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回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

真夜中に

2025年08月07日 14時04分54秒 | 日記

このところ真夜中に目が覚めてそのまましばらく寝付けないことが時々ある。たいていは他愛もない夢を見て目が覚めるのだが、眠ろうとすればするほど次から次へといろいろなことが頭に浮かんできて、それが堂々巡りのように何度も繰り返される。無心になればすぐにも寝つけそうなものだが、さして重要でもないテーマが回転扉のように繰り返し頭に浮かんでくる。このままでは寝不足になるのではないか、明日(今日?)の予定に差し支えるのではないかと思うとなお一層目が冴えてくる。

仕事の忙しかった時分、同じように夜中に突然目が覚めることがあった。仕事上のストレスだとも思われたが時には思いもかけず問題の解決に役立つようなアイデアが浮かんできたり、また、行き詰っていた書類の書き出しが浮かんできたりして、人は寝ている間にも何か考えているものだと思った。

尤も堂々巡りのつまらぬ思いに纏わりつかれたとは言っても、そのうちまた眠りに落ちているのだからあまり不平を言うほどのことでもないのだろう。

先日、かつての同僚から突然電話があった。同じ部署にいた同僚の奥方が数か月前にすい臓がんで亡くなったと。奥方に先立たれて落ち込んでいる彼を励まそうとかつての部署のうちの親しかった者で彼を夕食に誘いたい、ついては参加してもらえるかというものだった。彼は自分より2年ほど若いが仕事帰りに八重洲の北海道の郷土料理を出すところで何度か飲んだことがある。彼は某商社にヘッドハントされて転職してしまったこともありここ10年ほどは音信不通だった。はたして配偶者を亡くしたひとを励ますなどということが出来るのかよくわからないが、一夜気の置けない連中に囲まれて何か美味いものでも食べればいくらかは元気になるかもしれないと思って参加することにした。

6月にロンドンを訪れた際の写真のいくつか。

大英博物館図書室

イギリス東部、DEALのレストラン

セントパンクラス駅

パリ往きユーロスター

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B787-8

2025年06月15日 20時08分56秒 | 日記

13日の昼にあるロンドンでの会議参加のため午前0時20分羽田発のJAL41便で、午前6時半ロンドンに到着した。出発の直前、インド航空のロンドン(ガトウィック)行が墜落したとのニュース。飛行機は全く同じボーイング787-8と聞いて何だか出鼻をくじかれたような気がした。ただ好調なインバウンド客のせいかそれでもこの便は満席。

787-8は、今ではどこの空港でも目に入るくらい人気の機種で、初めて日本に導入された2011年、それを利用した同僚がその静粛性や快適さ褒めちぎっていたのを思い出す。ブラインドではなく自分で調光できる窓や先端が刀のように鋭くとがった、わずかにそり上がった主翼はたしかに斬新だった。ただ、個人的にはたとえば747や777のような重厚さを感じられない憾みもあった。

シティでの昼食の後、英蘭銀行のそばを通りかかったら、インド航空墜落事故での53人のイギリス人犠牲者を悼んで屋上に半旗の英国旗が掲揚されていた。今回の事故原因が787-8の機体によるものなのかは今後の調査によるが結果次第では月末の帰国予定に何か影響があるかもしれない。

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春の北海道・知床(しれとこ)

2025年05月26日 18時06分11秒 | 日記

5月12日、初めて知床半島を、車で訪ねてみた。好天に恵まれ、まだ観光客のすがたはまばらで、久しぶりの運転はそれほど苦にならなかった。知床連山の残雪が春の陽に輝いて美しい。新緑は眩しく、芽吹いたばかりの木々は若々しさにあふれていた。

知床峠からみる国後島は驚くほど近くに感じられた。ウクライナに侵攻している国が、すぐ目の前にある日本の領土を不法に占領して80年、かつてこの島に暮らしていた日本人のことを思うと胸が痛む。

知床斜里駅

天に続く道

知床連山

知床峠

知床峠から望む国後島

 

 

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合格者発表

2025年03月10日 18時35分43秒 | 日記

ここ数日、多くの大学の合格者発表が相次いでいる。すっかり他人事になっているが、考えてみれば(考えるまでもないか)自分もかつて人と同じように受験―合格発表という経験をしたものだ。

個人情報保護の叫ばれる今では考えられないことだが自分が受験した半世紀ほど前は、発表当日朝ラジオと新聞の速報で合格者の名前と出身高校名が流されていた。その日、どういう経緯か家の中が慌ただしくしていて、そんな時に家の電話が鳴り近くにいた自分がとってみると叔母の一人が合格のお祝いの電話をしてくれたのだった。その時は当たり障りのないお礼を言ったのだと思うがその叔母は教育熱心というか、自分の子供のことも含めて大学進学には並々ならぬ関心を寄せていた。だから、正直なところその電話の声の中に何か複雑な感情が込められていたように感じてしまったことを覚えている。

当時、自分にはこういう時に連絡しあうような友達もおらず、また父親は平素から受験のことで何か言うようなことはなかった(あとで聞いたところでは、父親の知り合いには無事合格して安堵した、と言っていたらしい)からその日は特に何もなかったような気がする。

ある程度自信があったという気もする一方で一抹の不安があったのは事実で、発表の後、立ち込めていた将来への不確実性が一つ減って、立っている地面がしっかりと固まってきたような感じがした。また、早春という言葉がぴったりの3月の冷たい澄んだ空気を突然差し込んできた朝陽が切り裂いて、すぐ近くに来ている春の匂い運んできたようにも思えた。

ただ、少し落ち着いてみると、癌との長い闘いの末前年九月に他界した母にこのことを伝える術のないこと、自分のとった母への態度を思い出すと息を詰まるような悔悟の念が湧き上がってきた。口に出すことはあまりなかったものの、最後まで自分のことを一番に心配してくれていたのが母だということはよく判っていた。

かつて自分に受験という過酷な数年を生き抜く気力や体力のあったことは何か信じられないような気がする。しかし、今の自分があるのは、ここを通過してきたからに他ならないことは確かだ。

 

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テレサ・テンを観る

2025年02月24日 17時54分29秒 | 日記

今日の午後4時20分、NHK総合テレビの「伝説のコンサート」は1985年NHKホールでのテレサ・テン コンサートだった。ほぼ同時代を生きて、今年で没後30年になる。ロンドンで彼女の訃報に接した時は何か目の前で風船でも割れたような虚脱感を感じた。

このコンサート、彼女の持ち歌はもちろんジョージ・マイケルの「Careless Whisper」やジェニファー・ラッシュの「Power of love」のカヴァーは圧巻だった。

そして、アンコール前の最後の曲、純白のウエディングドレスで歌った「ジェルソミーナの歩いた道」も。

George Michael - Careless Whisper (Official Video)

Jennifer Rush - The Power Of Love (Official Video) (VOD)

ジェルソミーナの歩いた道 テレサ テン 邓丽君

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