入院にならないかの懇願もあえなく却下。
泣きそう…(T_T)
しかも病室が準備できるまでの間、LDRに通されたが、隣のLDRでの出産の雄叫びに恐怖倍増。
会社や自宅にパニックになりながら連絡。

12/22
2~3日の入院くらいかと考えていたが甘かったみたい。
子宮頚管の長さ・おなかの張りともに一向に回復する気配も無くアッと言う間に4A、ウテメリン点滴量MAXに。
副作用で熱感と動機がすごい。手が震えて止まらない・・・。
おなかの張り、よくわからない…。自覚ありませんか?と言われても…(-_-;
このままだと胎児の安全が確保できないため別の病院に転院になるかもとのこと。

12/24
昼食にステーキとケーキが!
クリスマスカードも付いてささやかながらクリスマス満喫。
3時ごろうたた寝していたら院長サンタ&ナースがやってきてクリスマスプレゼントをくれた。
なぜか小鳥の柄の飾り絵皿。これもいつか思い出(笑)。

12/26
年末に何かあっても対応できなくなると言うことでH病院→T大病院へ転院。急だ。
自分的には実感・危機感などあまり無いのだけど…。
救急車でMFICUに運ばれた。個室すごい。
手続き・診察・採血・心電図・レントゲン…怒涛の攻撃だった。
仮に今生まれてしまった場合について、担当の先生に尋ねると「週数的に4割行くか行かないか…助かってもかなりの確率で何らかの後遺症は出るでしょう」と。そ、そうなんだ…。
若いスタッフや研修医が多いせいか、T大病院は採血も点滴も下手…。
採血で漏れてアザになったのは初めてかも?!
ゴハンはウマイ♪

12/27
空きが出たと言うことで個室から4人部屋のMFICUへ移動。さらば豪華個室(笑)。
点滴の針が入らず、HELPで来たI上先生の腕時計が憧れのルクルト!
レベルソのスモールセコンドで超ガン見!!!
本物(実物)付けてる人初めて見た!
時計萌えしてる場合じゃないけど、あらためてレベルソ欲しくなった。

12/28
食事制限も無く、おいしいので食事の時間が楽しみ。
追加料金がかかるもののメニューを選べる。
今日のお昼ゴハンは選択メニューのうな丼♪
夜は通常メニューのミックスフライ。うまかった☆

今日で会社は仕事納め。携帯で連絡取りつつ、年内の仕事は何とかなったかな…。
あまりにも急なこと過ぎて会社の皆さんには迷惑かけまくりだったけど、自分の中で長期入院に対しての諦めが付いた。

12/31
病院で迎えた大晦日。まぁこんな年があってもいいか。
今思えばクリスマスケーキとか御節セット、注文しなくて良かった(笑)。
クリスマス・正月に帰れないくらいだから、自分の中で気持ちの区切りが付いて随分楽になった。
年明けにはまた仕事でたくさん指示しなきゃいけないこともあるけど…。
夜ご飯はちらし寿司とそばだった。年越しそばだね。
紅白見るためTVをセット。


新カテゴリー

2012-04-22 12:36:36 | 入院日記
すっかり放置してしまいました。。。

と言うのも…私事ですが、4/4に男の子を出産しました。

妊娠判明~出産までの経緯が決して順調とは言えず、年末から管理入院し、無事にその日を迎えることが出来るまでは一部の人のみへの報告でした。
今、ようやく落ち着いて(落ち着いてはいないけど/笑)振り返ることが出来る状況になりましたので、備忘録として入院時のメモ書き日記をアップしておこうと思います。
人の入院日記(しかも中身の薄い)なんて興味ない人が大半かと思いますが、そんな方はスルーしてくださってOKです。数日だけお付き合いください。

(これからは、息子くんもちょこちょこと登場してくるかとも思いますが、育児メインのブログにするつもりは今のところ考えていません)

今もなお、産後の肥立ち(?)が悪く、数日に一度は熱を出したりヨレヨレです。。。
すっかりそがれた体力はなかなか回復せず、予想以上の反動です(グチになってすみません)。