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by hamarie_february

懺悔

2009-03-25 11:14:02 | 映画・TV・書籍

昨年の秋にアゴラへ行ったとき、寝泊りした神保町で見かけた岩波ホールの看板。残念ながら、ロードショーが始まるのは、12月の半ば過ぎ。冬でした。

懺悔 
テンギス・アブラゼ監督作品
1984年 ソビエト(グルジア)

始まったらぜひ観に行きたいと思ってました。でも関西にきたのは、年明けずいぶん経ってから。ずるずると日を延ばして、最終日にようやく十三の七藝まで観に行きました。七藝会員の元同僚のおかげで同伴者も1000円になります。ラッキー。

それが10日前のこと。なんやかやとエントリーできずにいましたが、一昨日(だったかな)、たまたまNHKスペシャルを観てて思い出しました。そんなわけで、ちょこっとメモ的エントリーを...。

 

NHKスペシャルはこれ。

揺れる大国 プーチンのロシア
離反か従属か~グルジアの苦悩~

 

恥ずかしながら、昨年8月にグルジア紛争が起こるまで、グルジアという国をほとんど認識していなかったのですが、ソ連邦崩壊後の、いわゆる「民主化ドミノ」のさきがけとなった無血クーデターを2003年に成功させた国、ということで有名なんですね。

バラ革命@Wikipedia

遡って1984年。映画『懺悔』はグルジア(旧ソビエト)で制作された後、1986年から1987年にかけてソビエト全土で公開されて記録的な大成功を収めたようです。そして、その社会的反響は大きく、1991年のソ連邦崩壊につながるペレストロイカ、グラスノチの象徴とも呼ばれたんだそう。20年余りを経て、今回がようやく日本での初公開でした。

 

映画は大変良かったです。多分に寓話的で幻想的なシーンがありましたが、最後まで引き込まれっぱなしでした。パンフレットの中でも幾人かが指摘しているように、悲劇的状況を深刻なものとして描かない、不思議なゆとり、あるいは笑いを感じました。

ペレストロイカ、グラスノチの「時代」を前にした希望が輝いているともいえます。きっと新しい「時代」が始まるのだろうという...。しかし、20年後の今、その希望は叶っていません。

 

グルジア紛争やバラ革命などのキーワードでネット検索して、今回さまざまな知識を得ることができました。

スターリン生誕の地がグルジアの地方都市ゴリであるという基本情報すら知らなかったのです。知っていれば映画から受ける印象は少々変わったかもしれません。スターリンの象徴である遺体を谷底に投げ落とすクライマックスの意味も、そのクライマックスの後で冒頭のシーンと全く同じシーンが繰り返され何も変わっていない日常が示される意味も、つまり『懺悔』の真の意味も。

民主化運動のバックに世界的投機家であるジョージ・ソロスの存在があること(「コーカサス安定化作戦」←有名な田中宇さんのページ)やシーパワーの一角としての「グルジア」の地政学的位置づけを論じるブログ(グルジア紛争@地政学を英国で学ぶ)など、上記リンクしたWikipediaを含めて、ネット上には様々な論評があり、大変勉強になりました。

で、ちょっと話が横道に逸れますが、先日NHKでやっていた「テレビの、これから」での議論を思い出していました。より深く調べたいときにはネットで、という話は確かにそうだなという気がします。テレビでここまでの話は、おそらく出来ないのではないでしょうか。つまり、それがほぼ確かなるものであっても、いまだ仮説の場合、マスコミュニケーションとして大々的に流通させることは出来ない(紹介するとしても「仮説だ」と明示するでしょう)。おそらく、それがマスメディアの限界であり強み。

メディアは、映画も含めて、それぞれに立ち位置があり、強みがあるのでしょうね。今回の一連の、自身の行動を通して、そう感じたのでした。

最後に、映画の終わりのテロップを...。

何て書いてあるのか、全然わかりましぇん(笑。解読できる方がおられればお教え願います)

こういった旧い映画を観るのが久しぶりということもあると思いますが、異文化なグルジアの町並みや生活の様子がとても興味深かった。法廷シーン等で登場する甲冑を纏った警備員のような方々は本当に実在したのでしょうか...。

まだ一度も、どの国にも訪ねたことのない東欧ですが、ぜひ行ってみたいなと思いましたです。


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3 コメント

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Unknown (yassan)
2009-03-26 15:09:13
>スターリン生誕の地がグルジアの地方都市ゴリであるという基本情報

なるほど。
だから「懺悔」。

映画でも何でもそうですが、その作品がどれだけ楽しめるかは、かなりの部分、観た人・聴いた人の教養(?)に依存しますね。

私など、グルジアすらしらんもんですので。

このことは、昨年とある有名ミュージシャン(日本のフュージョンを作ったといわれてる方)からお聞きしました。
「音楽がどれだけ楽しめるかは、その人の音楽性(の高さ、広さ)による」と。

洋画が今イチ弱い(時には寝てしまう)のは、世界史がからっきしだったからかもしれません。
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Unknown (hamarie_february)
2009-03-27 01:23:19
yassanさん?
コメントありがとうございます。

特にヨーロッパの映画は、歴史だけでなく宗教の教養があると、もっと見方が変わってくるようですね~。

音楽で言えば、クラシックの素養とかになるのでしょうか。

音楽って民族性のバリエーションもありつつ、国境などカンタンに超えられるような共時性があるなぁと思います。強いツールですよね。
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そうそう (yassan)
2009-03-27 16:51:14
はい元同僚です。

音楽は国境を簡単に超えられますね。

演奏だけの曲だけでなく、歌がある曲で歌詞がわからなくてもなんとなく伝わる。

マイナーな感じとか、メジャーな感じっていうのも万国共通なんでしょうかねえ。

よく、「中国では置時計のお土産はダメ」みたく
国によって僕ら日本人と感じ方が違うなんてのは
あるのかなあ。
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