![]() | 晩年 (新潮文庫) |
太宰 治 (著) | |
新潮社 |
「あるあるネタ」というジャンルについて、なゆゆ先生の『アラサーちゃん』4巻を読むと、才能ある作家が同じ軌道でひとしきり周回すると、螺旋状に「深化」、というか濁っていくというか、いわゆる「私小説」の領域に浸蝕していくのだなあと知れる。
ギャグ漫画の場合、作品の「深化」はすなわち「作者発狂」のスキャンダル!であるが、「あるあるネタ」という風刺漫画においてはどうなのだろう。
自分が編集者だったら、初期衝動を放出しつくし、からっぽとなったなゆゆ先生には、20世紀文学の勝手気ままなコミカライズみたいなのを頼んでみたいが‥‥‥それこそ「私小説」でもよいし。
ところで「私小説」のアイコンといえば太宰で、太宰といえば、なんとなく「かっこいい」分類になっていると思う。
そこで、以下にデコ氏(高峰秀子さん)が『わたしの渡世日記』の中で、メディアミックス企画『グッドバイ』〔1949・監督島耕二〕の顔合わせで会った晩年の太宰を、上から観察でこきおろした、大好き!な箇所を引用してみたい。
昭和二十二年の夏‥‥‥まだ敗戦後二年、街ゆく人々の服装はもちろん貧しかった。それにしても、である。新橋駅に現れた太宰治のスタイルはヒドかった。既にイッパイ入っているらしく、両手がブランブランとゆれている。ダブダブのカーキ色の半袖シャツによれよれの半ズボン、素足にちびた下駄ばき。広い額にバサリと髪が垂れさがり、へこんだ胸、細っこい手足、ヌウと鼻ののびた顔には彼特有のニヤニヤしたテレ笑いが浮かんでいる……。作家の容姿に、これといった定義があるわけではないけれど、とにかく、当代随一の人気作家太宰治先生は、ドブから這いあがった野良犬の如く貧弱だった。‥‥‥
毎年‥‥‥「桜桃忌」‥‥‥の新聞記事を見るたびに、私は、鎌倉の料亭の玄関で「もっと呑ませろィ、ケチ!」と叫んだ、ヤセ馬のような彼の横顔が思い出されてならない。(「十人の旗」)
この後、「キッチリ山の吉五郎」という、小津安二郎の人となり、風格を褒め称える章があり、その落差が余計に‥‥‥!
![]() | わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫) |
高峰 秀子 (著) | |
新潮社 |
![]() | アラサーちゃん 無修正 4 |
峰 なゆか (著) | |
扶桑社 |