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大洲城

2016-10-21 18:18:03 | 愛媛
2016年10月17日、16日足摺岬温泉に宿泊し、17日宇和島城、西予市の卯之町散策し、大洲(おおず)の町並み散策と大洲城に行きました。
「大洲城は、鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房で、元徳3年(1331年)のことであるといわれています。その後戸田勝隆が城主として入ったが、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備され、慶長14年(1609年)には淡路の洲本から脇坂安治が入城し、この2人の時代に天守をはじめとする建造物が造営された。元和3年(1617)加藤貞泰が入城し、以降加藤氏代々六万石の居城であった。現在は四棟の隅櫓を残すのみであるが、台所櫓及び髙欄櫓は本丸にあり、天守に渡櫓で続いていた。苧綿櫓は肱川の土手に突出して造られ、旧二の丸の東南隅にあたる。三の丸南隅櫓は現在加藤家の宅地内にあり、加藤家の所有になっている。これらの遺構は勿論大洲城当初のものではないが、 その往時をしのぶ貴重な遺構である。現在の天守は、平成16年(2004年)に復元されたものです。」
大洲市大洲903番地
map
西門跡、大洲高校の東南の角です。











丸南隅櫓(重要文化財)













旧加藤家住宅主屋(登録有形文化財)
「桁行12m,梁間10mの規模,木造2階建,寄棟造とする。玄関は南面に切妻造で突出する。2階は中廊下を南北に通し部屋を配す。三方を縁側とし,ガラス障子の開放的なつくりで,戦前の旧大名家の暮らしぶりが窺える。」



お殿様公園



大洲城天守

内堀菖蒲園

天守に向かいます。

北の菱御門跡







高欄櫓(重要文化財)
「江戸末期文久元年(1861)再建、二重二階櫓、本瓦葺。」









井戸丸



天守





暗り門跡

台所櫓(重要文化財)
「江戸末期の安政6年(1859)再建、二重二階櫓、本瓦葺。」





大洲城の沿革の説明書

















御門番長屋







市民会館付近からの眺め

苧綿櫓(重要文化財)
「江戸末期の天保14年(1843)に再建、二重二階櫓、本瓦葺。二の丸東端に位置し、石落しに格子窓が備えてあるのが特徴です。」






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