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by hamarie_february

繰り返されるポスドク問題

2008-10-23 13:21:59 | 学問・社会

10月に入ってから、かろうじて週一ペースを守ってるカンジです。今日書かないとそれも崩れ去るので何か書いておこうと、数あるネタの中から選ばれたのが「ポスドク問題」

いやぁ、重いですよね。それにワタシは当事者でも関係者でもないので、「部外者がネタにするな」と言われそうです。

んでも、しばらくワタシなりに学術・研究業界をウォッチングしてきて、いくらか感想が溜まっているので、頭の整理も兼ねてちょっと吐き出しておきたいと思います。

まず、ポスドク問題と言っても、何のことやらと思われている方に、簡単に解説。

ポスドクとは、ポストドクターの略で、つまり、ドクター(博士号)を取得した後に任期付きの常勤研究職に就かれた方のこと。

オーバードクターが、博士の学位を取得しながら定職につけない人物、またはそうした状態を指す(@Wikipedia)のに対し、ポスドクは任期付きながら常勤で研究に携わっています。

何が問題なのでしょう。Wikipediaから抜粋。

問題は、任期が終了したあとの再就職が、大学や研究所のポスト不足によって、ままならない状態だから。あるいは、再就職は出来るが任期付きに限られているため、身分が不安定のまま高齢ポスドク(概ね35歳以上)となってしまうから。

高齢ポスドク=35歳以上の根拠は、「大学院卒業後は競争的環境にあることがのぞましく35歳までには任期なし常勤職に就くことが望ましい」という文科省通達に由来するらしい。

35歳を超えると、助教を含めたアカデミックポジションに付ける可能性が著しく減少し、そうかと思い転職しようにも民間企業も35歳を超えた者の採用に極めて消極的で、公務員試験も多くの場合は年齢制限が30歳以下に設定されている。

というわけです。

先日、5号館のつぶやきさんのblogで、久しぶりにポスドク問題が取り上げられて、それにリンク・TBされる形で、さまざまな方がエントリーをアップしておられます。昨年も同じ時期に同じように盛り上がっていた気がします。

(コメント欄も非常に参考になるので、ぜひ読んでみてください)

ポスドクが問題と認識されてから以降は、博士課程自体に進む学生さんが減ったみたい(定員割れ)ですが、まだまだ問題が解決されたわけではありません。何故なら、これまでにすでに博士課程に進み、見事修了し、ポスドクとして生活しておられる方が数多くいるからです。

また、ポスドクは理系・文系双方にいますが、それが問題として大きく論じられているのは、主に理系のポスドクだけのような気がします。

理系のポスドクだけ問題として大きく論じられる背景には、莫大な研究予算のもとに重点化されたプロジェクトの労働力として多くのポスドクが雇用され、プロジェクト終了、あるいは予算削減と同時に行き場を失うという事態が起きているからでしょう。

現役合格で学部卒業が22歳、そこから博士号取得まで最短で5年。つまり最年少ポスドクで27歳~28歳。通常、重点化プロジェクトの期間は5年ほどですから、終了時には33歳と高齢ポスドクの一歩手前となってしまっているわけです。プロジェクトがさらに延長されれば、高齢ポスドクと見做される35歳を容易に超えてしまいます。

ポスドクが正規雇用されない理由としては、研究者として研究スタイル等が確立しており自立してしまっているがゆえに再教育しずらいという点をあげる人がいる一方、PI(Principal Investigator)としての能力を見出しづらいという点をあげる人がいます。つまり、ポスドクの能力評価は一定ではないです。

前者は企業の人で、後者は研究所の人の意見なので、評価の基準値が違うのでしょうけれど、簡単に言えば、ポスドクの方々の能力は「帯に短し、襷に長し」状態なのだろうと思います(もちろん個人差あり)。

さて、そのようなアンマッチング状態がゆえに就職できないなら、ポスドク問題は大部分が「就職情報産業」の課題になってきますが(箸にも棒にもかからない場合を除く)、実際には、ポスドクが就職できないのは、実は就職を忌避する環境が少なからずあるからではないかとワタシは思っています。

つまり、ポスドク自身が他への就職をしたくないのと、研究室のボスが他への就職をさせたくないという利害が一致した結果ではないかと...。研究スタイルや方法で気心の知れた環境を失うのは、ポスドクにとっても研究室運営にとっても大きな痛手であるので、出来れば今のままの条件で大学等の研究室に残りたい・残してやりたいということなのではないかと...。

当然ながら当事者および関係者でない一般人の勝手な憶測にすぎませんが、高学歴ワーキングプアなどというおかしなことが、いつまでも解決されない要因は、ポスドクが大学を出て就職することに、むしろアカデミック側が危機感を抱き、ポスドクを囲い込んでいるからのように思えてなりません。 

分野により、多少の違いがあるかもしれませんが、ここでは物理学の分野を例にしてみたいと思います。

来る11月6日に以下のようなシンポジウムが、ノーベル物理学賞の小柴さんを迎えて行われます。

科学・技術の危機とポストドクター問題~高学歴ワーキングプアの解消をめざして@国公労連

博士課程を修了しているのに、短期雇用で年収200万円以下、社会保険などにも加入していないなど、不安定で劣悪な研究労働条件に置かれているポスドクは、1万5千人以上にのぼります。若手研究者がポスドクとして使い捨てにされる現状がこのまま続くと、社会の基盤を支える科学・技術の継承・発展が困難になります。ポスドク問題は、日本社会の発展にかかわる大きな問題です。
 このポスドク問題の解消をめざして、ノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊さんを迎えシンポジウム「科学・技術の危機とポスドク問題~高学歴ワーキングプアの解消をめざして」を開催します。

うむ...「ポスドク問題の解消をめざして」「ノーベル賞受賞者を迎えて」「国公労連」がシンポジウムです。これをどう捉えればいいか。

おそらく、その答えは、次に紹介するコラムにヒントがあります。

少し前(2008年2月)のサイエンスポータルに「ポストドクター本当に多すぎるのか」と題されたコラムが掲載されました。ここで、物理学会キャリア支援センター長・坂東昌子氏が日経新聞に寄稿した記事を紹介しています。

日経新聞の記事は読んでいませんが、コラムのまとめによると、氏の寄稿文の結論は、「真のイノベーションを創生するには、基礎力が問われる。基礎科学の復権こそ、科学技術立国を目指す日本の喫緊の課題であり、そのためにポストドクターはもっと有効に活用されてしかるべきだと思う」というものです。

つまり、基礎科学の復権のために不安定な身分のポストドクターのパイをそのまま残してほしいという訴えであり、さらにはポスドクを有効活用すればいいじゃないかという提言です。

...と、これは少々意地悪な読み方かもしれませんけど...。

少なくとも「これが政府、企業の期待する「優秀な人材」像と一致するならポスドク問題の解決も心配することはないように見えるのだが…。」とコラムがまとめたのは、完全に「読み違い」です。何故なら、この寄稿文の主張は、ポスドクを企業等に就職させよということではないわけです。

同様に上のシンポジウムも、ポスドクのキャリアの新たな展開を主張するというよりも、労働待遇をちょこっと改善して貴重なポスドクを逃がすなという主張が本音ではないかと思います。

物理学会は2007年にいくつかの大学とともに文科省の「キャリアパス多様化事業」を受託しております。ワタシはこの取り組みは非常に良いと思っていました。某国会議員などによる文部科学省政策棚卸しによるとどうも評判はあまりよくないようですが、「自分自身でキャリア開発をすべき」という評価は、そもそもの予算化に対しての難癖としか思えません。

先のコラムの4ヵ月後に、サイエンスポータルに掲載された坂東氏の記事は、「20%の時間は冒険に~キャリアの新たな展開に向けて」というもので、この「キャリアパス多様化事業」を具現化した事例を紹介し、日経新聞への寄稿文とは大きく主張を変えています。

詳しくは読んでいただきたいですが、物理学の素養をもって、経済や国土開発や医学やらの異分野にチャレンジしていこうという提言です。

思うに物理学会は足並みが揃っておらず、囲い込みたい分野とそうではない分野が拮抗しているのでしょうか。

申し訳程度の待遇改善のみで、ポスドクを安価な労働力として囲い込むような流れがあるとすれば、外部からですがウィッチングしてきた者としては見過ごせないなと思い、問題提起のつもりで、このシンポジウムを取り上げました。

ただ、ポスドク自身がそれ(囲い込み)を望んでいるのかもしれず有り難迷惑だと思われるかもしれませんし、シンポジウムの趣旨は違うところにあるかもしれません。

大学教員は「教授」+「研究」が仕事だと一般に思われていますが、こちらにも書かれてるように人事権まで持っていたり、大学運営業務の大半を教員が担っています。

そういう意味では、「教授」「研究」以外のことに打ち込んでいる方々も少なくなく(いわゆる学内政治)、純粋に個人的に「研究」に勤しみたいのであれば、そんなやっかいな環境は、選択肢から外れるのではとワタシなどは思ってました。

では、何故アカデミック信仰があるのでしょうか。

それは学位授与という特権をもつことで学生を囲い込むことができるというアドバンテージがあるからだろうと思います。

もう少し優しめの言葉で言い直すと、自らの研究(考え)をどう後世に伝えて、どう引き継いでもらうかは、個々の研究者にとって非常に重要だと思います。そして、おそらく「大学で教授する」ということは、それが最も効率的に実現できるということで、それこそがアカデミックの魅力なのです。

つまり、囲い込みは、大学という教育組織が生まれながらに持つ傾向であり、それを避けることは出来ません。

しかし、研究組織というもうひとつの現場も大学は内包しており、そこでは囲い込みが起こってはいけないはずですが、境界が非常に曖昧で定義が統一されていないことが、多くの問題を生み出すのだろうと思います。

ポスドクを一人前の研究者として対等に考えるという人がいたり、そうではなかったりということです。

ワタシの考えでは、研究プロジェクトは、個々の単位で大きく緩くつながって、そのグループも自在に姿を変えればいいと思いますが、問題点は実験系の設備です。

ただ最近は施設の共同利用という構想もかなり出てきていますので、大きく動くかもしれないなぁとか思います。

やっぱり、とりとめなくなってきました...また書き直すと思います。

関連エントリー:理系研究者のキャリアパス


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5 コメント

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質問 (yassan)
2008-10-24 01:59:32
>囲い込みは、大学という教育組織が生まれながらに持つ傾向であり、・・・研究組織というもうひとつの現場も大学は内包しており、そこでは囲い込みが起こってはいけないはず・・・

というのは逆ではないのでしょうか。

教育機関であれば、社会に出て働く人材を育成するということと僕は思っていましたが、いかがでしょう。

レベルに個人差があることを大前提に、やはりポスドクとは、大学が収入を得るために、誰でも彼でも院に送りこみ、その後ほっとかれただけなのではないんでしょうか。つまり、お金目当ての大学の犠牲者。
ワタシの考え (hamarie_february)
2008-10-24 07:16:40
教育-他人に対して,意図的な働きかけを行うことによって,その人間を望ましい方向へ変化させること。

囲い込み-囲い込みとは、自社の顧客が他社に逃げないようにするためのマーケティング上の各種試み。

そもそも教育に囲い込みの要素がありますが、特に大学においては、個人商店の研究室活動が、より明確に機能します。

ご指摘のとおり、学位をとらせて人材を育成すべきところ、「社会に出て働く」頃になっても、安価な労働力として囲い込まれる状況があるということです。
似而非 (alchemist)
2008-10-24 10:02:49
5号館さんの方から紛れ込んできました。科研費の申請書作りでPCとにらめっこ状態の毎日を過しています。
さて、米国のポストドックが本来の姿であるとすれば日本のそれは名前だけ真似た似而非です。何が違うかといえば、米国のポストドックは研究者として一人立ちをするための揺りかごという性格を強く持っています。競争はありますが年令制限などありません。また、長くとも5年くらいで上のポストを獲得することを期待されていますが、本人とボスが合意すれば、何時まで居ても構いません。(ボスの研究費次第ではありますが)。
いくら、競争が好きなアメリカ人だとしても、今の日本の似而非ポストドックのシステムは苛酷に過ぎると感じるのではないでしょうか。
35歳説 (hamarie_february)
2008-10-26 10:37:29
alchemistさん、はじめまして。
お返事が遅くなってすみませんでした。

アメリカのポスドクは、年齢制限なく何時まで居てもいいんですか。
っていうか、日本には年齢制限があるのでしょうか。

(35歳説というのは、自らの商品価値がそうなるというだけあって、辞めさせられるというわけではないのだと思っていましたが)
(35歳説というのは、就職情報業界が唱えるフィクションで、それは社会を意図せずある一方向へ導いているのかもしれません)
(卵が先か鶏が先かの問題はありますが)

何にせよ、競争好きなアメリカよりも過酷すぎる(と感じる)日本のシステムって...恐ろしいですねぇ。

科研費の申請、ぜひ頑張ってください。
35歳説 (alchemist)
2008-10-29 12:18:31
他人の研究費の成果評価で、一日缶詰め(従って二泊の出張)を余儀なくされてました。こっちの科研費でお尻に火がついているのに・・・・。
35才説の真偽は私にも判りません。最近、生化学会若手の方から「5年ルール」という指導があるとの話を伺いました。博士取得後5年を過ぎるとポストドックとしての採用はない、という話です。都市伝説なのか、あるいは意図して流布されているのか、私には判りませんが、教えて下さった方は、ポストドックが山ほどいる有名大学の所属です。
サラリーの出所(グラントの種類)によるのか、大学のローカルルールなのか、その辺も良く判りません。ただ、年令が上の方を経験相応に処遇しようとすると、今の日本の研究費制度(実質研究期間の短い初年度より、二年目三年目の交付金が削減率が大きい)では困難に直面します。

米国の場合、高齢でポストドックをやってもどうってことはありません。通常サラリーは毎年上がります。ポストドックを続けるのが嫌なら、交渉次第でソフトマネーのassist. prof. (or assoc. prof.)になることも可能です。ソフトマネーであれ、assist. prof.になればPIとしてNIH、NSFのグラントに応募できます。

サボらずに科研費に修正を入れなければ・・・。

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