2024年8月10日、お参りしました。
説明書より「加知彌(かちみ)神社末社稲荷神社で、祭神は神倉稲魂神、縁起不詳、古い昔は1769(明和6)年3月、庄屋竹森善兵衛検分になる気多郡山東神社御改帳に、社一尺三寸四方板葺、社地平地長十間半横九間、森有。鳥居高八尺、横七尺五寸。勧請にまつわる言い伝えによると1592(文禄2)年、ときの鹿野城主亀井武蔵守茲矩朝鮮征伐より無事帰還せし折建立したるもの也。1870(明治3)年神仏稀釈の令に際し、社祠平地より山なる洞窟に遷し給えりと口伝あり、法難を避け神産山ら上るも民衆の尊崇篤く、洞窟崩れるをもって、その場を平にし新たに祠を奉建し今に伝える。」
map
鳥取県鳥取市気高町浜村
民家の間の道を進むと、鳥居が見えます。
参道の階段は草だらけだった。
祠
境内からの景色
説明書より「加知彌(かちみ)神社末社稲荷神社で、祭神は神倉稲魂神、縁起不詳、古い昔は1769(明和6)年3月、庄屋竹森善兵衛検分になる気多郡山東神社御改帳に、社一尺三寸四方板葺、社地平地長十間半横九間、森有。鳥居高八尺、横七尺五寸。勧請にまつわる言い伝えによると1592(文禄2)年、ときの鹿野城主亀井武蔵守茲矩朝鮮征伐より無事帰還せし折建立したるもの也。1870(明治3)年神仏稀釈の令に際し、社祠平地より山なる洞窟に遷し給えりと口伝あり、法難を避け神産山ら上るも民衆の尊崇篤く、洞窟崩れるをもって、その場を平にし新たに祠を奉建し今に伝える。」
map
鳥取県鳥取市気高町浜村
民家の間の道を進むと、鳥居が見えます。
参道の階段は草だらけだった。
祠
境内からの景色