「自動車〇〇場の・・・」
平日、新潟の我が家へ訪問者。
〇〇場以下が良く聞き取れなかった。
自動車駐車場 ?
玄関前に止められた車がチラッと見えた。
制服を着ていた。
駐車場 ?
車庫証明の件 ?
いったい何の用事だろう ?
訪問者は話し始めた。
「18歳になられた
お子様ですが・・」
スィッチが入った。
落ちていく。
自分の表情が変わるのが分かった。
「どの様な用件でしょうか。」
訪問者の首に身分証が
掛けられていた。
聞きながら目を向けた。
そこには、
〇〇自動車学校の文字が
「まだ車の免許を取られていない様なので・・」
「取得の予定はないですか・・・」
よくある日常の会話、出来事
「予定・・ありませんので・・・」
訪問者は、
高校卒業後、家を離れて
都会で生活をしていると
思われた様だった。
「今後、必要となったら是非・・」
そう言って帰られた。
普通であれば
何でもない事。
普通であれば
些細な事が
心に響く
心を揺さぶる
そして
後を引く・・・
なかなか
書く気持ちになれず
1ヶ月以上も前
3月1日の事
校長先生から
案内をもらってから
正直なところ、
「どうしょうか」
迷いました。
卒業式
悠斗と一緒に入学し
卒業していく生徒たち。
その中に
悠斗 は
いません。
それを目の当たりにして
「みんな、おめでとう」
祝福の気持ちでいられるだろうか・・・
平常心でいられるはずがない。
しかし、
悠斗
悠斗の魂の卒業を
見送ってあげなければ
そう思って、出席を決めました。

出席に当たり
校長先生に4つのお願いを。
「横断幕を掲げて欲しい」

悠斗と一緒に出席するんだ
そんな気持ちでした。
そして、
卒業証書は無理として
「悠斗が在学した事を証する
証書的な物がいただきたい」

「日曜日に中庭に植えた金木犀の木を
悠斗母に見せてあげたいので、
学校に入らせてもらいたい。」


「金曜日の夜間の仕事が終わってから
学校に向かうので、受付時間に
遅れても出席してかまわないか」
規定によっては
「すべて希望通りに出来ない
場合もありますが」として、
快く了承していただきました。
そして、当日。
一年三組の悠斗の担任だった先生が、
生徒玄関前で迎えてくださいました。
寒い中、申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。
無事受付時間に間に合い体育館へ、
一番後ろの席に着きました。
前列には保護者の方々が、
にこやかにわが子の登場を
待ちわびる様子がひしひしと感じられる。
そして、いよいよ
拍手で迎えられる生徒達。
その中に
悠斗はいません。
わが子は何処かと見回す保護者
卒業証書授与式が始まり
名前を呼ばれ立ち上がる生徒達
その中には保育所から一緒の名前
〇〇君だ
〇〇さんだ
と聞いていましたが
当然最後まで
その中に
悠斗の名前はありません。
写真・ビデオ撮影をする
卒業生の父・母
解ってはいる事ですが、
納得は出来ません。
この式典で悠斗の存在を
感じる事は出来ないのか・・・・
乱れる心
考える事は卒業式と無関係
その時
スピーカーから
「一年の時〇〇悠斗さんが・・」と
生徒会長さんの声
「 ハッ !」 とした。
式典から遠のいていた心が
一気に戻った。
嬉しかった。
悠斗の事を話してくれた。
それだけで
嬉しかった。
悠斗、
「覚えていてくれてるよ」
胸ポケットに入れていた
写真に手を触れた。
粛々と進行する式典
そして、卒業生退場
会場か拍手に包まれる。
わが子の姿見届け様と振り返る
にこやかな卒業生父母の面々
悠斗父たけが
正面を向いたままでした。
式典は終了し、
保護者はわが子の教室へ。
その時、今は引っ越しされましたが
悠斗が生まれた当時、同じ町内だった
幼なじみのご両親が声をかけてくれました。
ありがとうございました。
体育館に残されたのは在校生と先生
そして悠斗父
この人はどうしてここいるの・・・
視線を感じながら・・・
廊下でサッカー部のみんなを
待っていました。
以前にアップした
サッカー部のみんなと横断幕の写真を撮影し
この日の式典終えました。
卒業する皆さんに
僅か2日間で急遽作成してもらった
ストラップ

つまらない物で申し訳ありませんが、
このストラップを見たときに
悠斗の事を思い出していただけると
幸いです。
皆さん、新しい生活には
もう、慣れましたか。
落ち着いて、時間に余裕があったら
また、家に来て下さいね。
お待ちしています。

久しぶりに
日曜日を挟んで
三連休。
明日も
や す み
です。
とはいっても、
一日目は半日の感覚ですが・・・
金曜日、仕事が終わって
会社を出発したのは
AM 3:00
富山市の


です。
広大な会社敷地の回りに
さくら並木
散り始めかな?



悠斗父が勤務する会社の
向かいの会社の
さくら です。
出発して約2時間
AM 5:00 頃
明るくなって来ました。
上越市の8号線沿いの海岸

悠斗父の会社は、単身赴任者に対する
帰省手当はあるのですが、月に一回のみ。
夜中に帰省するので、
他は8号線と116号線で帰って来ます。
夜間は黄色点滅の信号が多いのと、
海岸線は信号があまり無いので
結構スムーズです。
さらに1時間
柏崎市の穏やかな

朝焼けの空


さらに進み
振り返ると上越の雪山

そして
AM 7:00 過ぎ
漸く到着です。
自宅近くの
悠斗が通った小学校校門脇の
さ く ら


日当たりによって違うんでしょうが
新潟市燕市は


咲き始めでした。
久しぶりに
仕事が休みの
土曜日でした。
16:00過ぎ
自宅前で
「こんにちは」
と声をかけられました。
「〇〇〇〇の父親です」
悠斗と吉田SCで一緒たった
小学生時代から
キックが正確で
フリーキック
コーナーキック
を任されていた選手の
お父さんでした。
励ましの言葉をいただきました。
そして、
ブログ見てますよ。
どんどん更新してください・・と
ありがとうございます。
その後
17:00頃
ピンポーン
チャイムの音
同級生の友達と
新潟市の悠斗と共通の友達が
お参りに来てくれました。
今日は同級生宅に
お泊りだそうです。
ありがとう。
また来てね。