関東地方は、昨日17日に梅雨明けしたそうです。
朝の予報だと、梅雨明けは20日と言っていたのですが、昨日は朝から晴天が続いていたので、「やっぱり・・・」でした。
昨日は、各地で猛烈な暑さになり、群馬県内で今年初めて39度を超える気温を観測したそうです。
こちらも相当暑くて、私の家でも部屋の温度が32度になり、主人も犬たちのためにエアコンをつけたと言っていました。
そんな猛暑、人間だけでなく動物園の動物たちも、みなぐったりして、あちこちで寝そべっている動物が多かったようです。
ラジオのパーソナリティが、昨日動物園のゴリラの檻に行ってみると、集団でぐったりと寝転んでいるゴリラの中に一匹だけ集団から離れて寝そべっているゴリラがいたそうです。
そのゴリラを見ていたら、一人の老人が話しかけてきました。
「あのゴリラはナナというんですよ。みんなにいじめられていて、いつもあの場所に一匹だけでいるんです。」
と。
その老人は、動物園ウォッチャーで、週に3~4回は動物園に来て、動物たちを眺めているんだそうです。
老人とそんな話をしていた時、ゴリラのナナちゃんが突然、その場所を動き出し、あれよあれよという間に、ゴリラの檻の中にある一番高い岩に登っていったそうです。
老人は、驚きの声を挙げました。
「ナナちゃんが、動いた!しかもあんな高いところへ登った!こんなことは初めてだ!」
と。
老人は急いでカメラを持ち出し、何枚も何枚も岩に登ったナナちゃんの写真を撮っていたそうです。
ナナちゃんは、いつもみんなからいじめられて上りたい岩山にも登れずにいたらしく、みんながぐったりしている隙に岩山へ登ったのだろうと言う事でした。
どこの世界にもいじめはあるんだなぁと思いました。
私も小学校の高学年の頃、いじめられた経験があります。
いじめというより意地悪されたと言った方が正しいかと思います。
私にも原因はあったと思います。
今思うと、私は当時、生意気で鼻持ちならない子供だったと思います。
なので、一人になると、一部のグループからちょっとしたことで攻撃を受けました。
私の一挙一動をからかわれたり、身体的なことを笑われたり。
でも、その意地悪のことは、誰にも言いませんでした。
自分のグループの友達にも親にも言いませんでした。
私は母親には、何でも報告する子供でした。
楽しかったことうれしかったこと悔しかったこと腹が立ったことなど。
毎日学校から帰ると母に一部始終報告しました。
でも、その意地悪の事だけは、母には言いませんでした。
私は親の勧めで地元の中学には行かなかったので、小学校卒業の後は、そのいじめグループの人たちとも会うこともなくなり、嫌な思いは小学校卒業と共に終わりました。
私の娘もいじめにあった事があると今になって言っています。
朝学校へ行くと上履きを隠されていたり、水浸しにされていたりしたと言います。
他にももっとあったのかもしれません。
中学生の時だったようです。
娘は、高校進学の時、「学区内の高校へ行きたくない」と言い、娘の学校からは二人しか行かない遠くの高校へ行きました。
それは、たまたま私が娘に向いていると思った高校と一致したため、娘の希望通りその高校に進学しました。
娘の高校生活は、いじめとは無縁で、それなりに楽しいものだったと思います。
「ずっといろんな意地悪をされていたけど、その犯人が誰だかわからなかった。だから、誰も知っている人がいない高校へ行きたかった。」
と娘は、言います。
そんなことがあったなんて、私は知りませんでした。
「どうして、その時に私に言ってくれなかったの?」
と今更ながら私は娘に言いましたが、そういえば、私も自分が意地悪されたことは、親には話さなかったなぁと思いました。
滋賀県のいじめの事が連日報道されています。
マスコミの過剰報道もあるのかもしれません。
真相は、わかりません。
”同級生3人は「じゃれ合っていただけ」と、いじめそのものについて否定した。”
と言います。
でも、子供が一人死んでいるんです。
”やったほうはたいしたことはないと思っているが、やられた方は、死ぬほど傷ついている。
やった方は、覚えていないことでもやられた方は一生忘れられない。”
そういうことは多々あります。
学校側の責任も大きいと思います。
学内で起こっていることに、もう少し目を向けなければいけないし、それが小さないじめであっても、いじめがないなんて、思っていること自体が問題です。
昨日の裁判で市は責任を認める発言をしたと言います。
でも、私が思うに、学校も市も責任があるのはもちろんだけれど、加害者と言われる子供に何ら罪の意識がないというのが問題だと思うんです。
彼らが反省して自分たちの行為を悔いることがない限り、自殺した生徒は報われません。
私は加害者に制裁を加えるなどとは思っていません。
ただ、自分たちのしたことが人の命を奪うほど心に大きな傷を与えたということを真摯に受け止めて反省して欲しい。
そして、それを彼らの今後の人生に生かして欲しい。
そういうことがなければ、原告が裁判で勝利しても意味がないと思うんです。
朝の予報だと、梅雨明けは20日と言っていたのですが、昨日は朝から晴天が続いていたので、「やっぱり・・・」でした。
昨日は、各地で猛烈な暑さになり、群馬県内で今年初めて39度を超える気温を観測したそうです。
こちらも相当暑くて、私の家でも部屋の温度が32度になり、主人も犬たちのためにエアコンをつけたと言っていました。
そんな猛暑、人間だけでなく動物園の動物たちも、みなぐったりして、あちこちで寝そべっている動物が多かったようです。
ラジオのパーソナリティが、昨日動物園のゴリラの檻に行ってみると、集団でぐったりと寝転んでいるゴリラの中に一匹だけ集団から離れて寝そべっているゴリラがいたそうです。
そのゴリラを見ていたら、一人の老人が話しかけてきました。
「あのゴリラはナナというんですよ。みんなにいじめられていて、いつもあの場所に一匹だけでいるんです。」
と。
その老人は、動物園ウォッチャーで、週に3~4回は動物園に来て、動物たちを眺めているんだそうです。
老人とそんな話をしていた時、ゴリラのナナちゃんが突然、その場所を動き出し、あれよあれよという間に、ゴリラの檻の中にある一番高い岩に登っていったそうです。
老人は、驚きの声を挙げました。
「ナナちゃんが、動いた!しかもあんな高いところへ登った!こんなことは初めてだ!」
と。
老人は急いでカメラを持ち出し、何枚も何枚も岩に登ったナナちゃんの写真を撮っていたそうです。
ナナちゃんは、いつもみんなからいじめられて上りたい岩山にも登れずにいたらしく、みんながぐったりしている隙に岩山へ登ったのだろうと言う事でした。
どこの世界にもいじめはあるんだなぁと思いました。
私も小学校の高学年の頃、いじめられた経験があります。
いじめというより意地悪されたと言った方が正しいかと思います。
私にも原因はあったと思います。
今思うと、私は当時、生意気で鼻持ちならない子供だったと思います。
なので、一人になると、一部のグループからちょっとしたことで攻撃を受けました。
私の一挙一動をからかわれたり、身体的なことを笑われたり。
でも、その意地悪のことは、誰にも言いませんでした。
自分のグループの友達にも親にも言いませんでした。
私は母親には、何でも報告する子供でした。
楽しかったことうれしかったこと悔しかったこと腹が立ったことなど。
毎日学校から帰ると母に一部始終報告しました。
でも、その意地悪の事だけは、母には言いませんでした。
私は親の勧めで地元の中学には行かなかったので、小学校卒業の後は、そのいじめグループの人たちとも会うこともなくなり、嫌な思いは小学校卒業と共に終わりました。
私の娘もいじめにあった事があると今になって言っています。
朝学校へ行くと上履きを隠されていたり、水浸しにされていたりしたと言います。
他にももっとあったのかもしれません。
中学生の時だったようです。
娘は、高校進学の時、「学区内の高校へ行きたくない」と言い、娘の学校からは二人しか行かない遠くの高校へ行きました。
それは、たまたま私が娘に向いていると思った高校と一致したため、娘の希望通りその高校に進学しました。
娘の高校生活は、いじめとは無縁で、それなりに楽しいものだったと思います。
「ずっといろんな意地悪をされていたけど、その犯人が誰だかわからなかった。だから、誰も知っている人がいない高校へ行きたかった。」
と娘は、言います。
そんなことがあったなんて、私は知りませんでした。
「どうして、その時に私に言ってくれなかったの?」
と今更ながら私は娘に言いましたが、そういえば、私も自分が意地悪されたことは、親には話さなかったなぁと思いました。
滋賀県のいじめの事が連日報道されています。
マスコミの過剰報道もあるのかもしれません。
真相は、わかりません。
”同級生3人は「じゃれ合っていただけ」と、いじめそのものについて否定した。”
と言います。
でも、子供が一人死んでいるんです。
”やったほうはたいしたことはないと思っているが、やられた方は、死ぬほど傷ついている。
やった方は、覚えていないことでもやられた方は一生忘れられない。”
そういうことは多々あります。
学校側の責任も大きいと思います。
学内で起こっていることに、もう少し目を向けなければいけないし、それが小さないじめであっても、いじめがないなんて、思っていること自体が問題です。
昨日の裁判で市は責任を認める発言をしたと言います。
でも、私が思うに、学校も市も責任があるのはもちろんだけれど、加害者と言われる子供に何ら罪の意識がないというのが問題だと思うんです。
彼らが反省して自分たちの行為を悔いることがない限り、自殺した生徒は報われません。
私は加害者に制裁を加えるなどとは思っていません。
ただ、自分たちのしたことが人の命を奪うほど心に大きな傷を与えたということを真摯に受け止めて反省して欲しい。
そして、それを彼らの今後の人生に生かして欲しい。
そういうことがなければ、原告が裁判で勝利しても意味がないと思うんです。