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大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

京阪電鉄宇治線 木幡駅!

2020年05月14日 | 

京都府宇治市にある木幡駅は、中書島駅から宇治駅までを結んでいる京阪電鉄(初代)宇治線(7.6km)の駅として、1913(大正2)年6月1日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する有人駅(早朝・深夜は無人)です。
上り・下りそれぞれのホームの宇治寄りにコンパクトな駅舎(改札口)がありますが、改札内で上下線ホーム同士の移動はできません。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は5,155人で、これは起終点駅を含む宇治線の全8駅中5位です。

木幡駅が属する京阪電鉄宇治線は、京都・大阪から宇治周辺の名所への行楽路線であり、また京都市伏見区・山科区南部や宇治市北部の宇治川右岸と京都市中心部や大阪方面を結ぶ通勤・通学路線でもあるります。そして、六地蔵駅~宇治駅間が西日本旅客鉄道(JR西日本)の奈良線と並行しています。 

  <木幡駅の年表>

 ・1913(大正2)年6月1日:京阪電鉄(初代)宇治線の駅として開業
 ・1934(昭和9)年9月21日:室戸台風が来襲し、停電と浸水で全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1934((昭和9)年9月27日:営業再開
 ・1935(昭和10)年6月29日:山科川が氾濫で浸水して全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1935(昭和10)年7月1日:営業再開
 ・1935(昭和10)年8月11日:宇治川が氾濫で浸水して全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1935(昭和10)年8月13日:営業再開
 ・1943(昭和18)年10月1日:太平洋戦争中の陸上交通事業調整法に基づく戦時企業統合政策により、京阪電鉄と阪神急行電鉄が合併して京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)となり、同鉄道の駅となる
 ・1949(昭和24)年12月1日:京阪神急行電鉄より京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の各路線が分離譲渡される形で京阪電気鉄道(2代目)が発足したことにより、同鉄道宇治線の駅となる
 ・1981(昭和56)年4月6日:下りホームの駅舎を改築、ホームに視覚障害者用誘導ブロックを設置
 ・1986(昭和61)年4月1日:朝と夕方のラッシュ時に禁煙タイムを実施
 ・1989(平成元)年10月1日:プリペイドカード「Kカード」の利用が可能になる
 ・1994(平成6)年5月1日:喫煙所を除き駅構内終日全面禁煙化
 ・1998(平成10)年2月27日:構内踏切を廃止
 ・1998(平成10)年4月 :上り・下りそれぞれのホームに車いす用のスロープを設置
 ・1999(平成11)年4月1日:「スルッとKANSAI」対応カードが利用可能になる
 ・2004(平成16)年8月1日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2006(平成18)年1月21日:ICカード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始により、TOICA・manaca・Suica・PASMO・Kitaca・SUGOCA・nimoca・はやかけんが利用可能になる
 ・2015(平成27)年4月1日:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 
(宇治方面を望む)

 
(踏切上から中書島方面を望む)

 
(下りホームの駅舎)

 
(上りホームの駅舎)


 撮影年月日:2019(令和元)年12月7日


 今日もご訪問有難うございます


紀勢本線 川添駅!

2020年05月13日 | 

三重県多気郡大台町上楠にあるJR東海の川添駅は、亀山駅から紀伊半島を海沿いに新宮駅、紀伊田辺駅を経て和歌山市駅までの384.2kmを結んでいる紀勢本線の一般駅として、1923(大正12)年9月25日に開業しました(開業時は紀勢東線に所属)。

長い相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換可能な無人駅です。
2000(平成12)年2月に完成したコンパクトな駅舎が上りホーム(松阪・名古屋方面行きホーム)側にあり、下りホームへは跨線橋で連絡しています。

2017(平成29)年度の1日の平均乗車人員は71人です。

川添駅が属する紀勢本線は、紀伊半島を海沿いに半周する路線で、新宮駅を境に東側のJR東海が管轄する区間は非電化であり、西側のJR西日本が管轄する区間は直流電化されています。 そして、亀山駅~新宮駅(構内のぞく)間はJR東海の東海鉄道事業本部、新宮駅~和歌山市駅(構内のぞく)間はJR西日本の和歌山支社が管轄しています。

 <川添駅の年表>

 ・1923(大正12)年9月25日:国鉄紀勢東線の終着駅として開業
 ・1925年(大正14)8月15日:当駅~三瀬谷駅間が開業したことにより、途中駅となる
 ・1959(昭和34)年7月15日:紀勢東線が紀勢本線の一部となり、同線の駅となる
 ・1983(昭和58)年12月21日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる
 ・2000(平成12)年2月 :現在の簡易駅舎が竣工
 ・2011(平成23)年9月4日:台風12号の被害で紀勢本線の一部区間が被害を受けたことにより、営業休止
 ・2011(平成23)年9月6日:多気駅~尾鷲駅間が運転再開したことにより営業再開

 
(駅 名 標)

 
(左は1996年9月11日撮影:跨線橋から松阪方面を望む:右は2013年6月5日撮影)

 
(旧駅舎・改札側)

 
(左は旧駅舎、1996年9月11日撮影:右は現在の駅舎、2013年6月5日撮影)


 今日もご訪問有難うございます


山陽電鉄 手柄駅!

2020年05月11日 | 

兵庫県姫路市東延末五丁目にある手柄駅は、西代駅から山陽姫路駅までを結んでいる山陽電鉄本線(54.7km)の駅として、1958(昭和33)年8月1日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する無人駅です。
開業時に建てられた駅舎が上りホーム(神戸方面行きホーム)側の神戸寄りにあり、下りホームとは構内踏切で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は1,889人で、これは山陽電鉄の全49駅中35位です。

手柄駅が属する山陽電鉄本線は、神戸と明石・姫路間の都市間輸送を行っていますが、JR西日本の山陽本線(JR神戸線)とは全線で、特に山陽須磨駅~山陽明石駅間では完全に並行しており競合状態にあります。

  <手柄駅の年表>

 ・1958(昭和33)年8月1日:山陽電鉄本線の駅として開業
 ・1995(平成7)年1月17日:阪神・淡路大震災で全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1995(平成7)年1月18日:山陽明石駅~山陽姫路駅間が運転再開したことにより、営業再開
 ・1999(平成11)年10月1日:「スルッとKANSAI」対応カードの取り扱い開始
 ・2006(平成18)年3月26日:山陽姫路~手柄間での本線との上下切り替え工事に伴い、この日のみ、神戸方面からの折り返し駅となる
 ・2006(平成18)年7月1日:IC乗車カード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2011(平成23)年3月1日:駅構内の喫煙コーナーを廃止し、駅構内終日全面禁煙化
 ・2014(平成26)年3月21日:IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる
 ・2014(平成26)年4月1日:駅ナンバリングの導入 

 
(駅 名 標)

 
(踏切上から姫路方面を望む)

 
(神戸方面を望む)

 
(手柄駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 今日もご訪問有難うございます


阪和線 南田辺駅!

2020年05月10日 | 

大阪府大阪市阿倍野区長池町にあるJR西日本の南田辺駅は、天王寺駅から大阪府南部の各都市を経由して和歌山駅までを結んでいる阪和線(63.0km・羽衣支線を含む)の駅です。 もともとは大阪と和歌山を高速に結ぶことを目的に建設された阪和電気鉄道の停留場として、1929(昭和4)年7月18日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する高架の業務委託駅で、高架下に改札口があります。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は8,772人で、これは起終点駅を含む阪和線の全36駅中18位です。

南田辺駅が属する阪和線は、大阪市南部のターミナルである天王寺から南へ伸び、大阪府南部の各都市を経由して和歌山市へ至る路線であり、JR西日本のアーバンネットワークの一角を形成しています。また、関西国際空港が開港した1994(平成6)年9月4日以降は、同空港へのアクセス路線としても重要な役割も担っています。

  <南田辺駅の年表>

 ・1929(昭和4)年7月18日:阪和電気鉄道の停留場として開業
 ・1940(昭和15)年12月1日:阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、南海鉄道山手線の駅となる  
 ・1944(昭和19)年5月1日:南海鉄道山手線が戦時買収私鉄に指定されたことにより国有化され、国鉄阪和線の所属となり、駅に昇格する
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1993(平成5)年7月1日:阪和線運行管理システム(初代)の導入
 ・2003(平成15)年10月1日:ホームを除き、駅コンコースの喫煙コーナーを廃止
 ・2003(平成15)年11月1日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2004(平成16)年10月16日:上り線が高架ホームに移行
 ・2006(平成18)年5月21日:下り線が高架ホームに移行
 ・2009(平成21)年7月1日:ホーム上の喫煙コーナーを廃止して、駅構内終日全面禁煙化
 ・2010(平成22)年12月1日:組織改正により、大阪支社の管轄から近畿統括本部の管轄に変更される
 ・2013(平成5)年9月28日:阪和線運行システムを2代目のものに更新
 ・2015(平成27)年3月8日:みどりの窓口の営業を終了
 ・2015(平成27)年3月9日:みどりの券売機プラスが稼働開始
 ・2017(平成29)年3月7日:入線警告音(接近メロディ)を幅広い周波数帯域を持つ音質の警告音に更新
 ・2018(平成30)年3月17日:駅ナンバリングの導入

 
 (駅 名 標)

 
(天王寺方面を望む)

 
(南田辺駅駅舎・西口)

 
(駅 舎 内)

 
(南田辺駅駅舎・東口)


 撮影年月日:2019(令和元)年12月15日


 今日もご訪問有難うございます


今日はアイスクリームの日!

2020年05月09日 | 今日は何の日

5月9日はアイスクリームの日です!

アイスクリームは、牛乳などを原料にして、冷やしながら空気を含むように攪拌してクリーム状とし、これを凍らせた菓子で、そのうち、柔らかいものは「ソフトクリーム」と呼ばれます。

1964(昭和39)年の今日(5月9日)、アイスクリームのシーズンインとなる連休明けのこの日に、東京アイスクリーム協会(現在の一般社団法人日本アイスクリーム協会)が、東京オリンピックにあわせてアイスクリームの一層の消費拡大を願って記念イベントを開催し、あわせて諸施設へアイスクリームをプレゼントしました
このことにちなんで、5月9日は「アイスクリームの日」と制定されました。 

毎年、この日を中心に全国各地で各種のイベントが行われています。

ところで、日本で初めてアイスクリームを食べたのは、幕末の1860(万永元・安政7)年に日米修好通商条約の批准書を交換するために咸臨丸でアメリカに派遣された新見豊前守正興を正使とする77人の遣米使節団であるとされています。

そしてその遣米使節団のメンバーの1人だった町田戻蔵が帰国後に、米国渡航歴のあった出島松蔵からアイスクリームの製法を教わって1869(明治2)年6月に横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で、日本初のアイスクリームを『あいすくりん』という商品名で製造・販売しました。
この商品は牛乳と卵、砂糖を入れた容器の周囲を塩と氷で冷やし、かくはんしてシャーベット状に固めたものだったとみられていますが、1人前の値段は2分(現在の8000円相当)と大変高額だったので、庶民に敬遠されてなかなか浸透せず、外国人にしか売れなかったそうです。 アイスクリームが一般に普及し始めたのは約30年後でした。


今日もご訪問有難うございます