回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

LPレコード

2024年09月15日 15時00分33秒 | 日記

先日の家の外壁塗装で思い出したのだが、この家を新築した時に買ったのがパイオニア製のステレオセットだった。1970年代、ステレオセットというとまだ家具の一部のようなもので、重厚で木目調、と言ったふうに随分大柄だった。勿論、そこにはレコードをかけるためのレコードプレイヤーもあった。応接間においてあったそのセットはいつの間にか処分されて、大きなスピーカーのあったところには代わりに飾り棚が鎮座している。

取り扱いが簡単で小さく、それでいて忠実な再現性のあるCDに押されて一時期はすっかり廃れてしまったように思われたLPレコード。買いためたLPレコードは場所を取るし引っ越しの際にも荷物になったが、どうしても処分する気になれずに随分と長い間書斎の奥に眠っていた。家電量販店でも、マニア向けの高額なものはともかく、一般向けのレコードプレイヤーはわずかに。特に最近では音楽はダウンロードして聴くもの、になってCDすら時代遅れになったような感じがする。

しかしここ数年、レコードの復権なのか、さほど高価でないレコードプレイヤーが登場してきたので思い切って3万円ほどのソニー製を買ってみた。特に用のない日曜日の午後、眠っていたLPレコードの中から見つけたのが、カラヤン指揮のベルリンフィルとラザール・ベルマンによる、誰もが知っているチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。今から49年前、1975年の録音。何度も聞いたはずだが今回聴いてみると特に傷んでもおらず、雑音もなく、むしろレコードだと思うせいかしっとりとした柔らかい音色で耳に心地よかった。

二人ともとうにこの世を去っているが、音楽はいつまでも残る。ベルマンといえば、彼のデビュー盤ともいえるリストの『超絶技巧練習曲』に驚愕したカラヤンにギレリスが言った「リヒテルと私のふたりが、4本の手で対抗しても勝てそうにないピアニスト」というコメントが思い出される。カラヤンの指揮を最後に見たのは、1984年、ザルツブルグ音楽祭(オーストリアの銀行に勤める友人からの招待で切符が手に入った)での「ばらの騎士」。老齢のせいか、その時のカーテンコールで少しよろめきながら出てきた彼の姿が印象的だった。

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23年目を迎えて

2024年09月11日 22時10分09秒 | 日記

「911」と言ってもすぐにピンとくる人は少なくなっているかもしれない。ニューヨーク同時多発テロ事件発生から今日で23年が経った。あの年に生まれた人の多くがもう社会人になっている。あの時ニューヨークに駐在していた、40代だった自分もこの年月の長さを実感するこの頃。

それでもあの日の澄み渡った青空や、倒壊したワールドトレードセンタービルから散逸した紙切れが風に乗ってダウンタウンを舞う風景、そして何かが焦げたような匂い、それらは色あせることなく今でも鮮明に覚えている。

21世紀が始まったばかりに発生したあのテロ事件は、今思えばこの世紀が戦争と殺りくにまみれたものになることを予言するものだった。突然無辜の市民を襲ったこの事件は、ロシアによるウクライナ侵略やハマスの襲撃にもどこかでつながっているように思える。

テロの数日後、ハドソン川越しに望んだ、倒壊したビルの跡地から放たれたレーザー光線はツインタワーの幻影となってニューヨークの夜空をどこまでも昇って行った。

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エッフェル塔

2024年09月03日 21時42分25秒 | 日記

フランス・パリの市長がオリンピックに伴いエッフェル塔に設置された五輪マークを恒久的なものにする意向を示したことが物議をかもしている、という報道があった。

4年に一度(今回は3年ぶり)のオリンピックが盛り上がるのは、どこでもいつものことだ。いかにIOCの商業主義が批判されようと、あるいはその政治姿勢に疑問を持たれようと、ひとたび競技が始まれば、世界最高の競技者の極限まで磨き上げられたそのすがたを目にして感激しない者はいないだろう。このオリンピックが盛り上がったのは、そこがパリだったからではなく、競技者が現時点で最高の成績を披露したから。

開会式でのセリーヌ・ディオンの唄った「愛の賛歌」やマリーアントワネット処刑と「最後の晩餐」を暗示する、あの華やかな演出は今やだれも話題にしない。オリンピックはそのように消費され、過ぎてしまえばばすぐに忘れられるもの。

一方、パリはオリンピックのような一過性の祝祭を超越した文化の集積した都市であり、またエッフェル塔はこの135年パリを見続けてきた。パリの空にそびえるこの塔は現代パリの一部になっていると言ってもいいと思う。

エッフェル塔の五輪マークがこれからどうなるのかはパリ市民およびフランス国民の決めることである。どのような決定が下されるにせよ、そのことでパリの魅力が損なわれることはないだろう。永遠の都市とはいつも何かの試練に晒されそれを乗り越えてきた。特にパリのようにローマ帝国時代から営々と生き延びてきた都市は。

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花火中継

2024年09月01日 19時29分04秒 | 日記

昨日、NHK BSで秋田大曲の花火大会が放送されていた。

「創作花火」のタイトルと、打ち上げと一緒に流される音楽が微妙・・・勝手だが、音楽は時には耳障りだった。風がなかったせいか、何時までも煙が残っていてそれが視界を時々遮っていたのも残念。

途中、何かのトラブルで打ち上げがしばらく中断、そのためか結局最後までは見られずに放送終了。トラブルの当事者の花火師はいろいろと大変だったろう。こういうことが起きるのが中継番組のリスクかもしれない。

いくらテレビの画面が良くなったと言っても実際に見る迫力には遠く及ばない。いつかまた花火見物に行ってみようか。

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長すぎる前奏

2024年08月31日 17時28分11秒 | 日記

コロナの呪縛から解放されてこのところ飲食を伴う会合に出席することが多くなった。つい先日出席した某ビールメーカーが主宰した例会は普段以上に盛会だった。やはり人は膝附併せて酒を飲むことが好きなのだろう。

大学同期の友人から久しぶりに飲まないかと誘われたのもそのころ。結局、一昨日、大学でアメリカ文化学を教えていた教授と元商社マンだった、今は一線を退いている3人で地酒がうまいという料理屋で会うことになった。近況などとりとめのない話が続いた(この3人の会では年金や病気、孫の話はしないことが不文律)あと、件の大学教授が口火を切って近頃読んだ小説とは、という話になった。こちらから、最近の小説は難解というのかあまり楽しめないと話をしたところ、両人も同様な意見だったが、元商社マンの友人からは、今になって19世紀のフランスの小説を読むのが楽しくなってきた、と言い出した。そのなかでも特にバルザックの「ゴリオ爺さん」のような喜劇とも悲劇ともいえるもの。これがあくなき出世欲の話なのか、あるいは社会派の小説なのか意見は分かれるだろうが、パリの当時の実相が良く描かれていているのが特に良かった、と。

この時期のフランス小説では同じくバルザックの「谷間の百合」(これは一種の不倫小説?)のような悲劇もあれば、スタンダールの小説群など何度読んでも飽きないものがある。

この両氏の話、問題は前置きと後講釈が長すぎることだ。長すぎる前奏と後奏を聴いているようで、古い話ながらイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」思い出した・・・

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