なめ猫

kyouiku&entame

人権擁護法は表現を萎縮させる

2005年03月08日 | Weblog
ある方からの情報だが近々、自民党が法務部会を開くという。この法務部会を通過しないと問題の人権擁護法案は国会にあがらない。が、政府は15日に閣議決定させ国会に提出する予定になっている。このままでは間違いなく国会で賛成多数で可決してしまう。焦りまくりです

なにしろ、この人権擁護法案、人権擁護という大義名分の下に国民の思想、良心、表現の自由に公権力をもって介入してくるものである。ネットだって規制の対象となる。このブログだって危なくなる。特定の思想をもった個人や集団が中立を装った人権擁護委員に苦情を訴え、関係者の出頭請求立入検査等の巨大な権限をもっている第三者機関が裁くことができる。ちょっとした言葉尻をつついて、あれは差別だとなったら昔の言葉狩りと一緒で表現は萎縮してしまう。

では、差別の定義は何処にあるのか?

法案の中で差別、人権侵害の定義は明記されてはいない。委員会メンバーの主観に左右されてしまう。人権委員会の判断が不適切であるとして批判をすると、それが差別発言であるとされ、規制が加えられる可能性があるのだ。

共同通信によると、日本ジャーナリスト会議や新聞労連などが政府・与党が提出を予定している人権擁護法案についてメディア規制などに反対する声明を発表したようだ。

「公権力が市民の思想、表現の自由やプライバシーを侵害しても救済の対象とされていない点も人権擁護の名に値しない」

まさにその通りである。もちろん日本ジャーナリスト会議や新聞労連は左翼系だが、今回いってることは真っ当である。本当に危機なのだ。