道楽人日乗

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映画「あゝ、荒野」前編・後編

2018-02-04 11:08:27 | 映画感想

寺山修司原作・岸善幸監督 2017年

2021年の新宿、不幸な生い立ちをもつ二人の青年、荒くれ者の新次と、どもりで内気な建二がボクシングを通じて成長し、やがて闘うまで。場末のジムといい隻眼のトレーナーといい、昭和の気配が濃厚だが、社会情勢が今より不安定らしい近未来という時代設定が違和感無くはまっている。

原作は未読。更生したとはいえ、老人を騙して財産を巻き上げていた新次には、あまり共感が出来なかった。前編では本筋と別に自殺防止活動をしている大学生とその仲間が出てくるパートがあるのだが、彼等の活動、とくに中盤の「自殺防止フェスティバル」は荒唐無稽すぎてドッチラケである。このあたりの頭でっかちなエピソードは原作にあろうが丸ごといらないと僕は思う。
生活の為オーナーの経営する老人ホームで働く事になった新次が、老人達と向き合う場面をもっと厚みをもって描いてほしかった。

震災時の電話応対を苦にしている30代くらいの電力会社社員という人物にも違和感がある。年齢的にはあり得なくは内かもしれないが、彼は20年も震災後の辛い応対を引きずっていたのだろうか。主要登場人物の過去そのものの肉親達が新宿の狭いエリアに集まってきて互いに関係を持つのも、いくら物語とはいえ不可解でもある。(ロバート・アルトマン的な演出、アルトマン・システムのつもりだったのだろうか)

文句ばかり言ったけれど、あの「息もできない」の監督、ヤン・イクチュンが健二役で主演していて、その存在感に圧倒された。すごくないか? もう一方の主演、菅田将暉演じる新次とのボクシング場面は有無を言わさぬ迫力の名場面だ。
けれどボクシングについて僕は知らないが、あの終盤のありさまは「試合」なのだろうか?どうしてああなるのか。

試合終盤の木村多江の絶叫「コロせ!」でドッチラケ。昭和を引きずっている訳では無いと思うのだけれど、それにしてもどうして毎度ああいう結末になるものか。唖然としてがっかりしました。





ヤン・イクチュン監督・主演 「息もできない」 2010年韓国

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