花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃって

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屋根の上のヴァイオリン弾き 3

2006年02月28日 | ミュージカル
土曜日アンカレの前に見に行ったのは、「屋根の上のヴァイオリン弾き」だった。
こちらも3度の観劇。
すでに、2回感動させていただき、ブログを書いて気が付いた「当初目的」だった
「パーッチック吉野圭吾さんを見よう!」と決め込んで出かけていった。

大好きな本をなんども、なんども繰り返し読む。
読むたびに違うところで新しい出会い、発見があり感動する。
それと同じように、「屋根の上のヴァイオリン弾き」にも引きこまれてしまっていた。
アンカレと違うのは、矛盾なんかどうでもいい。なんだかヘン?って感じつつも、『そんなことどうでもいいや。問題じゃない。』って思わされてしまわされてしまう舞台であったということ。
目で見るのではなくて、心に語りかけて感じさせてくれる目に見えない家族の世界が広がっていったこと。

まず、市村さんの演じるテヴィエが、「テヴィエってこんな人。」って思わさせてくれる。
けして裕福ではない、お人よしで人情に厚くて、敬虔なユダヤ教徒であり、恐妻であるながら、妻を愛して5人の愛する娘をもつお父さん。そして、かれは、酪農を営む男!って。
(お父さんではあるけれど、「モーツアルト!」の宮廷楽士であり、天才をもったレオポルトとは、姿はもちろん、気持ちもまったく違っていた。だが、あのときも息子をこよなく愛す父だった。市村さんのベテランたる「役になりきる」、「役を生み出す」素晴らしさに改めて感動。あの父があり、テヴィエが回ってきたといっていた言葉を思い出した。)
そんなテヴィエが、『いい奴』といった吉野圭吾パーッチック。
彼は、よくわからないんだけど、っまあ、いいか。テヴィエが「いい奴」いうのだから『いい奴』なんだ。と見ているほうもいい加減だ。
開演したときには、今日は、こう見よう!とおもっていたのだけれど・・・。
結果、駄目。

そんなミュージカルを帰りがけ、お父さんが、中高校生ぐらいのお嬢さんに「これをお前に見せたかったんだよ。」って、うれしそうに話してるのをみて・・なんだかとってもほほえましく聞いてしまった。(ちょっとお嬢さんのほうは困っていたいたようだけど)「親が子供に見せたくなるミュージカル」かあ。
ジキルとハイドも客席年齢高かったけど、今回は、さらに高く、さらに?けっこうご夫婦で2階席に座っているように思えたのだが、親子も多かったのかな?
これは、やっぱり日本のミュージカルにとって素敵な古典なのかも・・・。
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アンナ・カレーニナ 3

2006年02月27日 | ミュージカル
LAST観劇 3回目。25日17:30開演
2日続けてのアンカレである。
さて・・・そして、結局。
キティの歌った歌とカレーニンの歌った歌が、心に残った。
ということは、私の中に残ったのは、キティ・レイヴィン。
そしてカレーニン。

見終わった翌日、アンナのソロのフレーズも、ブロンスキーのソロフレーズも脳裏を駆け巡らない。しいて言えばアンナは「セリョージャ」って最後のところなのだけど、それがこちらが子供への愛!なんだと無理やり思い込んでみないと、歌からは息子(子供)じゃなくて・・彼氏とも聞こえてしまう。

歌舞伎は、メインキャストが、歌を歌うこととはないが、セリフをしゃべらず、義太夫がキャストの気持ちを三味線にのせ語る。そこを、「ミュージカルとおなじ」という言い方をすることもあるが、
主役の気持ちを歌った歌が、私には、今回伝わらなかったのだ。イコール気持ちが伝わってこなかった。わからなかった。残念。

井上君が、モーツアルトのヴォルフで聞かせた、「僕こそ音楽(ミュージック)」のような。
今回曲が難しかったのか?

一方、3度目にしても、やはりキティ・レイヴィンの場は、ほかの場面とは、異質だった。
パステル画と水彩画。粘土細工と紙細工、同じ芝居というものを作っていても表現方法が違う。
アンナとブロンスキーのほうが、好きな芝居表現だけれど、芝居としてどっちがよかったか?とみるなら、新谷真弓と葛山信吾の芝居が良かったわけ。だからこそ、気持ちがこちらに伝わってきた?歌も残ってしまったような。
最後の最後まであの二人の物語は、わかりやすかった。
アンナ・キティ二人が一緒に歌う「恋とはみっともない・・?♪」など、一路さんより新谷さんに耳がいってしまったのだから。
また、不器用な旦那さまカレーニンの「夜がきたなら~♪」なんて歌に姿まで浮かぶのだけど・・・

アンナの恋のライバル?ブロンスキーの気持ちを歌うべき歌が残っていない。あのアンナを追いかけていって・・一人で歌っていた曲?なんだっけ??
井上ブロンスキーのアンナに対する芝居で良かったのは最後の登場。もはやアンナがいなくなってから恋愛の大きな人生経験をつんだという若者になってから。
だから、歌がない。

さて一路さん・・・今回アンコールに子役の夏目君が登場していた。
そこで、夏目君から一路さんに手をさしのべしばし、間があって、
気づいた一路さんようやく手をつなぐ。
この様子を見たとき・・・う~ん。この人子役苦手??なんて思えてしまった。
(だから、子供がいても、成長した息子にどう接していいのか?
わかりかねたエリザベートは、表現しやすい??・・いい加減ですいません。)
お父さんの山路さんは、息ぴったり。共に手がでていた!!
山路カレーニン。
だから?父として突き放していても子供を抱くシーンが、
とっても暖かく感じたのは・・っと。
ここが最大の問題だ~と思ってしまったアンコールだった。

でもビジュアルでみたらアンナとブロンスキー美しいこの2名。
是でいいのかな?と
評判のよさに首をかしげつつ。
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ミュージカル・ワンダーランド

2006年02月26日 | コンサート
東京シティ・フィルPOPSコンサート2006

ティアラこうとう

昨日は、朝友人とおしゃべり、その後。ミュージカルのはしご、
その後、歌舞伎を見に行った友人とほぼシンデレラ時間まで会話を楽しみ・・
そんな昨日のミュージカル日記は、後に書こう。

今日はまず、今日、聞きに行った
東京シティ・フィルPOPSコンサート2006
「ミュージカル・ワンダーランド」のことを。
 
指揮・編曲 藤野浩一
ゲスト 石井一孝 新妻聖子

Program 
「サウンド・オブ・ュージック」よりメドレー
「オペラ座の怪人」よりオペラ座の怪人 ミュージックオブザナイト
「レ・ミゼラブル」よりオンマイオウン 彼を返して
「美女と野獣より」より美女と野獣
「コーラス・ライン」メドレー
「ピーターパン」よりオーバーチュアー
「アイーダ」より星のさだめ
「キャッツ」よりメモリー
「ミスサイゴン」より命をあげよう 神よなぜ 世界が終わる夜のように
アンコール
「WE WILL ROCK YOU」より
(これはQeen好きの石井さん選曲かあ??)

気になる石井一孝さん。そして生のオーケストラ、そしてS席3500円
(主催が、江東区地域振興会のせいか。料金の安さがありがた~い。)
そこで行くことを決めたコンサートだった。

2時半から15分の休憩を含んで終了は4時半。
雨降りの1日ではあったが、あたか~く心に響いたコンサートだった。
素敵な音楽、オーケストラも歌も、
しかし、石井さんのおしゃべりは、もう「ヨイショの神様」じゃないけどよ~く今日も「しゃべるしゃべる」。
「新妻さんのファンなんですよ~」としっかりヨイショ!

石井さん岡幸二郎さんとは、仲のよい友達と聞いているが、石井さんと岡さんのおしゃべりタイムがあったとしたらどんな感じになるのか??拝見したことない私は、ぜひ1度と希望してしまう。
岡さんてやたら丁寧なイメージを持つのだけど、友達会話になると別人??

そんな石井さんをカズとよぶ本日赤のジャケット着用の藤野さんも楽しい方だった。
コーラスラインの「ワン」を語るのに、「ビールが呑みたくなるんですよ。銘柄指定で。っそしてそこには・・」ってCMの設定そのものに
ついには、演奏中にビールをコップに注いで・・。
この方。1982年から中森明菜コンサートの音楽監督7年され、NHKレッツゴーヤング、紅白歌合戦。題名のない音楽会21のレギュラースタッフでもあられるそうだ。
今回はじめて東京シティ・フィルとは組まれたとも。

久々こんな多くのオーケストラを生できいたかな?と学生時代N響を聞いて爆睡して以来かも。
感動した!って言葉にするにはなんだかぎこちない、
今日のひと時、優しく、心地よく、温かく楽しい時間となった。

そして不思議なことに昨日買ったCDを含め何枚か今朝でかける前にかけていたのだが、半分以上が、聞いていた曲だったので驚いてしまった。

改めて・・・石井さんの歌声。好きです。

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アンナ・カレーニナ 2

2006年02月25日 | ミュージカル
アンナ・カレーニナ2回目の観劇。
本日も職場から速攻で劇場に向かう。
週末の疲れからか・・・席に着くとどっぷり座り込んだ。
今回もA席23列。
自分自身の中で昨日みた「屋根の上~」の影響というのでもないが、
前回とは違ってみていた。
けっこう良かった・・・。大感動、胸を打つというところまで行かないが、
場ごとに良さがでて、話も奥行きがあり、見えない風景が、芝居から想像できるようになってきていた。
初回は、原作も読み、構えてみたのが、良くなかったのだろう。
といって、今回は、何かを意識して見ようというのではなく、開演と同時に回るステージを見ながら・・
これが列車の中となるのかア。とボーっと見はじめた。
駅なら想像が出来るが、イスが豪華すぎて・・列車に見立ててはきついなあ。
なんだかイメージ合わないなあ~。なんて思いつつ、登場してきた
メインキャストやアンサンブルの皆さんに目をやる。
ブロンスキーとアンナの最初の出会いには、さほど衝撃を感じないなあ。
いいところを見せようと?事故でなくなった家族へお金を渡しに行くシーンもいるのかなあ?と、遠くからクレームをつけながらぼんやり見ていた。
さらに・・駅で兄オブロンスキーと妹アンナとの歌にウエーターとウエートレス?
男性コンビは、なかなか面白いなあ・・・でもどうしてウエートレスさんは、絡まないんだろ?とこか遠慮がち。アンナってくそまじめ!教養と理性をもってるから?と絡んじゃいけないのかなあ?なんて思いながら。

オブロンスキーの家に到着して・・その前に、キティとレイヴィン。
キティ。やはりこのお芝居ではどこか浮いてしまうのだけど、世界はある。
そしてレイヴィンもからみ芝居に楽しさを膨らませる。
そこには、キティのいる部屋が、想像できる。
そこにやってきたブロンスキーの笑顔がいい。レイヴィンの前でしっかり
自分の優位をアピールしているかのよう。
ところがアンナの登場で・なのだが、
この辺あたりからだった・・井上君の顔の表情が気になりオペラグラスから見るようになったのは・・。それまでは、とにかくボーっと原作トルストイは置いてしまえ。というかんじだった。井上君終始表情はいい。歌もいい。
だけど・・・たぶんポーズ、所作をもっとぴっちり決めて、止めるところ、胸を張るところがよければもっといいんじゃないか?服装は、似合うんだけど、表情も勉強中でしょうが・・「陸軍士官」もっとしゃきっと立って!背筋伸ばして・・とめるとこ止めて・・って身体が常に今の若者!
フェッシングのときに、相手の親友役さんをみてさらに思ってしまった。あそこだけ、お友達のほうが、かっこよかったのだもの。
フェッシング姿が素敵~と。親友君のセリフに今までは「女の・・」と女の子にもてたこともいわれてるから・・女性相手もなかなかのブロンスキー。
今まで彼女の数は数知れずの、女には自身のあるモテ男役のはずだけど、どういうわけか、初恋のような「うぶ」な感じばかりが目立っていた。
今までの「女」とは、わけが違う!というのは、わからなくもないが。
ゆえに?彼女が、亡くなって戦場に行くラストは、それなりに感動したのだが。

一方、アンナという人物に、どうも母性愛という暖かいやさしさ、目に見えないものがほとんど感じない。もちろん仕草はあるのだけど・・伝わってこない。「だったら子供置いてくなよ!」「いまさら」といってしまいたくなるところがあった。

だからこそ?余計に、言葉には出せない、不器用な旦那さまカレーニンの、男の悲しさが伝わってきてしまい、息子セリョージャへの父親の愛情表現が、痛々しいほどだった。
最後に復縁を望むが・・・アンナは??
ここもまた妙にわかりずらい。素敵な女性なのだが、女として、母親としての心の葛藤が、常に私には、わかりかねた。
最後列車に身を投げるのも・・もはや息子にあえないからか?とアンナという女性が、原作とはなれて今回もとうとうからずじまいだった。

と、この作品アンナの心が伝わってこなかった分、前回同様中途半端かと思えば、そうでなかったのも事実。
キティとレイヴィンの二人の描く舞台は、背景がなくても想像がしっかり出来るし、良くなっていた。さらにアンサンブルの市井の人たち、貴族達の表情がとてもいいのだ。

そして今日は、子役の夏目くん?もなかなかいい。

そして、けっこう音楽が、聞かせてくれるではないか。
改めて・・アレンジのよさにも聞き入る。

井上君は、あとちょっとでさらに変わりそうだけど・・もう時間ないかなあ。
一方・・わたしは、どうもエリザベート以外の一路さん演じる女性は、とても美しいが芝居の中でどういう女性なのか(性根)わからないままだ。
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屋根の上のヴァイオリン弾き 2

2006年02月24日 | ミュージカル
日生劇場に初日観劇後、再び「屋根の上のヴァイオリン弾き」を見にでかけた。
セゾンカード貸切日。でもeプラスの得チケにもあったような・・。

本日は、A席だったせいもあるのだろうけれど、初日以上に舞台に奥行き深みが出ていたように感じた。
改めて、私は、この古典的な(?)ミュージカルの曲が好きだなあ。とイスに深々と座り込んで聞き入ってしまっていた。
そして、今回はついに?市村正親の演じるテヴィエの表情を姿ばかりを2階席より見入ってしまう。舞台一人のときはまだいいのだか、たくさんの方が登場してもオペラグラスで目指すは、市村さんっといった感じだった。

化粧は、すごい・・・しずぎ~とすら思うのだが・・・とにかくお父さんはどうなんだろ?テヴィエはどうなんだろ?と。

たしか今回、吉野圭吾パーチック目的だったはずなのに・・。
パーッチックが気になったのは、登場したとき、チーズを食べているところ。
そして彼の指!私は、指ファチかあ??

ただ今回は、警官の石波義人さんの立ち退きを宣言するところが
歌舞伎の菅原伝授手習鑑の「松王」に重なってしまって・・・
歌舞伎を引き合いにだすか~っといわれそうですが、
ついつい

よかった。よかった

最後挨拶で、セゾンでまた帝劇のヴァンパイヤも・・っていって
今回の出演者にもいます。って紹介してたけど・・
あのセゾン会員は・・・やたら手数料取られたからなあ・・
チケット思うほど・・セゾンは裁けていないのかしら??
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京鹿子娘道成寺から京鹿子娘二人道成寺 4

2006年02月23日 | 歌舞伎
歌右衛門と梅幸この2人について「京鹿子娘道成寺」で比較している本がある。
渡辺保 著『日本の舞踊』だ。

彼の演劇評は、かなり彼の好みが、反映されていると思うが、この2人のことについてはあ、なかなか興味深い
先にも書いたが、この2人が「歌舞伎座」と「演舞場」という近い場所で同じ月に踊ったのは、昭和30年6月だそうだ。

2人の基本は変わらない。にもかかわらず本質的に違いがあったそうだ。
手踊のとこで、
古風で鷹揚なしかも木目込みの人情のような無機質な踊の面白さのある梅幸それに対し、
歌右衛門は独特の感性的な濃厚な世界が出現すると。
梅幸は、自分の個性を消して「娘道成寺」を踊り、
歌右衛門は、個性で踊る。
梅幸は、自分の身体の外にイメージを作り、
歌右衛門は、自分の身体そのものをイメージすると。

一般には、歌右衛門は、古風で、梅幸は、現代的といわれていたそうだが、
渡辺氏は逆だという。

ただ、梅幸の踊りは、あかるく、温かく、ふんわりと、柔らかな芸風があって
それが心理的で近代的少女を描き出す。

歌右衛門の花子の踊りはまったく違うようだ。

あまり書いてもなんだ・・この二人のことここまで並べているのは・・
あったかな?

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京鹿子娘道成寺から京鹿子娘二人道成寺 3

2006年02月22日 | 歌舞伎
今は亡き歌右衛門が、「『道成寺』は私の出し物の中で最も多いものです。」山川静夫著「歌右衛門の六十年」の中でといっている。(本の中では1200回近くとなっている)

六世菊五郎の『道成寺』も数知れずなのではないだろうか?
六世というより六代目と、よんだほうがなんとなくしっくりくる菊五郎。
 現在の芝翫は、成駒屋ではあるけれど、六代目からの菊五郎型流儀が、8割占めているそうだ。これは芝翫芸模様の中で六代目からしっかりう教えてもらったときの様子が書かれている。(平成12年9月 歌舞伎座一世一代の舞台となった)
その中で、六代目が、それまでの道行の赤い衣装から今は、しきたりのようにもなっている黒の衣装になったエピソードも紹介されている。
太っていた菊五郎は、赤地に桜の総縫いでは余計に太って見える。
京都でたまたま久枝さん(六代目の長女で現勘三郎のお母様)のために買った友禅があったので、その周りに糸巻きの縫い取りをしてみようということになったそうだ。
また、金冠(烏帽子)の中啓(扇)の柄も音羽屋は牡丹の花。成駒屋はまん幕に火炎太鼓。
花笠踊りでは、成駒屋方は袖を帯留にはさむけれど、音羽屋は、そのままと。

六代目がいろいろな工夫をしたのは有名な話だそうだ。
たとえば、道行の「ひらり帽子」の留め針がその紋にむかって左側にしたのは、床山さんが、さす場合で、白拍子自身がさすのだから右側だとしたという。
(といって今となっては、それが当初から行われたようになってしまっていることもあろう。)

しかし、踊りの名手といわれる六代目菊五郎に舞踊を習っていた二代目松緑は、
新潟の西吉田で「道成寺」がでたとき、機嫌が良かった菊五郎、
「おそらく「道成寺」をあんなにきっちり踊ったのはあの時が最後だたんじゃないですか・・」なんてエピソードを『踊りの心』で語っている。
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ディズニー映画「南極物語」

2006年02月22日 | きまま
フジテレビが製作した「南極物語」(一九八三年)のリメーク版の米映画が興行収入チャートで初登場一位となったとのこと。

有名なタロ・ジロの実話を基に、南極の厳しい環境の中、15匹のカラフト犬の生への奮闘と南極観測隊員たちの姿をスケール感たっぷりに描いた映画だった。
東京タワーの下にはたしかそのタロ・ジロたちの像が出来たはずだが・・今もいるのか?

原題「エイト・ビロウ」(フランク・マーシャル監督)。

日本ではオリジナル作品と同じ「南極物語」の名前で、3月18日から公開の予定だそうだ。

最近、この手のリメーク版増えてきたなあ。
歌舞伎の演目、ミュージカルでやらないかなあ。
南北でも黙阿弥でも近松でもいいかな。


公式サイト
http://www.disney.co.jp/movies/nankyoku/index.html
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京鹿子娘道成寺から京鹿子娘二人道成寺 2

2006年02月22日 | 歌舞伎
<クドキにつかわれる手拭>
恋の手習いで使う手拭は、普通のものより五割方長いそうだ。しかも、木綿ではなく縮緬で比翼紋つき。普通は家の表紋と替え紋が、使われるが、二人道成寺では、二人の紋を重ねた趣向となる。

手拭を使うようになったのは、「舞」ではなく、「踊」になってからという。
民衆の使う生活必需品。が、それ以上に心が、あるとされているようだ。
今でも何かの記念に手拭を配る風習があるのは、単なる生活のためだけの必需品でないことを意味しているらしい。
一方、この手拭。労働する男性の汗や体臭がしみこみ、出かけていく時に恋人に残していくという風習もあったそうだ。
そこで手拭いが、恋の踊りには必要となってきたようだ。
『クドキに手拭を使う』
手拭を口にくわえたりとはかなり男性を隠喩していることがあるようだ。
濡れごとにも縁あるものとされ、口にくわえるほどではないものの男女の逢瀬へのイメージへの発展もあるとのこと。
さて、道成寺の手拭の踊。
このとき色っぽく見える女性は、男性を知るか知らぬか?
けして断定されてはいない。男を知っているとして踊るという、成熟した女性として踊るという人もあれば、七世三津五郎のようにあくまで女性は男を知らないという踊りもある。
 しかし、けして色っぽく踊ることを否定しているわけではないので、踊りをみて、彼女はどっち?と聞いたか坊主なみに想像をめぐらしてみる。

さて、このクドキの後、舞台から手拭をなげるのは、恋の踊りをこめて、舞台と客席を結ぶ祝儀の意味に転じた「かぶき心」なのだそうだ。
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生物彗星 WoO

2006年02月21日 | きまま
『生物彗星 WoO』は、NHK衛星ハイビジョンで4月9日(日)から始まるという
日本発のハイビジョンの特撮ドラマだ

ある日、地球に接近していた謎の彗星が大爆発を起こし、その破片が全世界に降り注いだ。中学生の少女・神代アイは、破片から誕生したWoOと次第に心を通わせていく。しかし、WoOを危険な生物と見なす防衛隊は、二人を追いかける。さらに、彼らを狙って巨大怪獣が次々と出現。アイとWoOの逃亡生活が始まる
ってな話

NHKが円谷プロに「ハイビジョンでミュニチア特撮を」と持ちかけたのがきっかけだそうだ
この WoOがけっこう可愛くて目に入ってきたのだった
主人公が女の子ということで、宇宙の可愛いキャラということだそうだ。
名前は「アイ吉」キメポーズもVサイン

なんとなく特撮やハイビジョンが話題になりそうだが、WoOが変身した
「アイ吉」が目に留まってしまった

http://www.nhk.or.jp/woo/
紹介されている
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