兵庫県加西市網引町字堂の前にある網引駅は、JR加古川線の粟生駅と北条町駅とを結んでいる全線単線非電化の第3セクター北条鉄道北条線(13,7km)の駅です。
もともとは播州鉄道の一般駅として1915(大正4)年3月3日に開業しましたが、その後、播丹鉄道を経て国鉄北条線の駅となりました。
北条町方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅です。
かつてあった木造駅舎は1984(昭和59)年6月に放火により焼失しましたが、2013(平成25)年2月に新しい駅舎が建てられ、駅舎内ではボランティア駅長による「切り絵教室」や「鉄道グッズ」の販売、また地域住民との交流を広げる憩いの場として活用されています。
2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は44人で、北条鉄道の中では最も利用客が少ない駅です。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月31日に網引駅北西にあった鶉野飛行場で試験飛行をしていた日本海軍の戦闘機「紫電改」が、当駅~法華口駅間の線路をかすめて不時着したため線路が歪み、その直後に通過した上り列車が転覆して、死者11人・負傷者104人の大事故となりました。
網引駅が属する北条鉄道の前身である旧国鉄北条線は、1980(昭和55)年12月27日に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により高砂線や三木線とともに第1次特定地方交通線に選定されてしまいます。 地元では数回にわたって北条線特定地方交通線対策協議会を開いて協議した結果、1984(昭和59)年5月25日の対策協議会において正式に第3セクター鉄道として存続させることを決定し、翌年の1985(昭和60)年4月1日に国鉄北条線が第3セクターの北条鉄道に転換されました。
<網引駅の年表>
・1915(大正4)年3月3日:播州鉄道の一般駅として開業
・1923(大正12)年12月21日:播州鉄道が播丹鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄北条線となり、同線の駅となる
・1962(昭和37)年3月1日:貨物取扱い廃止
・1973(昭和48)年10月1日:駅の無人化
・1984(昭和59)年6月:放火により駅舎焼失
・1985(昭和60)年4月1日:国鉄北条線が第3セクターの北条鉄道に転換されたことにより、同鉄道の駅となる
・2003(平成15)年8月8日:「列車転覆事故殉難の地」と書いた慰霊看板を駅に設置
・2013(平成25)年2月19日:新しい駅舎を再建
・2013(平成25)年4月 :駅前が「播磨中央自転車道中間休憩所」として整備される
(駅 名 標)
(北条町方面を望む)
(駅舎・ホーム側)
(網引駅駅舎)
(駅 舎 内)
(「列車転覆事故殉難の地」碑)
撮影年月日:2016(平成28)年8月14日