花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

京鹿子娘道成寺から京鹿子娘二人道成寺 1

2006年02月21日 | 歌舞伎
話題性のいっぱいの道成寺。客席のボルテージも上がる。
これを見終えて帰りたいって人もいるのではなかろうか?と
思うものの今回帰る人は、さほど見かけなかった。
(小判一両のファンとしてはうれしい)
そんな京鹿子娘二人道成寺を見ながら・・

久々道成寺について、持っている本などをのぞいてみた。
それをつらつらと・・。
まず構成。
歌舞伎の踊りというのは、『原則的法制法』がとられているようだ。
そういう郡司正勝氏のかかれた順を書くならば・・
1.道行の出・・・竹本「月は程なく」から「日高の寺にそつきにける」娘道成寺の出は、亡霊がいつでたのかわからないように登場するというのが口伝だそうだ。
2.乱拍子・急の舞・・「うれしやさらば舞はんとて」から「花ぞちりける」まで
3.中継の舞・・「鐘に恨みは数々ござる」から「真如の月を眺めああさん」まで
4.手踊・・「いわず語らず」から「都そだちは蓮葉なものぢやえ」まで
5.まり歌・・恋の分け里」から「思いそめたが縁ぢやえ」まで
6.花笠踊・・「梅とさんさん」から「可愛さの花娘」まで
7.手拭の踊(くどき)・・「恋のてならい」から「さはらず落ちん風情なり」まで
8.かっこの踊・・「やまづくし」
9.手踊・・「ただ頼め」から「いとしらし」まで
10.鈴太鼓・・「花にこころを深見草」から「乱れ髪」まで
11.鐘入り・・「思えば思えば」から「引つかついでぞ失せにける」まで
12.いのり・・「謡うも舞うも法の声」から「あれ見よ蛇体はあらわれたり」まで

という構成になっていた。

先ず『道行き』
いつ出たかわからないことはないが、すっぽんからでた玉三郎のほうが、いっそう亡霊的だった。
そして今回、玉三郎と菊之助のきていた黒の衣装は、六代目菊五郎がはじめたそうで、それまでは赤の衣装が普通だったそうだ。(六代目はけっこう体型が太めだったためいろいろな面で、すっきり見えるよう工夫していたようだ)
赤い衣装の場合は、一度着替えに入る必要がなく所化から烏帽子をうけとり、つけるということになったそうだ。最近では魁春さんが赤い衣装で、歌右衛門型(?)踊ったのを見たくらいか?

その後今回、初回のときには、乱拍子をつけて謡いがあったが、先日18日見たときにはなくなっていた。
もともとここは、さまざまな演出が存在しているようだ。
六代目菊五郎の場合道行がなく、下手奥から出て舞台中央にきまりその後、花道七三に入り乱拍子にかかったことがあったようだ。先代三津五郎は、幕の前で乱拍にかかったり、歌右衛門が大大阪歌舞伎座で、五段の乱拍子という能楽そっくりの気合を持ち込んだというから、今回玉三郎は歌右衛門とおなじ方法を取ろうとしていたようだ。
だが、乱拍子は能では、最高の秘技だそうが、その面白さは、相当見巧者になってからで初心者には退屈にしかすぎないといっている方もいる。

つぎに烏帽子の始末もさまざまなものがあるようだ。
中啓で烏帽子をはね落としそれが舞台に立ったままになるのは、法式というようだ。
もちろん左手で烏帽子の紐をひき扇で右にはねとばしたり、尋常にぬぎ中啓でもって添える型、鐘の綱に絡ませる型と今回後者2つであった。

まあここまで見てもいろいろだ。
花子ばかり見てしまったが、今回、所化に猿弥さんがいたことにお~ここに出演だったか。とちょっと驚いて、あ!!猿四郎さんもいたんだ!!っとこちらは、かなり驚いてっしまった。6名の所化の傘踊りでにも猿四郎さんがいて綺麗なおどりを見せてくれていた。一方いつもは、一人背が高いのが目立っていた松也クンだったが、隣に薪車さんがいてのっぽが目立たないのにやあ、これからはだんだんこうなるかな?って思ってみたり。
花子二人以外にもあっちこっち見どころがある。

新聞でみつけたミュージカル記事

2006年02月20日 | きまま
東京新聞2月18日付 「テレビ・芸能」欄に
『奥深いウィーン風ミュージカル』というのが書かれていた。
「エリザベート」・・・陰のある登場人物が折り成す悲劇性の強いストーリー。コメディが主流の米ブロードウェーものとは一線を画す、この作品の流れは、続き今年は新作上演も予定されている。なぜ“ウィーン・ミュージカル”が受けるのだろう。と
今まで上演された作品「エリザベート」と「モーツアルト!」のことがかかれその後、「マリー・アントワネット」のことを書いた中で、まず劇作家ミヒャエル・クエンツェ氏の日本ヒットを受け止めるコメントに目がいった
「歌舞伎などの長い伝統があることも、日本の観客がドラマ性の高い作品を支持してくれる理由でしょう」と。
つぎに
「日本のミュージカル市場は、各国からなんでも取り入れる敷居の低さがある」
という劇評論家の大平和登氏。その上で、「今後らに日本発のミュージカル文化をどう創造、発信していけるのかが重要になる」と。

う~ん。わかるようなわからない言葉にそうなのかなあ?
歌舞伎は昔は一般大衆だけど..今は、どうなのかなあ?
ミヒャエル・クエンツェ氏歌舞伎好きなのかな?
などと思ったり、
大平和登氏のコメントでは、
結局、敷居の低さがあるゆえ、ごちゃごちゃになって失敗しまうおそれもあるけれど、
それをうまく日本流を生み出し表現して発信していけるか?いければいいけど、ってことか?

日本発のミュージカル文化ってどんなものになるのだろう?
思うところやはりロードウェーのようなコメディでなくウィーン風ってなるのかなあ?
そう言う点で「マリー・アントワネット」は、
日本以外でも日本で生まれたミュージカルとして上演されるか?ってことかな?

過去と現状まではわかったような。しかし今後は???ほんとに世界発信するのかなあ?

映画の『Shall we Dance?』のように??

一谷嫩軍記 陣門 組打

2006年02月20日 | 歌舞伎
陣門・組打 はこの後の、熊谷陣屋での出来事に大きくかかわってくる話である。
『陣門』では、平山に乗せられて血気にはやる小次郎は、敵陣へと乗り込んでゆく。
だがその後、父親の直実が、わが子を心配して敵陣へ駆け入る。
だが、その後わが子を脇に抱え、手傷を負った倅小次郎を陣所におくると急ぎその場をさる。
その後、敦盛が、馬にのり逃げてゆく平山を追いかけていくのだった。となる。

『組打』では、敦盛は、敵を見失う。御座所で、父親に身の上を知らせることありと海へと向かうが、そこで直実に呼び止められ、勝負を求められる。
が、武勇に優れた直実に敵うはずなく、取り押さえられる。
そこで名を名乗るように求められ、敦盛は「無官の太夫敦盛」と名乗る。
そこで直実が、涙にくれる。
そしてここを落ち延びるように言う。
しかし、そこに平家方の大将を助けるとは、ニ心にまぎれなしと声がして、直実が黙然する。
敦盛が、「わが身を手にかけて、人の疑いをはらされよ」と、西に向かって手を合わせる。
そこでしばしやりとりがあって、直実敦盛の首を落とす。

そして、この後の「熊谷陣屋の場面」で、この落とした首が、わが子、小次郎であったという話に、なるのである。

今回、すでにいろいろなところで言われているように、何箇所か幸四郎の新工夫が、あった。
が、初回まず見えなかった、小次郎を小脇に抱えての花道の引込み。
今回、普通は顔を見せずに入るべき小次郎が、わざわざ敦盛だよ。といったかんじで顔を見せる。
なぜ?
この後の話が、敦盛と名乗るけど、本当は、小次郎なんだよ。と見てる人にわからせるためらしい。
でも舞台上に平山がいるだよ。顔をだしたら、敦盛ってわかってしまうでない?
ここで、まず、次への話が、おかしな感じになってくる気がするのだけど。
敦盛って言ってるけど、敦盛じゃなくて、かれは小次郎だよ。って。
みどり狂言を「親子の一つの物語」に変える必要があったのかなあ?
とも思ってしまった。
だから、先に直実が、首を落としかねてる間の「やりとり」とは書いたものの、セリフが、はじかれていた。これが、染五郎が小次郎を演じた前回とは違っていたのだが、あるとないとでは・・逆にはなしが、軽くなってしまった。
けっこう前回は、このあとのセリフのやりとりが、良かったんだよなあ。と。
「倅小次郎直家と申す者丁度君の年恰好。
今朝、軍の先駆けして薄手少々負うたるゆえ、
陣屋に残しをきたるさへ心にかかるは親子の仲~」がなくて

前回の染五郎の小次郎・敦盛ほうが、ますます良かったなあ。と思ってしまう。
染五郎が、客席に聞かせていたのかもしれない。
「愚かや直実、悪人の友を捨て、善人の敵を招けとはこの事。
 早首討ってなき跡の回向を頼むさもなくば、生害せん」って。
このセリフが好きで、行間もさぐりたくなったほどだったのに。

わたしは、いつもの演出のほうが好きだ。と思った。

さらに、組打の場面で普段なら、子役を使って、遠近法を使った「遠見」といった手法で直実と敦盛を勝負させ、その後、浅葱幕を用いて再び場面転換をさせ、今度はセリを使って討ち取られた敦盛と捕らえた直実が、登場してくる。
しかし、今回遠見は使っていなかった。

これも、使ったほうがいいという意見と、なくてもいいという意見があるようだ。
わたしは・・・歌舞伎としてなら、あっていいのでは?と。
でも、必要があるか?といわれれば・・今回は、なくてもいいか派かも。
イヤホンガイドに遠見のことがは入っている(た?)らしい。
めずらしく注意書きのはり紙がでていた。「今回遠見は使っていません」のような。
イヤホンガイド。さっさと訂正はしないのだろうか?

わたしは、ほとんど利用しないイヤホンガイドだが、
利用される率は高そうだ。が、間違いはさっさと訂正されてほしいものだが。

PARCO歌舞伎 当日券

2006年02月19日 | 歌舞伎
「PARCO歌舞伎 決闘!高田馬場」前売券は完売
当日券については、キャンセルが出た場合のみってどうして出るの?って思いつつ

その前にに各公演当日電話にてキャンセル待ちの受付があるそうな。
申し込み方法
昼夜公演とも朝10:00~昼12:00電話予約受付
電話No 03-5237-9350(チケットぴあ)

キャンセル待ちの整理No。を案内してくれるそうな。
販売方法 
キャンセルチケットが出たときのみ開演の15分前から順次整理番号順に発売
整理番号があってもキャンセルチケットが出ない場合は、当日券の販売はないそうな。

テープで24時間この案内はされてるそうだ。
℡ 0180-993-755


当日券は整理番号をもっていない人には販売しないとも。
あげくキャンセル待ちは1人1枚だそうな。

結構きびし~

三月大歌舞伎 『幡随長兵衛』 『小判一両』

2006年02月19日 | 歌舞伎
三月大歌舞伎 
本日昼夜 通し観劇 ともに3階A席1列目
今日も、菊五郎と吉右衛門の組合わせ『幡随長兵衛』『小判一両』2本が印象にのこる。役者が大きいと感じずにはいられなかった。
『幡随長兵衛』山村座で芝居「公平法問諍」の最中、水野家に仕える市介や坂田金左衛門が、いちゃもんをつけて芝居を中断させるが、そこに登場する吉右衛門演じる長兵衛・・
気持ちが、大きい親分。今の時代こんな上司が、いるだろうか?人の上に立つ大きな人ほど稲穂のごとく、腰が低い。子分がいきり立っても、それもきっちり押しとどめることができる。
一方、そこに居合わす菊五郎演じる水野が、また旗本の大きさがあり、かっこいいのだ。
この芝居では、敵役。二人のバランスが、ことのほか良い。だからこそ舞台も大きく見え素敵だ。
どんな芝居でも、一人芝居でない限り出演者のバランスの大事さを思う。

2幕目。花川戸長兵衛の家。水野家から長兵衛を酒宴に招きたいと使いがくるが、旗本にころされに行くのがわかっていて、腹をくくる長兵衛が、江戸中に名をとどろかす親分として、またまた素敵なのだ。
これまた、現代にこんな相手のわなを知っていて出かけるような大物はいるだろうか?いないからこそ憧れを持ってかっこいい。
だから?、「親分のかわりに俺が」という兄弟分や子分が大勢いることがわかるし、セリフの中でも「旗本」にやられるわけだから、みんなが黙っていないだろう。という次へことの流れの段階も示唆している。先を見越しているという姿がみえる。
ウルトラマンやアトムではないけれど江戸時代のスーパーヒーローとして舞台を見てしまう。
だから死ぬのだってかっこよく。男の美学??
それを演じる吉右衛門がいいのだ。鬼平犯科帳!とどっちか??
う~ん「生」の舞台かな。

そして『小判一両』またしても泣けた。誰も悪くはないのだ。み~んな良い人なのだ。
でも立場の違い(当時の階級の違い)が大きかった。最後は、哀しい。こうなっちゃいけない。世の中不条理だ。
しかし、その不幸な事件に行くまでの小気味よさは、これまた出演者の上手さだろう。
この作品は、落語としてかかれたそうだが、菊五郎の笊屋まさに噺家が、高座で、ぽんぽん話しているかのようだ。
目から入ってくる落語のようだ。
昨今落語も再びの人気となったが、落語好きの人に見ていただきたい。

ニューヨーク青春物語 ~アランとバディ~

2006年02月18日 | 芝居
作 ニール・サイモン
翻訳 保坂磨理子 演出 竹邑類

三越劇場

CAST 瀬下尚人、野沢聡、汐風幸、本多祐子、渚みちよ、沢田亜矢子、横内正
(Wcast 勝野洋輔)
久々お気楽に見れて、楽しかったウェルメイドコメディ
今日は、Wキャスト弟バディが、このところチェックしている野沢聡、そして、公演終了後、トークショーもあるということで観劇を決めた。
この作品ニールサイモン処女作ということだった。
1961年に始めて書いた舞台劇でブロードウェイのデビュー作となった『Come Blow Your Horn』(吹け青春の角笛を)が、『ニューヨーク青春物語 ~アランとバディ~』として上演されている。

(ニール・サイモン自身が兄のダニーと共に、封建的な両親から独立してアパート住まいを始めた体験をベースに3年の歳月を掛けて書き上げたもので、1961年にニューヨークのブルックス・アトキンソン劇場で初演されて677回のロングランを記録した)

小劇場で配役も小気味よく、デパートに来た帰り、お芝居を見た帰りにお買い物するといった、お茶する感覚のお芝居
今日は、金曜日、仕事帰りの6時半開演で、買い物帰りとはとても行かないけど・・

ニューヨークを舞台にして家族のあり方を描いた作品
でもこの話、東京あたりに舞台を置き換えても十分かも。
日本じゃないかと思うくらいちょっと前の?日本人的で異常に頑固な父親(横内)と優しい母親(沢田)、今は、独立してアパート暮らしをする兄(瀬下)は、女遊びのいいそしみ、恋愛は、いいけれど結婚まではと思っている本命彼女もいる、一方親の元でまじめに生活したけれど、愛と自由に羽ばたきたいという弟(野沢)がいる家族。そんな家族の今の日本で、欠けてしまったような家族の愛情がとても色濃く描かれている作品
弟が21歳で、パパママと呼ぶのもどこか可笑しいが、女遊びにいそしむ30過ぎの兄もパパママというところが、けっこうほほえましくあったりもする。
本命彼女コニー(汐風)は、結婚が決まるのか決まらないのか。決めたいけれど決まらないような微妙な立場、その微妙な女心が伝わってくるし。

清涼飲料をすか~っとこじゃれて。たまには、ウェルメイドコメディ、やっぱりこういうのも見なくちゃね。と久々に感じた。

日本舞踊協会公演

2006年02月17日 | 歌舞伎
第49回日本舞踊協会公演 第二部
2月16日14:00開演

国立劇場大劇場

清元 蜻蛉洲祭暦 藤間寿美穂/坂東三之昭/藤間禾寿之
義太夫 寿万歳 花柳時寿重/花柳寿賀洲/花柳春涛/花柳寿世奈
長唄 廓丹前 勝美伊三次/泉徳右衛門/水木歌寿史
清元 文売り 中村光江
常磐津 風流浮世床 坂東勝友/坂東三津二郎
荻江 鐘の岬 吾妻徳彌
長唄 供奴 藤間勘右衞門
長唄 雨の四季 西川扇藏/花柳壽輔/花柳芳次郎/藤間藤太郎

自由席ゆえ開演15:30前に国立劇場には到着したが、入り口から長い列。
みなさん張り切って席取となる。舞踊で先生と呼ばれる方々が、さらに上の先生たちをご覧になるというのだから、力もはいる。
この前の部では 清元 で『玉屋』を 坂東三津五郎が踊った。
前日には、長唄 『後面』 松本錦升(市川染五郎)が出ている。
各流派の代表的舞踊家による競演で、協会設立の大きな目的の一つとのこと。日本舞踊界最大の規模と水準らしい。
ちなみにこの舞踊公演は3日間で行われ、後援は、NHK。演目の一部はNHKで放送されるため、TVカメラが大劇場一番後方だけでなくサイドにもセットされていた。
『鐘の岬』を踊った吾妻徳彌さんの舞台が、美しく、可憐で妖艶であった。

しかし目的は、『供奴』藤間勘右衞門(尾上松緑)だった。
お弟子さんの辰巳くんのサイトによると「藤間蘭景さんの『供奴』は、手数が多くて大変」とあったけれどその分ことのほかダイナミックだった!
しかし、さらに辰巳くんの16日の舞踊協会のことを読むと「松緑さんは体調不良での舞台でした…。3日も食事という食事が出来てなくての「供奴」」だったそうだが・・・さすが舞台人!見ているほうには、体調不良が、ちっともわからず。14分の踊りが、30分にも思えるような若さあふれている奴。
足拍子や、片足で回るかっこよさ・・・。驚きだった。

2部の客席には、お姉さんの光江さんが踊られたため、福助が。
また、1部に出演されていた三津五郎にあえたのはうれしかった。
このごろ歌舞伎座で姿を見かけないのが、残念だ。

アンナ・カレーニナ

2006年02月16日 | ミュージカル
ルテアトル銀座 A席23列
今回は、この作品は、ちょっと芝居で見るのはな~と思いつつも「井上芳雄」くんヴロンスキー目的です。
作品は、トルストイ原作の『アンナ・カレーニナ』。
トルストイっていえば、『戦争と平和』!
じっくり重~いというイメージ。
「アンナ・カレーニナ」今回、久々に新潮文庫3巻観劇前に読んでしまった。
これが、いけなかった!って思った。
自分の中で活字から創造する『アンナ・カレーニナ』の世界がちょっと出来てしまっていて、人物像もけっこう私の中で出来上がってしまったような気がする。
一人として、私の描いた人物像と同じではなく、異なった人物だった。

オブロンスキー小市慢太郎。ちょっと軽い男だった。
芝居の中では、狂言回し的要素もあり楽しい人物だった。
リョーベン。葛山信吾。小説の中では、かなり野暮ったいイメージだが、誠実な人。
その野暮ったさのようなものが、すこ~しある田舎者だけど、すごくかっこいい!!イケメン!
舞台に立って今回一番、舞台を想像の世界に仕上げてしまう芝居を見せてくれたような気がする。
彼だけだったような気がする。一人で立って人物の風景をも作り上げていたのは。ミュージカルが、初めてだそうだが、今回の舞台は、ミュージカルの前に芝居がしっかりしていないと話が、感動をよばないような気がした。
キティ新谷真弓。彼女こそ私が想像していたキティではなかった。
素朴でかわいいいけど、きゃぴきゃぴ元気な娘!
私のイメージは、奥手(晩熟)な可愛い可憐な静かな女の子。
そんな新谷キティだったけど、話してしては、『アンナ・カレーニナ』のリョーベンとの中は原作の二人の関係そのものが描かれていたように思った。
まあ、始めは上手くいかない二人でも、最後の二人は、ハッピーエンド。
描きやすいといえば、描きやすいのだろう。
客席も自然にこの二人のシーンに拍手が多かったような気がする。
さて、アンナの一路さん。
まず、息子セリョージャを可愛がるんだけど・・母性という息子に対する気持ちがなんだか違うようにみえた。可愛がってるんだけど・・・。
母親というより親戚のおば様に思う。
何がどう違うの?って思いつつ、最後まで納得いかず首かしげたままだった。
そして、良識ある才女が、激しい恋に・・だけど、これまた
どこか違う。う~ん。相手が合わない?

さて井上君。衣装をまとった陸軍士官かっこよく、ソロの歌は、とっても聞かせてくれていいんですけどねえ。
アンナに夢中になるヴロンスキーこれまた演技はしてるんだけど・・違う。
ストレート部分こちらにほとんど伝わらない。
とくに前半分。
後半、駆け落ちして・・恋に「うきうき」あたりはいいんですけど。
年上への情熱が上手く出ないのは、一路さんが、若いヴロンスキーの愛情に惹かれる姿が弱いのかな。恋におぼれるというのが。

日本の狂言作者近松門左衛門がつくる心中物のほうが作品としてまだ、面白いかも。なんてまで思ってしまったし。(といいつつ私あまり近松作品好きじゃないんですが)

今回お稽古期間の流れは、とても良かったそうだけど・・。
S席前方なら、役者メインで視線がいくかも。だが、23列目ともなると、舞台全体が視線のフレームに入り、顔の表情以上に、動作一つ一つが肝心となる。が、そこが、顔で演じてしまっているのだろうか?

ワールド ゴーズ ラウンド

2006年02月12日 | ミュージカル
「The World Goes ‘Round」
オフ ブロードウェイ ミュージカル ショー
東京芸術劇場
香寿たつき 大澄賢也 シルビア・クラブ 泉見洋平 今陽子

今回は、「泉見洋平」くん見たさでかったチケットだった。
席の後ろに座っていた方々は、宝塚ファンのおば様たちと見受けられた。
いろいろな話で盛り上がっている。客席の前方もほとんど香寿さんファンらしく、「タータンのお茶会云々」「この間○○さん、云々」
そのほかのたかのお名前も出て・・・すごいなあ。
始まる前に、おばさま方の熱心な会話に圧倒される。

さて、ステージに。
休憩をはさんで、1部2部各1時間。ジョン・カンダーとフレッド・エッブの曲で歌でつづるミュージカル ショー。
「どんなことがあっても世界はまわりつづける、あなたが幸せでも、泣き伏せても世界は回る」ってことだそうだ。
そうかあ・・って実は後で、知ったこと。
知らなくてもジョーとして十分楽しめた。もともとの構成があるからだろう。
訳詞・演出は、宝塚歌劇団の荻田浩一氏とのことだった。
(昨年クリスマスのショーの構成はあまり気に入らなかったので、今回は、どうなのだろうという気持ちがあった。)
中心になるのは、香寿たつきさん。だが、出演者それぞれに歌が上手く、個性があって面白かった。
香寿たつきさんは、可愛いのだけど、やはり長年?宝塚の男役。きっりっとしたかっこよさ清潔感がでる。色気というとシルビア・クラブさんの仕草のほうが秀でていた。女性!って。そして彼女の歌う歌には、ドラマ性を感じる。
でも、歌といったら今陽子さん。上手~。声量もあって、聞きやすいし・・楽しい。。ただし、歌っている本人にドラマ性は感じない。
どうしてもBGM的になってしまう。だから、ほかの人の演技中に彼女が、歌うという場面が、とても良かった。
男性においては・・大澄賢也さんダンスが素敵ですね。昨今の若い方のダンスとは、ずいぶんとちがう。クラッシクというのか、社交ダンスというのか、素敵だ!
彼の歌もいい。
1月にみた『グランドホテル』出演者のバランス的には大澄さんのほうが、良かったのかな?と改めて思った。ダンスが綺麗なのが本当いい。が、元奥さん近頃、活躍し当てるのかな?奥さんも宝塚音楽学校でてましたものね。
さて、本命、泉見くん。
年齢よりもほんと可愛いって思う男性だ。30代とは思っていなかった。彼もまた可愛さの中に演技があって満足。満足。歌はもちろん好きですけど・・
今回はみなさん上手なので特に言うことなし・・かな。
泉見くんまじめって感じ(あくまでも感じで)、レミゼのマリウスで石井さんの「彼は重いんだよな~」が、思い出され、7,8月のヴァンパイヤの役は、今のままで十分いい!!と楽しみが増してきた。
楽とのことでか?大澄さんが、ダンスの先生役で生徒の皆さんに声をかけるところは、今までより長かったらしい。
香寿さんには、男役のセリフをお願いしていた。
きっとファンの人はよく知っているセリフなんだろうけど・・・私は???

ミュージカルというのは、本当にいろいろなタイプ(?)があるものだ。
大きな枠でミュージカルと今はよんでるけれど・・自分の好みも少しずつわかって
そのうちもう少しくわしくいえることがあるのだろうか?

今月、東京劇術劇場はミュージカル月間ってことだけど、ほかに何か月間ってあるのかな?
毎年この月のミュージカルは、『優秀賞』とか『小田島雄志賞』とかでるようだ。どうやって選ばれてるのかな?
またも、わからない物に出くわした気がする。

二月大歌舞伎 夜の部

2006年02月12日 | 歌舞伎
出演者の豪華にかられ、久々の一等席に座るような気がした。
花道横の7列目。私の好き~な場所をとっていただいた。ありがたい限り。
『石切梶原』
 幸四郎の梶原は、生締のかっこいい武士というには、ちょっと癖があり、どろくさいイメージが残った。また、場面全体でも、センターにいるという印象が薄い。水手鉢を切るのも同じ吉右衛門型で演じる、弟の吉右衛門に較べると、切れのようなものがない。声はいいが、セリフがはっきり聞こえないせいか?
しかし、花道に来たとき、さすが親子!染五郎はやはり父親にそっくりだったんだ。と妙に感心した。
4月に御園座で染五郎が、石切梶原を演じるそうだが、誰に教えてもらうのだろう?やはり父幸四郎なのだろうか?
一方六郎太夫の歌六。かっこよさが残こりすぎてしまって、梢の父親というより、旦那さん(彼氏)的イメージ。
この役は、亡くなった坂東吉弥さんの六郎太夫の印象がつよすぎるのかもしれない。
梢はもうこの人しかないかのように芝雀が見せる。
最近この芝居けっこう面白と仁左衛門や吉右衛門で見ていたが、幸四郎での今回は眠くなってしまった。
『二人道成寺』
 今月は、これが一番の人気演目のようだ。
普通こんなにはやく再演は、ないようだが、前回の人気の高さから希望がおおかったのだろう。
 前回は、二人が鏡のごとくのように思えたが、今回は、完全に玉三郎のつくる道成寺に圧倒されたような気がする。菊之助との差が大きく目立ったように思えた。
菊之助、一人立つ舞台は、とても美しい。が、そこに玉三郎が現れてとたん、菊之助は、少女という感じで、表情が、一つなのだが、玉三郎のつくる花子は、表情が豊かだ。可憐であっったり、可愛くあったり、また時折見せる鐘を睨みつける怨念の形相はものすごい。
これは、身体の振りでも同じことがいえた。
たぶん前回は、菊之助に合わせてという玉三郎の花子の踊りだったように思うが、今回は、まず自分の踊りをという『玉三郎の世界』のようなものを感じた。本当に圧巻であった。
菊之助も今、若さで綺麗に踊っているが、踊りに表情のようなものがでるとさらに良くなるだろう。
ただ・・後見のひきぬきは、菊之助の後見菊市郎の手際のよさに見とれてしまった。
引き抜くべき糸をさっと見分け、さっと勢いよく華麗に引く。お見事!!
『小判一両』
 これは、まさに人情噺。じわ~っと、心に余韻をのこす。
笊屋安七の菊五郎、浅尾申三郎の吉右衛門の役者の懐の大きさのようなものを昼の部同様にかんじる。そこに落ちぶれてもなんとか生活している孫吉の田之助。このひと、こんな役初めてではなかろうか?人間くささがなんともいえない。
人間いいと思ってやったことが・・気を張っていた糸を切ってしまう。相手を思いやる暖かさの空回り。なんとも切ない話だがが・・好きな話だ。
今回これが、私の周りの友人等と同様夜の部では、一番気に入った。
音羽屋と播磨屋という組み合わせ。今後もぜひみてみたい。