道路を歩いていると頻繁に耳にする声(音)。「左へ曲がります。ご注意ください。」大型トラックが左折する時に、右側にある運転席から死角になる左側で、歩行者や自転車を巻き込まないようにするための警告のメッセージ。何気なく歩いているときにこういうメッセージを聞くと一瞬ビクッとして立ち止まり安全を確認するようになるからそれなりに有益だ。尤も、例えばガソリンスタンドがあるなどで頻繁に大型車が左折するようなところに住んでいたら騒音でしかないだろう。
自分が大学に通っていた70年代はまだ学生運動が活発な頃で、時々一部の左翼の学生が大学の一部を占拠し、授業ができないことがあった。図書館が開いていればよかったのだが当時図書館は封鎖の対象になっていることが多かったのでそうなると行く当てもなくなる。親しい友人にでも会えば喫茶店などで時間を潰すこともできたが、そうでないときにはすぐに帰宅する気にもなれず、しかたなく書店巡りをすることになる。最近は、大きな書店だと座る場所があってそこでしばらく本を読めるのだが、当時はそういうところはなかったから、あまり長い時間を書店で過ごすことは難しかった。もちろん時には思いかけず面白い本に出会うこともできたので、必ずしも悪いことばかりではなかった。
今のように書店に本を読むスペースが設けられたのはいつごろからか知らない。しかしこういう形の書店はアメリカで発達したということを聞いたことがある。アメリカではわざわざ図書館を建設することは大事業であり、図書館を代替するために書店がその役目を一部果たしていた、と。書店に対していくらかの財政支援がなされれば書店としても経営上やりやすいだろう。広いアメリカのこと、書店が読書スペースを設けることくらいそう大きな問題ではなかったのではないか。新刊やベストセラーなら真っ先に読めるし、もしそれが興味を引くようなものであれば、買って自宅で読むことになる。社会的責任を果たしながら経営にもプラス、書店として決して悪い話ではない。
一方、古くから図書館の伝統のあるイギリスでは、図書館を利用する人が多かったように思う。小さな町にも図書館があって、大体において伝統を感じさせる重厚な建物が多かったし天井も高くゆったりしているから日がな一日そこで過してもよい。それにただ静かだというわけではなく低い声が時々聞こえてくるというのも人とのつながりを感じることが出来て落ち着く。イギリスの高齢者の中に図書館通いが病みつきになる人がいる、というのも判るような気がする。
翻って、杉並区の自宅近くにある区立図書館は小さいがいつも大勢の人が来ている。新聞を読む人や受験勉強にいそしむ人などそれぞれだ(尤も現在はコロナの感染防止のために長時間の滞在や入館人数に制限が設けられているが)。この場所にはかつてわりと有名な医学者の邸宅があった。庭に埴輪のようなものが建てられていた豪邸だったが多分相続に伴って手放されたのだろう。ほかの施設ではなく図書館になったのは幸運なことだったと思う。
大型トラックの警告のメッセージを耳にすると、入学当初は政治に無関心だったのにしばらくしたら、かなり過激な学生運動にのめりこんでいった学友のことが思い浮かぶ。卒業近くになって学生運動からは距離を置いていたようだったが、就職の時にはいささかそのことが影響したようだった。当時から、この「左へ曲がります。ご注意ください。」があればよかった? 日本では運転席が右側なので、「右へ曲がります。ご注意ください。」というのはない。
散歩の際に時折通ったロンドン、ウィンブルドンライブラリー。
夏の間は平日朝9時から夜10時まで開館。