本日(12日)より、いよいよ前期本科がスタート。「毎日小旅行」の日々の始まりです。そう、私の大好きな(笑)多忙な毎日が。
それも、来週半ばくらいまでがピークでして。4月の中旬は司法試験予備校の直前模試と重なりまして、その採点であるとか、解説講義の収録と見事に重なります。毎日、えらいたくさん答案が宅急便で我が家に届きます。クロネコヤマトのお兄さんとはもはや顔なじみ。部屋中、答案だらけです。
そんなこんなで、毎年だいたい2500通くらいの論文答案(大学受験予備校の小論文が1000通、司法試験の答案が1500通くらい)を添削することになるんですが、最近、答案が「語る」というような感覚がわかってきました。答案を見ると、わかるんです。合否とか、今後伸びるか伸びないかとか、一生懸命やっているとかどうか、とか。2500通っていえば、おそらく国内トップクラスのはずですから(ある小論文の参考書に「年間1000通もの答案を添削する講師が…」という記述を見つけたことがある:笑)。
ぱっとみてわかることが、「本気」で書いているかどうか。
はじめから「本気」がわかる人もいれば、ある時期を境に「本気」になる人もいて、逆に最後まで「本気」になれない人もいる。これが合否にどう影響するかは説明を要しないでしょう。毎回の演習で、得るものが全く違いますから。
で、言えること。
「本気」になったからって絶対に受かるとは限らない。
しかし、「本気」にならなきゃ受からない。
要は、合格にとって十分条件ではないが必要条件ではあるということ。
コレ、特に司法試験予備校で教えていると痛感します。まさに人生懸けた試験ですから。合格して法曹になれるか、あるいは…。司法試験というのは過酷なもので、受からない場合、「30歳で職歴なし」ということになりやすく、そうすると、正社員での就職は極めて難しいのですね。まさに「天と地」なので、それがわかっている人は危機感を持って「本気」でやる。そうすると、伸びる、受かる。そういう人たちが競うわけですから、「本気」にならなきゃ、よほどの天才でもない限り受からない。
これに近い状況になるのが、医学部受験でしょうか。同じことが言えます。
逆に、この構図が成立しなくなりつつあるのが、最近の一般的な大学受験。07年の全入時代到来あたりから顕著です。今日、厚木のSさん(そう、あの厚木校ADのSさん)もおっしゃっていましたが(あえて敬語)、「何とかなると安心してしまっている」「安直な途を模索する」「受動的である」「エンジンがかからない」のが最近の傾向。
…何かを得るには、それ相応の犠牲が必要なのですよ。これ、本当に大事なこと。手にする結果は、払った犠牲に比例します(原則として)。学園祭も楽しんで、バイトもして、部活もやって、恋愛もして、テレビも見て、遊びも十分して、それでも「合格」、なんてことは通常まずあり得ない(もちろん、何ひとつしちゃいかん、という意味ではないのですが)。世の中、そんなに甘くない。
「腹くくってやった」人に、素敵な結果はついてきます。
「人が羨む結果」が欲しい人は、「人が憐れむ」犠牲を払うもの。
「人と同じ犠牲」の場合、「人と同じ結果」に終わるもの。
これは受験だけでなく、仕事をしていく上でも同じでしょうか。
だから、まずは「腹くくる」決意から、それが「受験生入門」となりましょう。
それができると、びっくりするほど伸びるものなんです。おそらくこのブログを見てくださっていて、今年から私の後輩になる○○さんや、@さんなんかはこの意味が身にしみてわかるんじゃないかと。
周りがダッシュしていない時期だからこそ、自分がダッシュすれば前の人にも追い付きやすいし、横の人には差を付けやすい。4月、5月ってそういう時期です。そういう意味で大事です。
続きはまた明日。
それも、来週半ばくらいまでがピークでして。4月の中旬は司法試験予備校の直前模試と重なりまして、その採点であるとか、解説講義の収録と見事に重なります。毎日、えらいたくさん答案が宅急便で我が家に届きます。クロネコヤマトのお兄さんとはもはや顔なじみ。部屋中、答案だらけです。
そんなこんなで、毎年だいたい2500通くらいの論文答案(大学受験予備校の小論文が1000通、司法試験の答案が1500通くらい)を添削することになるんですが、最近、答案が「語る」というような感覚がわかってきました。答案を見ると、わかるんです。合否とか、今後伸びるか伸びないかとか、一生懸命やっているとかどうか、とか。2500通っていえば、おそらく国内トップクラスのはずですから(ある小論文の参考書に「年間1000通もの答案を添削する講師が…」という記述を見つけたことがある:笑)。
ぱっとみてわかることが、「本気」で書いているかどうか。
はじめから「本気」がわかる人もいれば、ある時期を境に「本気」になる人もいて、逆に最後まで「本気」になれない人もいる。これが合否にどう影響するかは説明を要しないでしょう。毎回の演習で、得るものが全く違いますから。
で、言えること。
「本気」になったからって絶対に受かるとは限らない。
しかし、「本気」にならなきゃ受からない。
要は、合格にとって十分条件ではないが必要条件ではあるということ。
コレ、特に司法試験予備校で教えていると痛感します。まさに人生懸けた試験ですから。合格して法曹になれるか、あるいは…。司法試験というのは過酷なもので、受からない場合、「30歳で職歴なし」ということになりやすく、そうすると、正社員での就職は極めて難しいのですね。まさに「天と地」なので、それがわかっている人は危機感を持って「本気」でやる。そうすると、伸びる、受かる。そういう人たちが競うわけですから、「本気」にならなきゃ、よほどの天才でもない限り受からない。
これに近い状況になるのが、医学部受験でしょうか。同じことが言えます。
逆に、この構図が成立しなくなりつつあるのが、最近の一般的な大学受験。07年の全入時代到来あたりから顕著です。今日、厚木のSさん(そう、あの厚木校ADのSさん)もおっしゃっていましたが(あえて敬語)、「何とかなると安心してしまっている」「安直な途を模索する」「受動的である」「エンジンがかからない」のが最近の傾向。
…何かを得るには、それ相応の犠牲が必要なのですよ。これ、本当に大事なこと。手にする結果は、払った犠牲に比例します(原則として)。学園祭も楽しんで、バイトもして、部活もやって、恋愛もして、テレビも見て、遊びも十分して、それでも「合格」、なんてことは通常まずあり得ない(もちろん、何ひとつしちゃいかん、という意味ではないのですが)。世の中、そんなに甘くない。
「腹くくってやった」人に、素敵な結果はついてきます。
「人が羨む結果」が欲しい人は、「人が憐れむ」犠牲を払うもの。
「人と同じ犠牲」の場合、「人と同じ結果」に終わるもの。
これは受験だけでなく、仕事をしていく上でも同じでしょうか。
だから、まずは「腹くくる」決意から、それが「受験生入門」となりましょう。
それができると、びっくりするほど伸びるものなんです。おそらくこのブログを見てくださっていて、今年から私の後輩になる○○さんや、@さんなんかはこの意味が身にしみてわかるんじゃないかと。
周りがダッシュしていない時期だからこそ、自分がダッシュすれば前の人にも追い付きやすいし、横の人には差を付けやすい。4月、5月ってそういう時期です。そういう意味で大事です。
続きはまた明日。
僕はよく寝る前に一年間のプランを考えています。
そうすると、危機感を覚えるんですね。「あれ、思ったより入試まで時間がないじゃん!!」と。
危機意識を持つと自然とやる気がでるんですよね。つまり、「本気」になれる。
受験生のみなさん、一年間の我慢で楽しい生活が4年間もできるのですから、一年ぐらい本気になりましょう!
以前「予習はいらない」とおっしゃっていたような気がしますが…
hauhさんへ
記事にしておきましたー。予習不要です。明後日(明日?)からですね。頑張っていきましょう!