[仕事術]コストカットのために切り捨ててはいけないもの
http://news.goo.ne.jp/article/zaikei/bizskills/zaikei_98171.html
俺は結構金遣いが荒い。簡単にタクシーに乗るし、簡単に外食する。いわゆる節約論者からすれば、俺の生き方は「もっての他」ということになるだろう。
だが俺はそのお金で、もっと違うものを買っていると思っている。それは「他のことをやる時間」かもしれないし「精神的な満足」かもしれない。単に「出費」というだけで目の敵にするのは、公共事業になんでも反対すれば仕事してると思っているどっかの党と同じだ。大切なのは、そこに投資した金から、何が得られるのかということ。費用対効果の問題だ。
そしてこれは、金のみならず、時間でも同じことだと思う。
以前「Facebookは時間の無駄」と言った記事があった。探してみたら、元記事は見つからなかった(注:あった。http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20111230/Postseven_78508.html?_p=1)が、その発言に賛同する人の投稿を見つけられた。
http://tomzakki.blog117.fc2.com/blog-entry-2794.html
どうやら、ファイナンシャル・プランナーの伊藤亮太氏の発言らしい。
俺はこの伊藤亮太なる人物がどういう人か知らない。が、FPとしても人としても三流の人間であろうと推測するし、この同調者も含めて「可哀想な人」だなという思いを禁じえない。
2月頃、ちょっとSNSを休んでいた頃にも言ったが、確かにSNSにかかる時間的コストは大きい。正直、見過ごせない大きさになりつつある(だからこそ、忙しい一時期遠ざかるを得なかった)。その意味では「時間の無駄」という主張は一面正しい。が、逆に言えば単に一面的な底の浅い見方でしかない。
上記の金の話と一緒で、投資したコストからどれだけのリターンが得られるのか。その観点無くして話は始まらない。そう、時間も投資財なのだ。「FPとして三流」と言ったのは、時間が投資財であるということが分かっていないと思えるからだ。
確かに氏は言う。「毎日つぶやいたり、行動を記したとしよう。その時間はどのくらいかかっているであろうか。なんやかんやで1日に合計すると30分や1時間も見ている人、いいね!を押したりしている人はいないだろうか? その時間を仮に時給900円で働くことができたと考えた場合、年間で10万円~30万円分もの価値を無駄にしている」。それは正しい。だが、それなら、その10万円~30万円以上の「何か」が得られる使い方をすれば良いだけの話。単に使い方が下手という話にしかならない。
そもそも、SNSで数十人の友人達に合計10万円~30万円のコストをかけるのが勿体無いって、よっぽど詰まらない友人しかいないんだろうな、とも言える。それが氏を「人として三流」とする根拠の一つ。そもそも、友人の「価値」を金で計ること自体正しいかどうか怪しい。友人の価値、それは「プライスレス」だ。
同調者も言う。「フェイスブックやミクシィなどのSNS,ツイッターなどのつぶやき的ミニブログなど、それ自体をビジネスの道具にするのでなければ、ハッキリ言って時間の無駄」。時間を直接的に儲かる金でしか考えられないのが「可哀想な人」という大きな理由。「金を得られる時間以外は無駄」って趣味の時間は?そんな人生の「深み」なんてたかが知れてるし、その人の人間的魅力も推して知るべしだ。
「貴重な時間をそうした”暇つぶし”に浪費するのは大いに無駄だし、競争社会に生きるサラリーマンには危険ですらあると思う。そうした時間を何か一つの分野の勉強に当て続ければ、他の人に相当なアドバンテージを築ける」というのは事実だろう。
だが、人生の価値は「サラリーマンとして会社で出世すること」だけしか思いつかないとしたら、それはとても哀しいことだと思うぞ。
http://news.goo.ne.jp/article/zaikei/bizskills/zaikei_98171.html
俺は結構金遣いが荒い。簡単にタクシーに乗るし、簡単に外食する。いわゆる節約論者からすれば、俺の生き方は「もっての他」ということになるだろう。
だが俺はそのお金で、もっと違うものを買っていると思っている。それは「他のことをやる時間」かもしれないし「精神的な満足」かもしれない。単に「出費」というだけで目の敵にするのは、公共事業になんでも反対すれば仕事してると思っているどっかの党と同じだ。大切なのは、そこに投資した金から、何が得られるのかということ。費用対効果の問題だ。
そしてこれは、金のみならず、時間でも同じことだと思う。
以前「Facebookは時間の無駄」と言った記事があった。探してみたら、元記事は見つからなかった(注:あった。http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20111230/Postseven_78508.html?_p=1)が、その発言に賛同する人の投稿を見つけられた。
http://tomzakki.blog117.fc2.com/blog-entry-2794.html
どうやら、ファイナンシャル・プランナーの伊藤亮太氏の発言らしい。
俺はこの伊藤亮太なる人物がどういう人か知らない。が、FPとしても人としても三流の人間であろうと推測するし、この同調者も含めて「可哀想な人」だなという思いを禁じえない。
2月頃、ちょっとSNSを休んでいた頃にも言ったが、確かにSNSにかかる時間的コストは大きい。正直、見過ごせない大きさになりつつある(だからこそ、忙しい一時期遠ざかるを得なかった)。その意味では「時間の無駄」という主張は一面正しい。が、逆に言えば単に一面的な底の浅い見方でしかない。
上記の金の話と一緒で、投資したコストからどれだけのリターンが得られるのか。その観点無くして話は始まらない。そう、時間も投資財なのだ。「FPとして三流」と言ったのは、時間が投資財であるということが分かっていないと思えるからだ。
確かに氏は言う。「毎日つぶやいたり、行動を記したとしよう。その時間はどのくらいかかっているであろうか。なんやかんやで1日に合計すると30分や1時間も見ている人、いいね!を押したりしている人はいないだろうか? その時間を仮に時給900円で働くことができたと考えた場合、年間で10万円~30万円分もの価値を無駄にしている」。それは正しい。だが、それなら、その10万円~30万円以上の「何か」が得られる使い方をすれば良いだけの話。単に使い方が下手という話にしかならない。
そもそも、SNSで数十人の友人達に合計10万円~30万円のコストをかけるのが勿体無いって、よっぽど詰まらない友人しかいないんだろうな、とも言える。それが氏を「人として三流」とする根拠の一つ。そもそも、友人の「価値」を金で計ること自体正しいかどうか怪しい。友人の価値、それは「プライスレス」だ。
同調者も言う。「フェイスブックやミクシィなどのSNS,ツイッターなどのつぶやき的ミニブログなど、それ自体をビジネスの道具にするのでなければ、ハッキリ言って時間の無駄」。時間を直接的に儲かる金でしか考えられないのが「可哀想な人」という大きな理由。「金を得られる時間以外は無駄」って趣味の時間は?そんな人生の「深み」なんてたかが知れてるし、その人の人間的魅力も推して知るべしだ。
「貴重な時間をそうした”暇つぶし”に浪費するのは大いに無駄だし、競争社会に生きるサラリーマンには危険ですらあると思う。そうした時間を何か一つの分野の勉強に当て続ければ、他の人に相当なアドバンテージを築ける」というのは事実だろう。
だが、人生の価値は「サラリーマンとして会社で出世すること」だけしか思いつかないとしたら、それはとても哀しいことだと思うぞ。