4匹の犬の置物がある窓際、
昔の喫茶店にあったような黒い椅子が袴田巌さんの定位置だ。
暑い日も寒い日も「冤罪をなくせ!」と書かれたうちわで自らを扇いでいる。
しばらくそっとカメラを回していると、
うちわの動きがだんだん鈍くなりやがてぴたっと止まる。うたた寝だ。
一方リビングを隔てて向こう側の部屋からは「ジャジャン、ジャジャン」と
明らかに初期型のコンピュータゲームの音が聞こえてくる。
姉の秀子さんがパソコンで麻雀ゲームを楽しんでいる。
巌さんが釈放されて1年が過ぎ、取材陣もなく2人の日常は穏やかに淡々と過ぎていく。
このところ巌さんは家から出ようとしない。
ボクシングジムに誘っても花見に誘っても出かけない。
なにやら本人曰く「今はここで受け取るものがある、
知恵をうけとらにゃいかん」といっている。
映画「袴田巌」プロジェクトの撮影をはじめる時にひとつだけ決めていたことがある。
それはしばらく事件に関することは聞かないでおこうということ。
巌さんの中では“袴田事件”はすでに終わっている。
48年に及ぶ拘禁生活の中で、死刑の恐怖に怯えながらしだいに
自分の世界観を持つようになったのだと思う。
ある時は警視総監、ある時は裁判官、ある時は松尾芭蕉…。
とにかく自分が一番偉くなって、冤罪も死刑制度も終わらせたのだという。
だから最近は集会には参加したがらない。節目である1年目の集会にも参加しなかった。
しかしがっかりする必要はない。
この1年、カメラ越しに見る巌さんにはずいぶんと表情が戻ってきたように思う。
「巌さん将棋やりますか」と訪ねると「やってもいいよ」と返事が返ってくる。
現在53戦全敗、巖さんとの対戦成績だ。
将棋をやるようになった頃、後数手で私が勝ちそうになったことがあった。
巌さんの追い詰められた表情、しかしその後まもなくして巌さんの逆襲がはじまり、
あっという間に詰み。
その瞬間ニヤッといやらしい笑みを浮かべた巌さんの表情は今も忘れられない。
「御身の神、袴田巌、“儀式”の一環として甘いものをちょうだいまし!」といって
饅頭やあんぱんを食べる時は間違いなくおいしそうな顔をしている。
時には何かに苛立ち「面会謝絶!」と怒ることもあった。
そして誕生日には財布をプレゼントされ上機嫌、支援者の歌に手拍子をするようにもなった。
先日は釈放後はじめてボクシングを生観戦。およそ4時間、
ときには解説しながらボクシングを楽しんでいた。
人とふれあうことで巌さんの奥底にあるはずの
楽しいかすかな記憶を手繰りよせようとしているように思う。
撮影素材は100時間を超えたが何か答えがでたわけではない。
できる限りカメラ越しに寄り添い、48年という巌さんの失われた時間の意味を考えたい。
同時に巌さんは何を取り戻していくのだろうか…。
そっと見つめたい。
金聖雄