パワフルなzoomin氏からのはがき絵は、絶える事がありません。
今日の5枚は、いずれも韓国からです。
인제ー江原道にある麟蹄郵逓局(우체국 )
束草市の西。山の中のようです。院垈里(원대리)大きな白樺林ですね。
장수(長水)郵逓局が読み取れました。
全羅北道長水郡 論介とその生家
원주(原州)江原道の、大きな街ですね。
국가의상징국새という文字は。国家の象徴国璽だそうで、風景印ではなく記念印だそうです。
서울강서ソウル市江西区の郵逓局。許浚と東醫宝鑑
《東医宝鑑(とういほうかん、東醫寶鑑、トンイボガム、동의보감)は、李氏朝鮮時代の医書。23編25巻。許浚著。1613年に刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した。(東アジアでは漢文が公文書に用いられたため、教養人は漢文の素養を持っており、書籍は翻訳の必要がなく交流が盛んであった。)》
남한산성(ナマンサンソン 南漢山城)
《ソウルの南東、京畿道(キョンギド)広州(クァンジュ)市にある南漢山城(ナマンサンソン)は、古より北漢山城(プッカンサンソン)と共に首都であるソウルを守る要塞。400年近い歴史の中で破損と修復を繰り返しながらもその姿を今に伝え、2014年6月にはユネスコ世界遺産に登録されました。南漢山城は海抜500メートルの険峻な自然地形を利用しており、清涼山(チョンリョンサン)を中心に東西南北の峰々を連結する形で作られています。距離にすると約9キロあまりで、山城内には様々な遺跡を見ることができます。》コネストの記事から
南漢山城郵便取扱局 京義道広州市
守御将台(수어장대)
《山城西側の守御将台は、南漢山城4奨台の1つで、仁祖2~4年(1624∼1626)の間に軍事的な目的で建てられた楼閣です。守御将台とは、要塞の守りを担当する守御士が軍を指揮・命令する場所です。この守御将台は、仁祖14年(1636)年の丙子胡乱の際に、仁祖が直接守城軍を指揮しながら清太宗率いる12万の大軍と45日間交戦した場所で、交戦の末、三田渡で屈辱的な降伏を迫られたとされています。》
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