旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

夢の話

2020年03月15日 | 日記
 久しぶりに、リアルな夢でした。
 出演者もかめちゃんやいっちゃん。バス停で話しかけられた西アジアの青年は、現実にはおととし、ウイーンのトラムで私に切符を入れる場所を教えてくれた青年だと思います。
 カフェでは「美しき青きドナウ」と「ウイーンの森の物語」をしっかり認識してましたし、ホテル302号室から出てきた自分も見えました。
JCBやJTBもはっきりしていて、140円の数字もあまりにもリアルではないか~~い!
 こんな夢を見たのには、実は心当たりがありました。前日の夜「世界中で迷子になって」と言う角田光代さんのエッセイを読み始めたからだと思うのです。念のために、決して読み進んでいたわけではなく、2~3編を読んだだけです。一時期に比べ本を読むスピードが遅くなったのと読みながらすぐ寝てしまうため、なかなか読み進めません、ハイ。
 だから、内容の影響でこんな夢を見たとは考えられず、題名だけの影響力です。目が覚めてから読み進んでいくと、大いに納得です。彼女は作家です。取材であれば通訳さんなりガイドさんなり編集者と一緒だろうし、個人旅行でも言葉の心配はないのかもしれません。私は1人で出かけても、ツアーで行くことしかできません。私と似ているとは、大変おこがましいですが、感じ方も感動も失敗さえも、似ているな~と感じました。
 角田光代様 失礼しました。
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ウイーンの迷子

2020年03月15日 | 日記
 ところが、ホテルは見つからない、名前も覚えていませんでした。部屋番号の「302」がホテルの名前だと思い込んでいました。
 途方に暮れて、ロッカーを探そうとたどり着いたところが運河沿い、しかも振り向いたら運河に落ちてしまいそうな狭い場所です。(ウイーンに運河があるかどうかは知りませんが、ドナウ川でなかったことは確か)
 バス停か運河の停船場かわかりませんが、数人が待っています。
 
 西アジアの青年が、私の持っているガイドブック(ガイドブックは持っていないはずでしたね。その辺の矛盾は我慢してください)を見て、「日本の方ですか?」と日本語で声をかけて来ました。「どこから来ましたか?」と聞かれたので、なぜか「東京」と適当に答え、すぐに「埼玉」と言いなおしました。彼は「稲城」だそうです。せっかく日本語が話せる人に会ったと」と言うのに、彼はバスに乗って(バス停だったか!)行ってしまいました。 
 電話は持っていました。ウイーンのJCBに電話をかけて、JTBに連絡してもらうように頼みました。(その旅行はJTBの旅行だったのでしょうか・・・?)電話代は1分140円と言われました。
 とても怖い思いをしてましたが、目が覚め夢だとわかったときは、みょ~にホッとしました。もう一人旅はだめってことかな~(´;ω;`)ウゥゥ。
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ウイーンで迷子

2020年03月15日 | 日記
始まりは、いきなり2日目。空港からホテルに到着した記憶がありません。
ホテルの部屋から出ると広い廊下があり、グループでホテルから歩いてどこかの狭いビルの2階のカフェのようなところにいました。オーナーらしき人がアコーディオンでウインナワルツを弾いています。「美しき青きドナウ」かと思うといつの間にか「ウイーンの森の物語」になっていました。終わったらカフェを出て、すぐの階段を上るのかと思いきや、階段のウラのエレベーターに乗って降りるとのこと。
 そこで、ばったり3人で来ている亀ちゃんに会いました。「空港で会ったね~」と言われましたが、空港の記憶はありませんでした。少し話していたら。ツアーのグループとはぐれてしまいました。私の連れのいっちゃんは、いつもの私のマイペースぶりに呆れたというか、切れちゃってベンチで座っています。
 「どうするのよ~ヽ(`Д´)ノプンプン」とは決して言いません。
私は、ホテルから歩いてきたのだから近くにあるはず、ホテルに戻るつもりになっていました。だって、いつもは準備120パーセント、ガイドブックや地図を抱えているはずなのに、何しろウイーンまでどうして来たか記憶がないので、頼りになる資料を全く持っていなかったのです。
 資料を何も持っていない割には、荷物を両手にいっぱい持っていました。背中にはリュックサック、左手には軽いながらもエコバッグを5つほど提げて、右手にはダウンコートを持っていました。そしてホテルに向かいました。
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富士山フェチつづき

2020年03月11日 | 日記
 夏目漱石好きの私は、「坊ちゃん」の舞台道後温泉に行くのが長年の念願でした。今から20年ほど前、娘を誘って道後温泉~高知~金刀比羅の旅に出ました。
 二十歳に近くても、私にとってはまだまだ子供の娘ですから、機内は窓側です。羽田を出てしばらくしてから「富士山の穴が見える」と言うではありませんか。そのころは今ほど飛行機に乗る機会もなかったので、「そんなわけあるかい!などと言いながら、娘越しにちょっとだけ窓の外を見ました。
 山に関心がない私。山の頂上が飛行機から見えるとも思っていないし、富士山の頂上があんな風にくぼんでいることも知りませんでした。ほんの一瞬でした。
 以来20年の間、何回か富士山付近を飛んでいるはずですが、一度も見られません。あの時娘に座席を変わってもらわなかったことを、20年たった今でも後悔しています。
 以後、「富士山、富士山(。・ω・。)ノ♡」と見えるとルンルン(^^♪です。北埼玉の我が家の近くからも運転中に見ることができます。
 山の頂上と言えば、ダイヤモンドヘッドの頂上からもくぼみを見ました。
 
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富士山フェチ

2020年03月10日 | 旅行
18歳まで富山で過ごし、立山は当たり前のようにそばにありました。ただし、全く関心がなく私にとってはただの山でした。
 富山の小学生が6年になると強制的に登山させられる立山ですが、私は登る自信がないうえ、当時の担任を信頼できなくて、私が登れなくなった時に対応できることは期待できないと思い、初めから参加はしてません。正解でした。
 中学の運動会で、色別に「やくし」「はくば」「おやま」「つるぎ」と名前がありましたが、それが立山の名前と教わっても「ふ~ん、('ω')そうなんだ~」くらいなもんです。
 いつまでたっても立山はただの山でした。だから富士山もただの山でした。新幹線から見えようが、遠くから見えようがただの山でしかありませんでした。
 いまの家に引っ越し、近くの道路から富士山が見えますが、ただの山でした。
 私は、知っています。いつの瞬間に「富士山フェチ」になったのか。つづく~~~。
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