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大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

山陰本線 山家駅!

2016年03月15日 | 

京都府綾部市上原町にあるJR西日本の山家駅は、京都駅から日本海沿岸の各都市を経由して下関市の幡生駅に至る全長673.8kmの山陰本線の一般駅として、1910(明治43)年8月25日に開業しました(開業時は京都線に所属)。

島式ホーム1面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
コンクリート製のコンパクトな駅舎が線路の北側にあり、ホームへは跨線橋で連絡しています。

2013(平成25)年度の1日の平均乗車人員は36人です。

この山家駅には普通のみが停車し、特急と快速は通過します。

 <山家駅の年表>

 ・1910(明治43)年8月25日:国鉄京都線の一般駅として開業
 ・1912(明治45)年3月1日:京都線が山陰本線に編入されたことにより、同線の駅となる
 ・1971(昭和46)年8月26日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(山 家 駅)


 撮影年月日:2005(平成17)年6月4日


南海電鉄加太線 西ノ庄駅!

2016年03月14日 | 

和歌山県和歌山市にある西ノ庄駅は、紀ノ川駅から加太駅までを結んでいる南海電鉄加太線(9.6km)の駅です。 もともとは加太軽便鉄道の駅として、1930(昭和5)年12月1日に開業しました。

単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で、加太線の途中駅では唯一、交換設備がありません。
コンパクトな駅舎がホームの加太寄りにあります。

2012(平成24)年度の1日の平均乗降人員は654人で、これは南海電鉄の全100駅中80位です。 また、加太線の駅では8駅中6位です。

 <西ノ庄駅の年表>

 ・1930(昭和5)年12月1日:加太軽便鉄道の駅として開業
 ・1930(昭和5)年12月22日:全線電化に伴って社名を加太電気鉄道に変更したことにより、同鉄道の駅となる
 ・1942(昭和17)年2月1日:会社合併により南海鉄道の駅となる
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時体制下の陸上交通事業調整法に基づき、南海鉄道と関西急行鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に分離譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・2006(平成18)年7月1日:ICカードPiTaPa・ICOCAの利用が可能になる
 ・2011(平成23)年4月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2012(平成24)年4月1日:駅ナンバリングの導入
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始で Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる

 
(駅 名 標)

 
(加太方面を望む)

 
(紀ノ川駅方面を望む)

 
(西ノ庄駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2015(平成27)年12月20日


姫新線 太市駅!

2016年03月13日 | 

兵庫県姫路市にあるJR西日本の太市駅は、山陽本線の姫路駅から津山駅を経て新見駅までを結んでいる全線単線非電化の姫新線(158.1km)の一般駅として、1931(昭和6)年12月23日に開業しました(開業時は姫津線に所属)。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
上りホーム(姫路方面行きホーム)にある古い木造駅舎が今も健在です。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は394人です。

太市駅が属する姫新線は、山陽地方と山陰地方とを結ぶ陰陽連絡路線の1つとして建設され、かつては大阪発の急行「みささ(大阪~鳥取間)」「みまさか(大阪~中国勝山間)」も運転されていましたが、その後、モータリゼーションの普及により1970年代(昭和50年代)以降は利用者が減少し、1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正で線内唯一の優等列車だった急行「みささ」「みまさか」が廃止されてからは、陰陽連絡路線や津山市と京阪神とを結ぶ役割を失い、今は地域輸送が中心となっています。

 <太市駅の年表>

 ・1931(昭和6)年12月23日:姫津線の一般駅として開業
 ・1934(昭和9)年11月28日:姫津線が姫津東線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1936(昭和11)年4月8日:姫津東線が姫津線の一部となり、同線の駅となる
 ・1936(昭和11)年10月10日:姫津線が姫新線の一部となり、同線の駅となる
 ・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(佐用方面を望む)

 
(姫路方面を望む)

 

 

 

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2003(平成15)年12月30日


有田鉄道 御霊駅!

2016年03月12日 | 

和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)にあった御霊駅は、紀勢本線の藤並駅と金屋口駅と結んでいた全線単線非電化のローカル線だった有田鉄道(5.6km)の一般駅として、1916(大正5)年7月1日に開業しました。
しかし、同鉄道が2002(平成14)年12月31日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となりました。

単式ホーム1面1線のみで、コンクリート造り駅舎がありましたが無人駅でした。

和歌山県の有田市とその周辺の各町は全国的に有名な有田みかんの主産地であり、その出荷は主に海上輸送によっていましたが、産地で穫れたみかんを積出港である湯浅港まで運搬する目的で1913(大正2)年2月28日に有田鉄道が設立され、1916(大正5)年7月1日に全線開通しました。 全通後はみかん輸送と旅客輸送のほか、有田川流域で産出された木材の輸送なども行われていました。

有田鉄道が最も賑わっていたのは1965(昭和40)年前後で、旅客は年間160万人を、貨物は3万トンを超えていました。 しかし、それ以降、旅客数は減少し続け、みかんなどの輸送も次第にトラック輸送に切り替わっていき、貨物営業は国鉄の貨物縮小のあおりを受けて1984(昭和59)年2月1日で廃止されましたが、廃止前の貨物輸送量は年間2000トンでした。

2001(平成13)年11月1日からは運転本数が1日2往復に減らされ、利用者数は1日平均29人でした。 そして有田鉄道が鉄道廃止の意向を示した時も、地元から廃止反対の声はほとんどなかったため、2002(平成14)年12月31日限りで廃止されました。

 <御霊駅の年表>

 ・1916(大正15)年7月1日:有田鉄道の一般駅として開業
 ・2002(平成14)年12月31日:有田鉄道がこの日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となりました。

 
(駅 名 標)

 
(藤並方面を望む)

 
(金屋口方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(御霊駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2002(平成14)年8月31日


東海道本線 東淀川駅!

2016年03月11日 | 

大阪府大阪市淀川区宮原にあるJR西日本の東淀川駅は、東京駅から名古屋駅、米原駅を経由して神戸駅までを結んでいる東海道本線(589.5km・支線を含む)の旅客駅として、1940(昭和15)年4月1日に開業しました。

有効長が長い島式ホーム2面4線を有する有人(直営)駅です。
開業前の1938(昭和13)年3月に建てられた木造のモルタル駅舎が東口と西口にそれぞれあり、ホームへは地下道で連絡しています。

2013(平成25)年度の1日の平均乗車人員は8,121人です。

この東淀川駅は、東海道本線における大阪支社の管轄対象駅では最も東にあり、特急・新快速・快速は停車せず、普通のみが停車します。
また、この駅の北側と南側にはそれぞれ北宮原(第1・第2)踏切と南宮原踏切という有人踏切がありますが、列車密度が非常に高いために「開かずの踏切」と呼ばれおり、朝・夕のピーク時には50分以上開かないこともあるそうです。

 <東淀川駅の年表>

 ・1940(昭和15)年4月1日:国鉄東海道本線の旅客駅として開業
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(京都方面を望む)

 
(東口駅舎)

 
(東口駅舎内)

 
(西口駅舎)

 
(西口駅舎内)


 撮影年月日:2015(平成27)年12月20日