また貧民街で生まれ育った母は幸せを知らないような生き方をしてきたと思っていた。 そして自分がお金を稼いで現状を打破し、母を幸せにしてあげたいと願い、必死で努力してきたのだ。 ところが母は今、トログロダイトの体液を採取する仕事をしていた頃も含めてわたしはじゅうぶん幸せに生きてきたと言っているのである!
「・・・・・・今何て言ったんだ?」 「お金なんかなくたってわたしは幸せだって言おうとしたのよ、あなたと一緒に作業所でトログロダイトの体液を採取する仕事をしていた頃も含めてわたしはじゅうぶん幸せに生きてきたのよ、っていったのよ!」 バアルは呆然となった。 今の母親の言葉はバアルが今まで当然と思い疑うことのなかった常識、信念のようなものを毀した。 バアルは母と共にトログロダイトの体液を採取する仕事をしていた当時、自分と母は不幸の極致にいると思っていた。
「わたしが家を出た夜にも同じことをしゃべろうとしていたな。 お金なんかなくたってわたしは貧乏にはなれている今さら平気だといいたいのだろう」 しかし母親が口にしたのは、バアルには想像もつかないような言葉だった。 「違う! お金なんかなくたってわたしは幸せだって言おうとしたのよ! あなたと一緒に作業所でトログロダイトの体液を採取する仕事をしていた頃も含めて、わたしはじゅうぶん幸せに生きてきたのよ!!」
「今さら戻れるか! 今カレイヂスコープナイトに戻ったら無収入になつてしまうじゃないか。 わたしは悪魔としてお金を稼ぎ、そのお金で母さんをしあわせにしてあげたいんだ!」 「お金なんかなくたってわたしは・・・」 自分が家を出た夜にも、母と同じようなやり取りをしたのをバアルは思い出した。 あのときも母は、「お金なんかなくたってわたしは・・・」と言いかけていた。
「何一転同情したような顔してんの・・・? わたしをそんな顔で見るのはやめろ! お前らレベルの連中に同情されたくない!」 そのバアルを制するように母親が言った。 「バアル、これで懲りたでしょう、悪魔として生きるのはやめてカレイドスコープナイトに戻ってちょうだい!」 バアルは自分を抱きしめ続けようとする母親から少し離れた位置に移動した。