窪塚洋介猛反撃「井筒監督はアホ」
一口に言えば、この発言を「絶対的真理」と正しく認識できるかどうかが、正常な人間と、バカ&バカ左翼を切り割ける分水嶺になるでしょうな(笑)。その意味でこの発言はリトマス試験紙に近い。ブログを見ていると、バカがあぶりだされていて楽しいと思います(爆笑)。
話のポイントしてはいろいろありますけど、
1) 作品も見ていないうちから、勝手に内容を決め付けて、批判をする人間は、アホ。
2) 特攻隊員の行動を描いたら戦争賛美と考えるのは短絡思考のバカ。仮に、特攻隊員の人生を美化して描いたとしても、それで戦争賛美と捉えるのは、やはり短絡思考のバカ。
というのは、もう
「絶対的な宇宙の真理」と言っても過言ではないでしょう。それが分からない井筒が白痴であるというのも、
「絶対的な宇宙の真理」であり、それが理解できない人間がバカであるのも
「絶対的な宇宙の真理」です(笑)。
まず、(1)の「見てない作品を批判するな」の方は誰でも判ること(これすら正論と認識できないのは、人並みの知能レベルと言えず、人間として生きる資格もない。ゴキブリ並の知能レベル)。
内容を想像するのは勝手だけど、それはあくまで想像・妄想に過ぎないわけで、自分の妄想と事実の区別がつかないキチガイであるというのに、何ら疑問を挟む余地なんてないわけです。つまり、井筒がキチガイであるというのに、疑問を挟む余地も無い(笑)。
ちなみに「バカと言うヤツがバカ。どっちもどっち」と窪塚を批判している白痴がいますが、「作品も見ずに作品を否定した井筒」と「井筒のバカ発言を見てから井筒をバカと言った窪塚」の違いが判らないなら、それことバカと言えるでしょう。
(2)についても簡単で、特攻隊員を賛美する作品だとしても、それはあくまで「身近な大切な人を守ろうとする尊さ」を訴える作品にはなり得るし、それを通じて「身近な大切な人を守るために、自分が死ななくてはならない」というのは戦争を批判する作品にもなり得るわけです。実際にこの作品がどういうプロットになってんのかは知りませんが、そういう可能性を想定できず「特攻隊=戦争賛美」としか考えられない脳みそを「短絡思考の粗末な脳みそ」と評することに何か間違いがありましょうか?
実は最大のポイントは、窪塚くんが(たぶん直感だけで)発言した言葉に集約されているのですよ。
「右だ、左だ、というけど、鳥は両方の翼がないと飛べない」というのは、実は非常に含蓄があり、真理をついた言葉なんです。さだまさしのファンなら、それが分かると思う。
さだまさしというのは、歌う歌によって右翼だ左翼だ言われているんですが、これは
言っている人間の知能レベルが低いから本質が分からないだけなんですね。さだまさしが考えているのは「愛する人を守りたい気持ちは尊い。人生の営みは尊い」ということなんです。
それが他国に適用されれば左翼と言っていることが同じになるし、日本国民に適用されれば右翼的に聞こえるというだけ。どこかの国が蹂躙されることにも、日本国が蹂躙されることにも、強い憤りを感じる立場ということです。要は、さだの発想というのは、右翼だ左翼だというのと違う次元のレベルにあるわけ。
(そして、さだの凄いところは「戦争反対」ではあるが「愛する人を守るためには戦わなくてはならない」というジレンマ・自己矛盾を、しっかりと認識している点にあります)
それを踏まえて窪塚の発言を読み返せば「人の生を愛し、大切な人を愛することは、右翼だ左翼だの思想を包含し、それを超えた概念である」というのが読み取れるでしょう。
「自分が自分の身の回りの人を愛する」ことと「他国の人が、その周りの人を愛する」ことは、立ち位置が違うだけで内容は同じであって、それを右翼だ左翼だと言って、あたかも背反の意見と捉えるのは次元が低いんですよ。
と、見ていけば、窪塚の発言を理解できるかどうかが、知能レベルのリトマス試験紙になるというのも容易に分かるでしょう。