相談の電話を取って
最初の5分間
話し手の方の感情を表す言葉に
とにかく集中します。
繰り返して、受け止めます。
うつのただ中におられる思いがどんどん湧き出て来ます。
ひと通り、流れたら
いま、その方が、どのような状況におられるのか
聴き手の私も、映像を観るように、こころに感じたいと
話し手の方の許可を得ながら、お尋ねしてゆきます。
すると、ある時、ぽんと答えが見つかります。
話し手、ご自身が
いまの、ご自分の立ち位置が見えて来ると
自然と
いまのご自分にいちばんふさわしい答えが見つけられるのです。
これでいいんだと何かを納得される。
聴いてくださってありがとうと感謝されますが
私は、ここまでご一緒に
寄り添わせていただく時間が大好きなのです。
そして、ご自分の力で、答えを見つけられて
明るい声で電話を切られる瞬間
私の中にも、力が流れ込んで
元気がいただける。
そんな時間が大好きです。
この世に誕生して、はじめて自分を意識した時
自身の感情を外へ向けて表した時
まわりの大人たちの反応が
よくないものとして評価されたり
ありのままには受け止められなかった場合
次第に、自分は、何も感じていないかのように
ふるまうようになります。
けれど、年を重ねるに従い
蓄えられた感情がいっぱいになると、ようやく自分は、
社会的・表面的な人格だけでは生きていけないことに苦しみます。
自分の感情が意識できると
それを分かち合える人を求めます。
その気づきを何歳でするかは、
とても重要なことです。
子どもの頃に、身近な大人、親と分かち合えた人は
社会へ出た時
分かち合える人と分かち合えない人の区別がつきます。
もし、分かち合えなかったとしても
こういう人だっているさと、離れることができます。
ところが、
大人になってから、ようやく自分の感情に気づき
誰かと分かち合いたいと、他者を求めた場合
自分をありのままに受け入れられなかった時のショックは大きく
立ち直る体力も育っていません。
小さいころに周囲の大人から
ありのままの自分を受け入れてもらえなかった人は
大人になって
気持ちを分かち合える人を間違えます。
人を見ずに、いきなり自分を全開にして
相手の反応に、大きく傷つき・・
怒りや恨みの感情にとらわれます。
自分の中のどんな感情に気づいても、恐れずあわてず
また、相手の中のどんな感情に気づいても、恐れずあわてず
ありのままに
感情を感じる力を育てたいと思います。
実は、私
人から優しくされることが嫌いでした。
父も母も
私に優しさをたくさんくれましたけれど・・
父と母がそれぞれ
私に優しくする時は
私がかわいそうだから・・
私がふびんだから・・
という時なのです。
そして
父や母が
優しくしてくれる時って
たいがい私は
自分で自分のことを
さびしいとかふびんだなんて思っていない時なんです。
だから・・私・・優しくされると
自分は、みじめなのかしらって感じるようになりました。
そして私が
ほんとうに自分のことをみじめでさびしく感じている時には
父も母も
そんな子どもを見つめることは、辛くて、耐えられなくて
目をそむけたくなってしまうんです。
そして
もっとしっかりしなさいっ!て怒って突き放すのです。