浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログ

 中部電力を被告にした浜岡原発永久停止裁判(静岡地裁浜松支部)の原告団・弁護団・支援組織の共同ブログです

原告の思い 5 神崎伸子(第3次原告団、磐田市、2012年3月5日)

2012年08月10日 06時09分47秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 5 神崎伸子(第3次原告団、磐田市、2012年3月5日)

浜岡原子力発電所運転永久停止請求事件
第4回口頭弁論 2012年3月5日 静岡地方裁判所浜松支部
                 第3次原告団 神崎 伸子

                                意見陳述書
                                     
 私は、浜岡原発から30キロ圏内の磐田市に居住している神崎伸子と申します。生まれてから66才の今日まで磐田市に住んでいます。気候温暖なこの地がとても好きです。それでも故郷を愛する気持ちというものは、普段はわざわざ自覚などすることはないのだと思います。

 それが昨年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で一変しました。福島第1原発による放射能拡散です。地震による破壊だけでも命も家も失い路頭に迷う人々がいるのに、それに加えて安全と信じられていた原子力発電所が、この先何年も福島の人々のくらしを奪ってしまうのだろうと思われるからです。

 そして、これは福島だけのことではない、原子力発電所は私たちの故郷のこんなに近くにもあるのだと浜岡原発の存在を再確認したのです。自分の大切な故郷を守りたい、家族も友人もこんな事故で失いたくないと痛切に思いました。
 
浜岡原発ができた当時私は20代でした。原子力を利用した発電所が静岡県内に建設されることにそれほど深い関心はありませんでした。反対の意見があったということも後から知りました。

その後、「駿河湾地震説」が発表され静岡県でもその対策が練られた頃に家を建てました。耐震補強など巷では地震そのものの被害への関心は高かったものの、すぐ近くにある浜岡原発の放射能について対策をした人などありませんでした。政府やマスコミは「安全対策は万全」と言い切っていましたし、私たちは放射能など戦争という非日常の攻撃のなかでしかありえないものと安心しきっていました。

現実は広島、長崎へ落とされた原爆の放射能だけではなく第5福竜丸の死の灰被害があったのですが、それさえもなにか他人事でした。
 
そして、御前崎市には莫大な交付金が国から支払われ周辺地域ではおよびもつかない豪華設備の建物が建設されていました。御前崎市民はその恩恵を十分に受けていると思い、原発や原発関連企業で働く人の多いこと、電気が公共のものであり他の民間企業とは違う役割をもっていることなど、原子力発電所が地元の人たちや国にとっていかに必要なものかを思わせる材料は揃っていました。あの大地震がくるまではです。

 私には家族がいます。夫と2人の子ども、それに加えて大学生から保育園までの4人の孫たちです。それに85才の母は磐田市福田の海岸近くの介護施設に入所しています。私はこの家族のために今まで見ないようにしていた現実から目を逸らすわけにはいかないことを実感しています。

 福島原発の放射能の被害は今になって全国に拡散され、地元の子どもたちからセシウムが検出されるなどの被害が報告されています。当時の枝野官房長官は「ただちに健康への被害はない」と無責任な発言を繰り返しましたが、その後「将来について言及したつもりはない」と言い逃れといってもおかしくない発言をしています。また、政府の被災地救済は遅々として進んでいません。

 こうした状況を見るにつけ、発生確率が88%とされる想定東海地震の危険性が言われている今、震源域の真上に建つ浜岡原子力発電所への対策は緊急です。
 
私は、遅ればせながら浜岡原発のことを地域の仲間と勉強しています。そこで知ったことは、原子力発電はまだまだ未完成で危険なものだということです。

その第1は自分が燃やした燃料の後始末ができないことです。それは使用済み核燃料と呼ばれる死の灰の塊です。この死の灰を始末するシステムが開発できていないと聞いてびっくりしています。

それに加えて放射能のなかには半分に減るまで何千年も何万年もかかるものもあると知りました。想定東海地震の危険対策をするとしたら、このようなものを作り出す浜岡原発はただちに永久停止・廃炉にするしかないと思っています。

私は命を生み出す母親のひとりとしてすべての子どもたちの命を守り育てていくのは私たちの責任であり使命だと考えています。多くの人たちの命をも守るために裁判所の賢明で公正な判断がなされるようお願い申し上げて私の意見陳述といたします。