「水城」とは西暦664年から当時九州地方の政庁があった大宰府の防衛のために築かれた土塁跡です。
大和朝廷が朝鮮半島に出兵し新羅・唐の連合軍に敗北した白村江の戦いの翌年から国家事業として築かれました。
1.水城跡の桜
水城跡の北側には桜並木があり、遊歩道となっています。
2.水城跡の南側
水城は長さ1.2km幅80m、高さ10mの規模で、当時の外港であった博多から大宰府へ向かう谷を塞ぐように東西に築かれています。
土塁の北と南には水堀も作られていたようです。
3.菜の花畑
水城跡の南側はちょうど菜の花が満開でした。
4.官道
博多から大宰府へは2本の官道があり、ここが関所となっていました。
5.展示館
東門に当たる水城跡には展示館があり、当時の歴史などが展示されています。
6.水城跡展望所からの眺め
展示館の上は展望所になっています。
谷を塞ぐ水城は三笠川により東西に2分されて築造されいましたが、今では高速道路や鉄道によって3分割になっており通り抜けできません。
撮影:iPhone
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます