http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070703-00000005-mai-pol
<久間防衛相発言>言葉に重みなく 「真意」は依然不明確
いや、単に馬鹿には分からないというだけではないかな(苦笑)。
もちろん、先に書いた俺の分析も推察に過ぎないと言えばそうだが、彼の発言を細かく分析し心理を推察しているし、概ね外れてはいないだろう。
「長崎出身の人があんなことを言うなんて」という人もいたが、それは逆だ。長崎出身だからこそ、ああいあ諦観にたどり着くのだろうし、それを口にする資格があるのだ。「あの人の尊い犠牲の上に、今の我々の繁栄がある」なんて、赤の他人が言ったら、それこそ大問題だ。
再度言う。
「原爆投下も、それで戦争が終わったのだから、しょうがないと思う」
「原爆投下への納得いかない思いは今もあるが、『それで戦争が終わったのだから』という
頭の整理で、しょうがないと思う」
では全然意味が異なる。
この違い理解できないほど、日本人の「行間を読む能力」が落ちていることの方が恐ろしい。
そして、いわゆる「反戦団体」「反原爆団体」を自称する人々が、極めて好戦的であり、原爆や敵国に対する憎しみを原動力に行動している点も、自己矛盾ではないかと思う。
ちなみに、一部プロガーの中に「日本は加害者なのだから、原爆を落とされてもしょうがない」と言う人間がいた。が、そういう「自虐史観」的な意見は違うと思うし、少なくとも久間の意図は自虐史観にはない。
戦争というのは、歴史の大きな流れの中で語られるべきものであり、近視眼的に「どちらが加害者」「どちらが先に始めた」「アジアの人々に苦痛を与えた」と語るべきものではない。
また、何をスコープ(評価の区切りの範囲)にするかによっても評価は異なる。例えば、原爆投下だけをスコープにして言えば、日本は被害者であり、アメリカは加害者なのだ。「太平洋戦争」をスコープにしてそれに異を唱えるのは自由だが、それなら、「太平洋戦争」より更に大きなスコープで見れば、話が違ってくることも考えるべきだろう。