ネタバレ感想です。原作、漫画ともに未読。以下は映画についてのみ語ることが目的のおしゃべりです。
その1で、議論の前提を確認しています。
ネタバレ!映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」の矛盾点に対する勝手な考察。その1。
さて、
ラストでオメガ体をやっつけたトムは、その血を浴び、再びリセットをかけました。ただし、このリセットは今までと違い、倒した敵星人は倒されたまま。事象が選択的に固定されています。今までの時間遡行ループとは異なった現象です。ネットで見た感想では、なんだか最後がおかしいぞという意見をいくつか見ました。 僕の案は、逆にラストを正として全体を再構成してみてはどうかというものです。前編でとりあげた問題点2を矛盾では無く、オメガではなんか違うことが起こったとする。ここから前後を見渡すとどうなるか。
アルファ体およびドローン体の遡航は頭脳であるオメガによりコントロールされていました。映画の最後でも、敵星人が全滅はしていないので、オメガの能力は地域的に限定的に使用されていたことがわかります。
本編を通じてのトムの遡航能力は、「ループの主導権」を得ていても限定されていました。結末において、アルファの能力を超えた、オメガの能力を得たトムは、それまでの限定が外れた力を発揮したと考えます。映画の結末は実際そうなっています。つまり彼の望む現実を選択し定着させたのです(あるいは彼の望む現実を具現している並行世界に移動した)。
トムが望んだ世界とは、オメガ体殲滅という事実が継続して実現されている世界、ということだけではなかったと考えてみてはどうでしょう。彼はもっと別の大きな選択をしていたと。
「リタのいる世界」です。トムがオメガ体の血を吸収して能力を発動した、そのポイントを「ゼロ地点」とします。ゼロ地点を中心に、未来も選択され変わりますが(映画の結末部)、必然的に過去も組みかわります。ここに至る、われわれが見たここまでの映画本編は組み替えられた世界でした(!)。
トムによって組み替えられる前の世界とは、何か。リタがすでに死んでいて、存在しない世界です。
本編以前の時空には、こんな世界が…。
リタはトムに出会う前に、輸血によりループの力を失い、死んでしまいました。そのありさまは、理解者カーター博士からトムにつたわることになります。トムは何度ループしてもループの限界をとびこえてリタが生きている時間にまでは戻れません。リタの孤独な闘い、その苦難に満ちた戦績を学び、さらに膨大なループを重ねながらも、記録として残されたリタの姿を追い求め、自らを支え、高めるうちに、憧れが恋に変わりました…。
まず、トムは膨大な繰り返しの末に、たった一人でオメガ体に辿り着き、ゼロ地点で世界を変えた(選びとった)のです。「リタのいる世界」へ。
↑ 図 1.(トムの主観のみちすじ)
トムが選び取った世界では「ループの主導権」は同時期に一人しか持てないという法則、前編で論じた 前提1 が働き、リタは遡航能力を失っています。その原因(輸血)は、いわば後付け! トムの記憶からおよんで、リタとカーター博士にとって既知である状態として、未来(隣接する平行世界)であるゼロ地点から選択されたものでした。
映画を見直したのですが、1h25min. のところで、輸血されて能力を失ったトムが「もう、戻れない。自分で感じるんだ」って言ってましたね。
輸血したら死んじゃうという知識が先験的に与えらる世界が選択されたということでしょうか。
(なんだ、結局「Don't Think.Feel」で良かったのか)(まさに屋上屋)
まあ、そんなわけで、トムがリタを見つめる場面。トムの視線には、おもいもかけぬ深い想いがこめられていたわけです。だからこそ、エンディングの音楽は、「Love Me Again」もいちど、愛して。
大体こんなところが、問題点1への、僕なりの解決案です。
結論「ラストの特別なジャンプで、トムがそういう世界を選んだんですよ」
なんちゃって。
その1で、議論の前提を確認しています。
ネタバレ!映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」の矛盾点に対する勝手な考察。その1。
さて、
ラストでオメガ体をやっつけたトムは、その血を浴び、再びリセットをかけました。ただし、このリセットは今までと違い、倒した敵星人は倒されたまま。事象が選択的に固定されています。今までの時間遡行ループとは異なった現象です。ネットで見た感想では、なんだか最後がおかしいぞという意見をいくつか見ました。 僕の案は、逆にラストを正として全体を再構成してみてはどうかというものです。前編でとりあげた問題点2を矛盾では無く、オメガではなんか違うことが起こったとする。ここから前後を見渡すとどうなるか。
アルファ体およびドローン体の遡航は頭脳であるオメガによりコントロールされていました。映画の最後でも、敵星人が全滅はしていないので、オメガの能力は地域的に限定的に使用されていたことがわかります。
本編を通じてのトムの遡航能力は、「ループの主導権」を得ていても限定されていました。結末において、アルファの能力を超えた、オメガの能力を得たトムは、それまでの限定が外れた力を発揮したと考えます。映画の結末は実際そうなっています。つまり彼の望む現実を選択し定着させたのです(あるいは彼の望む現実を具現している並行世界に移動した)。
トムが望んだ世界とは、オメガ体殲滅という事実が継続して実現されている世界、ということだけではなかったと考えてみてはどうでしょう。彼はもっと別の大きな選択をしていたと。
「リタのいる世界」です。トムがオメガ体の血を吸収して能力を発動した、そのポイントを「ゼロ地点」とします。ゼロ地点を中心に、未来も選択され変わりますが(映画の結末部)、必然的に過去も組みかわります。ここに至る、われわれが見たここまでの映画本編は組み替えられた世界でした(!)。
トムによって組み替えられる前の世界とは、何か。リタがすでに死んでいて、存在しない世界です。
本編以前の時空には、こんな世界が…。
リタはトムに出会う前に、輸血によりループの力を失い、死んでしまいました。そのありさまは、理解者カーター博士からトムにつたわることになります。トムは何度ループしてもループの限界をとびこえてリタが生きている時間にまでは戻れません。リタの孤独な闘い、その苦難に満ちた戦績を学び、さらに膨大なループを重ねながらも、記録として残されたリタの姿を追い求め、自らを支え、高めるうちに、憧れが恋に変わりました…。
まず、トムは膨大な繰り返しの末に、たった一人でオメガ体に辿り着き、ゼロ地点で世界を変えた(選びとった)のです。「リタのいる世界」へ。

トムが選び取った世界では「ループの主導権」は同時期に一人しか持てないという法則、前編で論じた 前提1 が働き、リタは遡航能力を失っています。その原因(輸血)は、いわば後付け! トムの記憶からおよんで、リタとカーター博士にとって既知である状態として、未来(隣接する平行世界)であるゼロ地点から選択されたものでした。
映画を見直したのですが、1h25min. のところで、輸血されて能力を失ったトムが「もう、戻れない。自分で感じるんだ」って言ってましたね。
輸血したら死んじゃうという知識が先験的に与えらる世界が選択されたということでしょうか。
(なんだ、結局「Don't Think.Feel」で良かったのか)(まさに屋上屋)
まあ、そんなわけで、トムがリタを見つめる場面。トムの視線には、おもいもかけぬ深い想いがこめられていたわけです。だからこそ、エンディングの音楽は、「Love Me Again」もいちど、愛して。
大体こんなところが、問題点1への、僕なりの解決案です。
結論「ラストの特別なジャンプで、トムがそういう世界を選んだんですよ」
なんちゃって。
なにぶん少し前の文章で、自分でも内容を忘れており、思いかえし再考しました。不十分かも知れませんがお許しください。
この文章の目的は、考察1の問題点1のUさんの疑問に答えることにありました。原因があって結果がある因果律の世界で、結果を先に知ることはできないだろうという疑問だと思います。
この時僕が考えた解決案は、因果律を逆転させ、結果から原因が生まれる状況、あるいは結果と原因が同時に選択される状況は「物語」として考えられないかというものでした。
ゼロ地点においてトムが、偶像視していたリタと共に生き、戦う世界という「結果を成り立たせる為」に、そういう世界を選択したのだと僕は考えてみました。問題点1への答えは「輸血による能力の喪失という知識」は、上記理由により先験的に与えられていた(選択されていた)ということです。
「リタのいない世界」がシナリオにどう絡むかという問いにつきましては、トムがそのような世界の選択をした(創造した)動機ということになると思います。
今日本作品を見ました。
原作や原作に沿った漫画も未読でして、ごく単純な私的考察です。
・リタの能力喪失の自覚
今回の作戦によりリタは死亡している。
感覚的に失われたと気付いてはいたものの、
トムに出会いはっきり自覚。
トムがリタに会いに行った際、
以下の会話があります。
リタ「明日奴らは待ち伏せをしている、前線は血の海になる」
トム「それどうして知ってる?」
リタには今回の作戦が失敗に終わるまでの記憶はあるので、
この作戦で死亡し、輸血による能力喪失が、
リタの中で確定したのだと思います。
・記憶のみのループ
タイムジャンプでもパラレルワールドでも無く、
死亡する前の体に記憶のみが転移する説です。
となると、オメガが何故死んだままなのか?
という疑問が残ってしまいますが、
ご都合主義的理由として、人類と決定的な違い、
地球外生物は能力別に個々に別個体である点です。
別個体である事が強力な戦力になった進化が逆に欠点となり、
オメガのみ個体の損傷に脆かったのでは無いでしょうか。
アルファやその他を操り、オメガ個体まで攻撃が届かない、
転移能力にのみ特化し個体としての防衛力は必要なかった。
多少苦しい説ではありますが、
いかがなものでしょうか。
トムは永遠にループし続けるか。
任意の転移点(トムの理想的出発点)に転移した事で、
転移能力は失われた可能性が高いと思います。
トムは血を浴びだだけですしね。
たとえたった一日であれトムはあんなヘタレ。
熟練戦闘力を得るには相当な回数繰り返し死亡していて、
日単位ではないような気がします。
月単位、年単位かも?で肉体の疲労や老化を考え、
記憶のみの転移説を上げました。
トラックに轢かれた際も即死ではなく、
数分は意識があったと思います。
「記憶のみのループ」というmikaさんの考えは慧眼だと思いますし、そういうことなのかもと僕も思いますが、何が起こっているのか、について分析的に考えていくことはこの物語の限界を超えてしまう様な気がします。
僕の文章の前段でも書きましたが、そもそも「複数の時間線を移動する話」なのか「一つの時間を何度も行き来する話」なのか、この物語ではそのあたりから厳密ではありません。
時を超えて「記憶」が移動するとはどういうことなのでしょうか。一人の人間の過去の経験の積み重ねを維持した「記憶」とはそもそも何処にあるのでしょうか。脳の中? それとも霊魂のようなものなのでしょうか。宇宙の揺らぎ、あるいはパルスのようなものなのでしょうか。
宇宙の姿をも変えてしまうように(みえる)意思とはなんなのか。この物語はそういう哲学を議論する器をもっていないようにおもえます。
あるいはトムは、オメガに変容する途上にあるのか、すでにオメガそのものに取り込まれてしまったソフトウェアに過ぎず、延々と無意味な計算を繰り返して(永劫の夢を見て)いるだけに過ぎない存在なのかもしれません。
この映画自体が一場の夢ーー。
そんな風に、この映画に対峙するよりは、陽気なゲームだと思って楽しむくらいが良いのでは無いか。そんな風に思います。
あまりにも面白く出来過ぎた作品で、感情移入された
ので、この場面、あの場面はこうして欲しかったっ
てのがあります。
◌ ラストでケイジ少佐がギタイ訓練所でリタ軍曹に
初対面のシーンですが、リタが少佐のケイジに
タメ口を叩いているのが残念。敬礼して「何の御用でしょうか?サ-」として欲しかった。