道楽人日乗

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本読むのが遅く、すぐ忘れてしまうので。

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「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「レーン最後の事件」を読む

2019-07-14 09:10:11 | 読書感想

エラリー・クイーン著 越前敏弥訳 角川文庫

ミステリマガジン「ミステリマガジン2019年7月号」のエラリー・クイーン再入門と言う特集を読み、本棚の書作品を眺めていたら、このあたりを再読してみたくなった。(「Z」と「最後の事件」は初読)
以下、ネタバレ前提の雑感(ひとりおしゃべり)です。あらすじも特に書きません。読んでからそれほど時間がたっていないけれども、記憶違いにはご寛恕ください。



初読は中学生?石坂浩二主演の和製ドラマ(「Yの悲劇」)を毎週みていたが、何かの理由で結末が見られず、それで読んだのだったか…。
その頃は不可能犯罪とその解明という「手品の種明かし」みたいのが好きだったので、この手の本格王道には正直なじめず、翻訳も硬い文章だったのでやっとこさ読んだ気がする。

今回は角川文庫版・越前敏弥訳で読んだので、その読みやすさに驚倒。舞台もニューヨークだしジェフリー・ディーヴァーの小説だっけ?と一瞬思うほど。ぐいぐい読める。
年齢を経たせいか、気持ちとしては、終始、探偵のレーン氏に寄り添って読む感じでした。

「Xの悲劇」
●レーン氏の魅力
四部作全編を通して最も印象深かったのは物語中盤でレーン氏がスピーチを求められ、断り切れずいやいや何か話すのかと思ったら、明らかに場違いなシェイクスピアのダークな一幕を、なにか憑依したみたいに演じて見せて場を凍り付かせる場面だった。まるで犯人に「どうした、これで終わりか、もっとやってみせろ!」と次のサツ人をけしかけているような?そういう印象をうけておったまげた。あれ、ここに犯人はいたっけ?とページを行ったり来たりした。おそらくこの場に犯人はいなかったのかもしれないが、受けた印象はかわらない。そして、レーン氏は犯人が同乗していると(おそらく)わかった上で、次の被害者になる可能性が高いとにらんでいる人物に、ダイイングメッセージの軽い講釈をたれる。レーン氏は自らの推理の確証を得るために、手がかり混みの犯行を演出した?ともとれる。(レーン氏は、次に狙われると推定している人物を助ける最大限の努力をせず、サツ害前提で犯人指名の隠れたメッセージの残し方を教唆するという残酷さ)
極めて紳士的、柔和で理性的なレーン氏の印象とは真反対で「おおっ、このおじいさんヤるやんけ!」と、改めて感じ入る次第。
80年くらい前の小説、レーン氏が今で言えば特殊メイクで他人になりきって警察をかたり、捜査に(事件に)介入するのもご愛敬なのかしらん?世間的な「正義」とはちょっと違う人なのがおもしろい。
レーン氏の自宅、シェイクスピア地代の城郭と周囲の村落まで再現したような、広壮な「ハムレット荘」も、マイケル・ジャクソン級の超大金持ちだ。現在のハリウッドスターでもそうはいない成功をレーン氏は一代にして成し遂げたらしいが、舞台演劇の役者ってそんなに儲かったのか? レーン氏の金持ちぶりはどはずれている。何か別の大きな収入源があったのではないか?
この小説の冒頭でレーン氏は大成功を遂げたシェイクスピア役者でありながら、犯罪捜査に係わるその動機として「作者の意図に操られてきたが、自分が糸を引く側にまわってみたい」という。闇の部分を抱えた人なのだ、たぶん。

●珍なる凶器、イガイガ君
ちなみに、第一の事件で、針が刺さっていたコルク球は、11インチ=2.54㎝ 50本 コルクから突き出していた針の長さは1/4インチ=6.35㎜ 全体の直径は、約3㎝8㎜、まあ4㎝くらい。(ちなみに卓球の球は、硬式球が4㎝、ラージボールが4.4㎝だそうだ)
針の長さは、コルクに1㎝埋没させたとして、1㎝6㎜ていど。相当短い。僕は裁縫やっていないけれど、1㎝6㎜の縫い針なんてあるのか?細いまち針を先端から2㎝弱のところで切断したのだろうか。「50本以上の縫い針が刺さっている」という記述があった。2.5㎝直径のコルクに50本の針を刺すと、どのくらいの密度なのか粗なのか密なのかわからないが、作るのは大変だろう。おそらく3点で固定する治具を作らなければならない(3つの穴がのこってしまう)。油粘土で厚みのあるシートをつくり、その上を転がすように針を差し込んでいく方法もありそうだが、針の先端にのこる油が、毒薬をはじいてしまうのではないか?油粘土の油は洗剤では落ちにくいので、ホワイトガソリンなどで洗浄する必要がありそう。(液状のニコチンなるものが油にはじかれるのかどうか僕は知らない)

●ホントに鉄壁の推理なのかしら?
それはそれとして、液状のニコチンがこの小説にあるように、ほぼ即死にちかい状態で人を死に至らしめる事が出来る猛毒なら、こんなイガイガ君(コルク凶器)に塗りたくったりしたら、危なくってしょうが無い。「どうやって運んだの」「どうやって持ったの?」とは誰しも疑問に思うところ。この小説の美点である「怒濤の推理」は「素手では触れない→手袋をした人物」ということだが、そんなこと以前に容器がいるでしょう(そういう描写があったのに僕は忘れているのか?)。ピンポン球くらいの物を隠す目立たないくらい小型で、目立たない持っていても奇異に思われない容器。それがどんな物がふさわしいのか今僕はアイディアを持っていないけれども、都合のいい入れ物があれば手袋は必須ではないのではないか。
僕は梅雨時の季節、草取りをしていて、お化けみたいなアザミのとげがゴムの軍手くらいなら平気で貫通することを知っている。怒濤の推理の起点となった、車掌さんの手袋だが、布製なら話にならないが革製だったのだろうか?革製なら毒針に対して安心なのか?針も通さぬごつい革製だとしたら、お客の切符を扱うのに苦労するだろう。
手袋は必ずしも推理の起点になり得ないのではないか?というのが僕の疑問だ。

この小説では、実行の可能性という絞り込みは細密だが、犯人の動機にあたる部分はほぼ小説の外側にある印象だ。それはそういうスタイルなのだからいいとしても、あえてイガイガ君のような危険な凶器を使用したというところに、説得力が無い気がする。手袋に関連付ける為だけの設定なのか(説得力に乏しいのはみてきたとおり)? 混雑した電車の中、すれ違いざまに毒針でちくり!でいいんじゃないかと思う(針のかくし方に知恵が必要だが)。イガイガ君を使用するなら、たとえばその特異な形状をみて、次の被害者が過去のなにがしらを連想し、恐れおののくとか、なにかそういう設定があるのかと思ったら(思うでしょ)、そんな設定はなかった。


「Yの悲劇」
●駆除
最も印象深かったのは、最後の方でレーン氏がみる「窓の外でうごめく少年、ガラス越しに見える笑顔」だった。レーン氏は怪物として本作犯人を「駆除」した(というように理解できる)というところが、ゾッとする点だった(処刑ですらない)。
窓外でうごめいていた犯人の姿は、場面が浮かぶような映像的描写でおぞましく、ほんと怪物として描かれている。優生学的思考の中で描かれている本作では一点の曇り無くこの少年は「怪物」なのだ(と読めた)。そこが怖い。

●真の犯人は
この作品の真の犯人は、文学的な意味あいでは冒頭亡くなったヨーク・ハッターなのかもしれず、レーン氏すら彼の術中に巻き込まれたともとれる。ただ、それならハッター家全滅で終わらなかったのが何故なの?というところ。
三島由紀夫がこの作品を表して「犯人がわかった途端、犯人以外の人物が不要で余計な存在という感じ」がするところが、よくないと言っているらしい。四重苦のバーバラが、結末でひっそり心臓麻痺で亡くなってしまうところなど、そうとられてしまう要素なのかなあ、とも思う。(まさか、このバーバラもレーン氏が…)

とはいうものの、さすが歴史的名作。結末へ至る切れ味がするどいこと。堪能しました。
どうでもいいことだが、読了後頭に浮かんだのは関西弁で「ワイの悲劇」や!という言葉なのだが、このネタの落語がすでにあるそうで…。


「Zの悲劇」
●クラシカルな映画のような冒頭
前二作の三幕構成の目次から離れて、普通の章題がならぶ目次。くだけた感じになったな、と思えばペイシェンスというサム警視(今は私立探偵)の娘。彼女の一人称で物語が進む。「Y」から10年も経ってしまい、レーン氏が老け込んでしまったという衝撃の事実。ペイシェンスが父の運転する車窓から見るハムレット荘の偉容に感激するところ、「イチイの木立のなか、イボタノキの茂みをこえて」年相応に老いてしまったレーン氏がひっそり現れるさまなど、映画をみてるような絵が浮かぶ。そしてほのかな切なさ。
 
巻末でレーン氏を継ぎたいとまで言う若き名探偵ペイシェンスとレーン氏の邂逅には心躍らされる。ただし、前二作を読んだ後なので、レーン氏の別の一面も予感しているので、レクター博士を訪ねるクラリスを連想してしまう。
転じて、地方議員の悪巧みを暴いてくれと依頼されて、サムとペイシェンスが向かった先で事件が起きるのだが、こんなちゃちな事件はどうでもいいからレーン氏を描いてくれ!と考えずにはいられない。
それにしても以後二作通じてサム氏は警察を引退したはずなのに堂々と「警視」を名乗ってるるのはいかなる事か。

●中盤の退屈
退屈でしたよ。レーン氏の出番少ないし。クラリス、じゃなかったペイシェンスのキャラクターを立てるため彼女の推理・活躍も描かなければならいのはわかるとしても。

●圧巻の消去法推理

結末でレーン氏は、死刑執行前という特別な状況で、そこに立ち会いに来ている人々+関係者という限定された人の中から、短い推理とともに「除外します!」「除外します!」と人をさばいて、「二七人のうち二六人を除外しました!」え?あと一人ってだれだっけ?!というあたりのスピード感がなかなかスリリングで面白かった。結果、なんだ、やっぱりこの人かではあったし、例によって動機が小説の枠外って感じだったけれども。
前段で「3人まで絞ったが決め手がない」と言っていた、その二人とは名も無い医務職員さんで(だったっけ)で、ここは笑うところなのか感心するところなのか迷った。「いかようにも言えるじゃないか」というのが通読してきた感想だ。

●それでいいのか?
ペイシェンスは「死刑執行前カウントダウン」に至った人物、を一目見て無実を確信してしまうのには正直呆れたが、そのダウと言う人物の死刑執行直前大騒ぎのあげく、気がついたら心臓麻痺で死んでましたって、それでいいのか?なんだかなあなあ的にしょうが無いみたいになっちゃってるけど、あんなに彼の冤罪を主張していたのに、この冷淡な対応はないでしょう。ある意味この物語の主要人物の筈なのに、どうでもいいコマなわけ?(三島由紀夫の言い草じゃないが)
レーン氏の計画は、物証のない犯人に対して、大きなストレスがかかる状況に陥らせてみずから破滅的ドジをするよう仕向ける、というもの。そのため、助けようとしていた?ダウじいさんに(彼にこそ)過分なストレスがかかって、死んじゃった。まあ、しょうがないか。というのがこの小説なわけ? 釈然としないなあ。
まさかとは思うけれど、ダウという人物は過去に事件を起こしていたから、レーン氏の隠れ裁きの対象になった?
XYZともに、まるで解決のための生け贄のような死者が続いている。表だって取り沙汰されていないが、不気味である。


「レーン最後の事件」
●残念、結末は知っていた
今回「Z」「最後の事件」は初読だったが、「最後」の趣向については、ご多分に漏れず読む前に知っていた。(僕にとっての疑問は、「X」「Y」「Z」それぞれにおけるレーン氏の陰の流れが暴かれる?告白される?ということだったのだが、そういうことはなかった。一見、あっけなくも見える結末の描写だが、それがかえって読了後は切ない思いでいっぱいになった。

今まで読み続けてきて、レーン氏と予期しているとは言え、苦い別れ方をするのはつらいと思って読んでいると、シェイクスピアに絡む話。重要なサイン入り手紙がどうなるこうなるという話。当然レーン氏の聴覚にまつわる証拠が結末であらわになるんだろうと思っていたが、途中の事件が退屈すぎて細かい証拠がどうのこうの考える気にならなかった。ペイシェンスが気がつき絶望するだろうとは思っていた(前作で二代目を継ぎたいといってたくらいだし)、思った通りの展開になったが、ただ、体が弱ったおじいさんが行うには肉体的すぎる事件なので、ほんと、この事件なの?と意外に思った。可能なのだろうか、と言う意味で。手斧で家財を半壊させるという、狂気と情念に満ちた犯行だ。スマートさとは真逆で、レーン氏にはこういう一面があったということを作者があえて示したということに驚く。

●あえて語られていなかったこと
最後の事件の犯行現場となった、郊外の古びた家。レーン氏はここに一人で来ることは出来なかった筈だ。忠実なる運転手ドロミオに乗せてきてもらわねばならなかった筈だ。では、けたたましく目覚まし時計が鳴り始めたとき、ドロミオはレーン氏を案じて家に駆け込まなかったのか? 「私が戻るまで何があっても家に入らぬ事」とレーン氏がドロミオに言明したのかもしれない。おそらくそうなんだろう。では車はどこに停めたのか?後からやってきたセドラー氏とドロミオは鉢合わせしなかったのか?
いくら何でも銃声がとどろいたときもドロミオは車中でじっとしていたとは考えにくい。
事後共犯的な関係があったのかわからないが、清濁併せ呑む関係だったと思う。セドラー氏にとどめを刺したのはドロミオだったのかもしれないなんて思ってもみたり。
(ドロミオが共犯だったらベルが鳴ったらレーン氏の関知の外でベルを停めてしまうだろうか)

レーン氏にひそむ狂気、ドロミオ、Xで現職の警視に化ける手並みとそれを是とする古なじみのメーキャップアーティスト。要は、犯罪にもあえて踏み込む仲間達。
いかに名優とは言え、一介の俳優が超巨額の財をなしたその背後には、語られざる物語が潜んでいそうだ。




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アニメ版ゴジラ三部作を見た雑感

2018-12-16 23:14:44 | アニメ感想
1「怪獣惑星」
2「決戦機動増殖都市」
3「星を喰う者」
静野孔文・瀬下寛之監督

アニメ版ゴジラ三部作、遠未来地球の支配者となったゴジラと帰還した移民団が戦うと言う枠組みに、旧作の王道をずらして展開するのか?と思いきや、お話そっちいくわけ?え、登場しないの?このキャラこんな扱い?という違和感の連続。権利問題でこうなったのか?それとも作り手の矜持なのだろうか?

あらゆる生物の王ゴジラの針の先ほどの弱点を突く決死隊、主不在のメカゴジ決戦都市、全ての計測器に認知されない絶対的捕食者とか面白いなあと思う。元のメカゴジラとかキングギドラとか子供の頃見て知っているから楽しめるのだけれど、これを初めて見る子供がいたらなんか気の毒な気もする。自分の中の子供の部分もあまり喜んでないという後味。

アニメ版ゴジラ三部作、こんな感じ。
「おお、新解釈のメカゴジラ出るんか?出んのかい。洞窟、双子女子、歌うたうの?そんでモスラっぽい何か出るのか?出るのかと思ったら出んのかい。出るんかい?出んのかい……出んのかい……」
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Campfire Audio solaris (イヤホン) 感想

2018-10-28 19:41:40 | 雑感

ヘッドフォン祭りにて

発売前のCampfire Audio新作イヤホンSolarisが評判なので、気になってしかたない。これだけでも試聴できればという覚悟で中野へ。Andromeda S買ったばかりなのに何やってるんだろう。へたに興味をもって欲しくなったら大変ではないか。ああ、やはり沼なのか。

solaris
筐体は軽い! 耳に差し込む管の張り出しが長い! 外側の金色もあって装着時の外見はフランケンシュタインのおでこの出っ張りみたいになるかも?
ただし軽いのでいったんうまく耳にはまると落ちない。外側の金色は太陽のイメージなのだろうか。金色が好きな中国を意識したのか? 僕としては棚田のようなふしぎな筐体の凹凸に、むりくりにでも「ソラリスの海」を感じてしまうのだけど。

シングルBAばかり聞いていた一年前の僕はAndromedaを初めて試聴して音場の広さとスケール感に「映画館みたい!」と驚いたが、Solarisはさらに広大。もはやスペクタクル!? という感じ。ただし、音空間になにか紗がかかったような?薄い壁一枚隔てて聞いているような? あれ、ものすごいけどクリヤ感いまいち?という第一印象。
映画館でいえば新宿ミラノ座(今は無い)や、有楽座(今は無い)などでかい映画館で一番後ろの席で鑑賞しているような、施設がでかくて音量もすごいが、音のつやがいまいちでスピーカーが古いのかしら?という感じ。僕はそう感じました。

比べてみようと、ノーマルのAndromedaを試聴させてもらう。やっぱりこちらは空気が澄んでるような、金属のきらめきが際立つような音の輪郭がある。(比喩としての)映画館施設としてはSolarisより少し小さくなるが、それでも十分空間はひろがり、良い音響のスピーカーが近くにあるという感じ。Solarisにこのきらめきがあれば最強なのに! Solarisさわった後だとAndromedaがほんと小さく感じるなあ。

Atlasも試聴させてもらう。ああ「比喩としての映画館」はうんと小さくなったが、音響、とくに重低音が売りの映画館、立川シネマシティのような感じ。Atlasの金属的きらめきとともにある輪郭の確かな太い低音は、音源によっては足下に深い奈落が口を開けたような畏怖感を軽く感じる。それと音圧のアタック感。うーん、脳内シェイク。これはこれで面白い。耳の収まりもそんなに悪くない。某イヤホンショップで試聴させてもらったときは、イヤピースががたがたしていてちゃんと聞けなかったが、静かな環境でじっくり聞けば面白いイヤホンなんだなあとあらためて気づく。高いけどねえ。

再度Solarisを試聴させてもらう。同じ印象を深める。Andromedaは頭蓋の周りに一回り大きい半球型のシェルがあってその周りから音が鳴るように感じる時があるのだけど、Solarisはそのシェルすら取っ払われて、ほんとに広大な空間だ。音の分離もある。低音はアタック感ではなくてスケール感。ただAndromedaAtlasにあった清明な空気感が、今ひとつ薄い。発売されるころには変化があるだろうか。

CASCADEも試聴させてもらう。両耳にハウジングをはめると無音室の扉を閉めたような、プしゅっと空気の出入りが止まるようなそんな感じ。でも不快では無い。リスニングの期待が高まる。けれど頭に当たるベルトがいたいいたい。ちゃんと調整してないからだろうけれど。
とても面白いヘッドフォンだという評判だったが、まあイヤホンよりはヘッドフォンのほうが有利だと思うけれど、短い試聴ではそれ程のワンダーを感じなかった。
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Campfire Audio ANDROMEDA S (イヤホン)を衝動買い!

2018-10-27 13:38:58 | 雑感
こ、これがオーディオ沼というものなのか。


後ろAndromeda CK(ノーマルと表面処理が異なる限定版)
手前Andromeda S(ステンレススチールの限定版、中音域に独自のチューニングが施されている)


AndromedaCKを買った時は、これ最高のイヤホンだけど低音がちょっと残念とさんざ書いた。Andromeda Sを手にして、低域がちょっと盛られるとこんな風になるのか、と感慨深い。

24日4時予約受付開始で今日27日でもう売り切れ??の様子。
かつてCK購入の時、出遅れたにもかかわらずヨドバシには全国で3つ残っていたが、今回はもう売り切れている。
CKの倍の400個はけるにはそれなりに時間がかかるだろうとブログで予想している人がいたが、ほとんど瞬殺。前回CK購入時は迷ったけれど、Andromeda Sをじっくり聞くことができなかったら絶対後悔すると確信があったので、今回は初日の5時には予約をいれました。高価なイヤホンなので、ホントは試聴してから買いたいとこころだった。異常な事態だよなあ。

箱出しで聞いた印象としては、
ANDROMEDA Sは中低域にフォーカスが寄って、音空間が濃い感じがする。きらめきのAndromedaに対して原色のAndromeda Sというふう。
低域はアタック感ではなくスケール感が増した印象。

ほんとに初めてSを聞いたときCKに慣れた耳には「低音がボワついている?」と思えて一瞬焦りました。(Andromedaにそれは許されないこと)
何度か聞いて、イヤービースを換えて、その印象はかわり、CKの「粒立ちのある高音が右に左に移動するような音表現」とは違うが、これはこれで中音域、ヴォーカルなどに実在感があるつやのある音と思えます。

比べればCKの方がすっきり見通しがよい音、アルミ製は軽いなあと再認識。スタンダードモデルでアルミが選択されたのには意味があったのだと思う。Sをいじった後だと、CKは紙かプラスチックで出来てるのかと錯覚するほど軽いです。
Sの光る筐体を前にしてCKがみすぼらしく見えるかと危惧したけれどそんなことはなかった。現物を見ると、S はよく例えられているジュエリー的高級感というよりはモノ感的(道具的機能美・存在感)だとおもう。Sは重量が少し増したため、耳から落ちやすい。

Sの誕生で基本モデルが全て乗り越えられたという印象では無かった。何かを得れば何かを手放すようで、高域の繊細さは少し遠のいたように(今のところ)思える。ぼちぼち聞き比べて楽しもうと思います(音楽を聴くということとは違う気がするが)。
いずれにしても、Sは開封したばかり。エイジングとやらで変わるだろうか?

もしも初めて出会ったのがAndromeda Sだったら、心かき乱される出会いになったのだろうか、と自問中。


追記
曲によって(音源によって)AndromedaSは、深い低音をスケール感をもって表現することがあると知って驚いた。たとえば(CK)でさんざ聞いた「ブレードランナー2049 サントラ」の一曲目「2049」だが、

2049 (Blade Runner 2049 Soundtrack) CDからFLAC録音・ZX300で聞く
AndromedaSでなにげに聞いていて、広い広い音場に地響きのようにどーーんと鳴り渡る音!…にたまげた。CKに付け替えて聞き直すと、さきほど聞いたような低音の厚みとスケールは感じられない。
CKでは聞こえていた繊細な高音がAndromedaSでは感じ取りにくいとは、よく言われていて僕もそう思っていたが、逆にCKでは聞けない低音の成分がAndromedaSでは表現される、ということなんだろうか。すでに書いたギラつくような音の濃さもありAndromedaSは、これはこれで魅力的だとあらためて見直しました。低音も面白いなあ。

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映画「ブラックパンサー」

2018-09-12 21:48:07 | 映画感想

ライアン・クーグラー監督

アフリカ大陸のとある場所、魔法の金属を元に超絶科学を発展させた部族が隠れ里をつくっていた。新王は黒の衣装に身を包み活躍。で、なんか攻めてくる。見所はアフリカ的意匠でビジュアル化された未来都市と科学小道具。王権奪取の王道もからみ僕は評判程退屈しなかった。

西洋物質文明とはまったく違った文化文明、そこらへんをちょっとでも期待したら、デザインがエスニックなだけの物質文明そのものなのでがっかり。知恵のある人々の筈なのに野蛮な部族闘争ウッホウホで、まあステレオタイプな感じ。リスペクトしているのか馬鹿にしているのか。アメコミだからなあ。
そんな中、女衛兵オコエが衣装と殺陣ともに異様で格好良かった。


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映画「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」

2018-09-12 21:37:45 | 映画感想
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」予告編

アンソニー・ルッソ、 ジョー・ルッソ監督

映画見てないリハビリにはアメコミ映画がいい。それにしてもこの世界観のシリーズを全部見ているわけではないので、誰これ、なにそれ、の連続。派手な見せ場が多くて退屈はせず、いつものファンタジィ類型だが、ラストの終末観?が少し面白かった。

ラスボスのサノスは独善的虐サツ者なのに、アメリカ的マッチョ頑固親父で憎めないじゃん的描き方をされていていいような悪いようなモヤモヤ感。人類補完計画とか思い出したが、彼が集めてた宝石は左手のグローブにはめていた。キリスト教プロテスタントでいう「携挙」なんでしょうか。ということは科学的?あの世かなんかに…。

なんでもありな世界なので、どうせアレつかって元通り?アレであれすればいいじゃん、とかそういうノイズ的妄想がわいてきて(カンバーバッチの演ずる魔法使いはそれこそ何でもできたはずなのに、なんでああなるの)、こういうのって楽しんでるってことなんだろうか、とも思う。アメコミだから。
でも、あれだけ沢山の登場人物に見せ場を作るのって職人芸としてすごいことなんだろう。パズルのようというか。
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銀と黒でホントに音が違う、NW-ZX300。

2018-09-12 19:47:14 | 雑感
今まで使っていたパソコン(VAIO-L)がハードディスクから壊れてしまった。
電話応対もなくなっていて、チャットで問いかけると、メーカーでの修理も終了ということなので新しいパソコンを買うことに。
いろいろ考えて次は一体型ではなくデスクトップ型にしようかと。で、購入検討の順番的には変だが外付けスピーカーとして興味をもったSONYのCAS-1実機を見られるかしらとソニーストア銀座に行く。



思いがけず試聴までさせてもらえた。しめ縄みたいなすごいケーブルで接続してくれた。うーん、さすがにいい音だなあ。
お店の人にほんの冗談のつもりで「CAS-1って白と黒の色違いで音が違いますか」と聞いてみた。
「いやあ、それは違いませんよ」
試聴に使っていた自分のウォークマンZX300(黒)を見てお店の人に「そうですよね、これ銀と黒で音が違うという話を思い出しまして」と言うと「それはホントです。わかりやすいサンプルがありますが聞きますか」と言われた。ええっ!



わかりやすいサンプル曲とは絢香「サクラ」だった。
同じ曲が入っているお店の銀と黒のZX300と、お店のイヤホンXBA-N3を借りて交互に聞き比べ。



出だしの伴奏のところだけで、ええっと驚いた。ホントだホントに違う!
いろいろ聞き比べて見つけた曲なのだそうで、まったく違いがわからない曲も多々あるとのこと。

端的に銀は音の輪郭が掴みやすいしゃきしゃきした元気な音。黒はやわらかく響きの豊かなまったりした感じ。
はじめに銀を聞いてから黒に換えると、音が出た瞬間から、しっとりした感じがある。なんとなくそういう気がするとか程度の違いじゃありませんよ。
ちょっと大げさ?で乱暴なたとえだけど、ファイナルのイヤホンによくある同型素材違いで、アルミバージョンとそれ以外の(真鍮とか)違いみたいな感じ?

ホントに違います。表面の処理が違うだけなのに。

開発者のインタビウ記事などに音が違うと書いてあったけれど、なにか高級な冗談か、聴覚プロフェッショナル?じゃないと分からない世界なのかと思っていた。僕みたいなド素人にも分かるほどの違いです。たまげたなあ。良い経験をさせて頂きました。感謝。

「SONY NW-ZX300開発者にインタビューしてみた!」11.35あたり)

ZX-300を買うときにはデザイン的に銀を買う気満々だったのだけど、本体裏側の黒い合皮が貼り付けてある部分が、ボディ銀では海苔弁みたいに悪目立ちしていて、一体感のある黒をえらびました。銀の方がよかったかな、と買った後でも迷ったけど、音の違いからどっちがいいのかと考えると、響きのやさしい黒の方でよかったのかな…。
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映画「スリー・ビルボード」

2018-02-04 11:33:24 | 映画感想

マーティン・マクドナー監督

米南部の片田舎。娘が惨サツされた事件の捜査が一向に進まぬ事に業を煮やした母が、自宅前田舎道の寂れた看板に、警察署長に呼びかける広告をうつ…。アタシ流フェアネス?を押し通す母の孤独な戦いと、かかわる人々の多様な側面、それぞれの想い。傑作でした。

あの「ファーゴ」のおば…、お姉さんフランシス・マクドーマンド主演。もう還暦なのか。田舎の未解決事件というなんだか見たことあるような物語に配置された類型的な人物達が、思いもかけぬ別の面を見せて、お話もあらぬ方へ転がってゆく。そこがとてもおもしろい。辛辣でもあり無残でもありユーモアもある。人間だものなあ。素晴らしい脚本の冴え。

これは容易に他国に置き換えのきかない、アメリカならではのお話ななのかも、とも思う。ラストは「え、ここで終わるの」と思ったものの、家路を辿りつつ考えるならば「ああやはりあれでいい」と納得しました。

「十二人の怒れる男」で登場人物それぞれが、劇が進むにつれて冒頭の登場時とは逆の側面・人格が浮き彫りになり、ラストではカードを裏返すように変わってしまう、本作はそこまで極端じゃないけれどそれに近い感じがありました。それと、鑑賞しながらほんのちょっとだけ「秋菊打官司」を思い出したり。
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スパイラルドット+(プラス)

2018-02-04 11:29:30 | 雑感
Eイヤに注文していたスパイラルドット+ Mサイズが案外早く届く。「小さいなあ」という印象。さわってすぐわかるほど柔らかく、付け心地が改善され、低音に若干ふるえる様な躍動感が加わった感じ? 実際にはあり得ないだろうが、柔らかいゴムで耳道に浮いているイヤホン本体がブルブル躍動する感じがする。 音はシリコンで一番好きだが、音の出口が直下に露出しすぎてゴミ入りが不安。クリスタルチップはさらに低音が増すが装着に手間がかかる。僕の耳だと収まりが悪く、ぽろぽろ落ちてしまうので興ざめするしつぶして装着するのも面倒くさい。単にぐりぐり耳に押し込むだけでOKのスパイラルドットはありがたい。

並べた写真は左側が+で、装着したものはR側が+。通常版の砲弾型に比べてそろばんの珠的な形状? 従来型と混ざっても、形状と特に手触り(新はキクラゲ的やわらかさ)とが違うのでやっかいだが区別はつきそう。余談だが、Andromedaを経験したあとも愛好するファイナルのHeven-sについているイヤーピースがやっぱりキクラゲみたいで、最近買った高いイヤーピースを色々付け替えてみたが、結局元からついてるキクラゲが一番良かった。キクラゲのポテンシャルは高い。
それにしてもスパイラルドット+は、Andromedaだと音の出口がすぐそこ。旧も新も、何もふさがず柔らかいゴムボールをまわりに巻いたという感じだ。




写真で見比べると大した違いじゃなさそうで、何をこだわっているんだろう、とは思います。

追記
気になっていたイヤーピース
○AZLA SednaEarfit
○final earpiece E type(ファイナルのE)
を購入してしまった。

ファイナルのEは若干高音がおさえられ、すこし狭い空間で聞いているような印象。ちりちりノイズが気になっていた録音がさほど気にならなくなる。音がアレンジされているということだろう。低音の押しも意外とあると思うけれど、音によっては壁一つ向こう側に行ってしまったような感じもする。つくりものっぽい感じだ。穴もスパイラルドットに比べるとだいぶ小さい。穴の芯の素材も固めなので、Andromedaに装着出来るのか?と思ったが楽では無いがつけられました。

AZLAは、袋から出して手にした瞬間からイヤーチップの素材の若干かための安っぽい手触りが気になる。通販でMサイズを買ったのだが、耳に装着するとちょっといたい。音はファイナルEのようなこもり感はなく、比べれば素直な感じ。サイズ選びが悪かったのかも知れないが、装着感が悪くて、これ以上あえて使う気がしなくて袋に戻してしまった。(袋戻しは油くさいSONYのトリプルコンフォート以来二度目)

散財したが、スパイラルドットは、イヤホンの音をスポイルせず、という感じを再確認した。Andromedaの広い空間と点在する音の粒立ちがよく感じられる。耳穴への装着が容易。
低音の迫力をもうちょっと増したいときはクリスタルチップ。きちんとはまれば高域もさほどスポイルせず……もしかしたらこれが一番いい音かしらん?
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映画「あゝ、荒野」前編・後編

2018-02-04 11:08:27 | 映画感想

寺山修司原作・岸善幸監督 2017年

2021年の新宿、不幸な生い立ちをもつ二人の青年、荒くれ者の新次と、どもりで内気な建二がボクシングを通じて成長し、やがて闘うまで。場末のジムといい隻眼のトレーナーといい、昭和の気配が濃厚だが、社会情勢が今より不安定らしい近未来という時代設定が違和感無くはまっている。

原作は未読。更生したとはいえ、老人を騙して財産を巻き上げていた新次には、あまり共感が出来なかった。前編では本筋と別に自殺防止活動をしている大学生とその仲間が出てくるパートがあるのだが、彼等の活動、とくに中盤の「自殺防止フェスティバル」は荒唐無稽すぎてドッチラケである。このあたりの頭でっかちなエピソードは原作にあろうが丸ごといらないと僕は思う。
生活の為オーナーの経営する老人ホームで働く事になった新次が、老人達と向き合う場面をもっと厚みをもって描いてほしかった。

震災時の電話応対を苦にしている30代くらいの電力会社社員という人物にも違和感がある。年齢的にはあり得なくは内かもしれないが、彼は20年も震災後の辛い応対を引きずっていたのだろうか。主要登場人物の過去そのものの肉親達が新宿の狭いエリアに集まってきて互いに関係を持つのも、いくら物語とはいえ不可解でもある。(ロバート・アルトマン的な演出、アルトマン・システムのつもりだったのだろうか)

文句ばかり言ったけれど、あの「息もできない」の監督、ヤン・イクチュンが健二役で主演していて、その存在感に圧倒された。すごくないか? もう一方の主演、菅田将暉演じる新次とのボクシング場面は有無を言わさぬ迫力の名場面だ。
けれどボクシングについて僕は知らないが、あの終盤のありさまは「試合」なのだろうか?どうしてああなるのか。

試合終盤の木村多江の絶叫「コロせ!」でドッチラケ。昭和を引きずっている訳では無いと思うのだけれど、それにしてもどうして毎度ああいう結末になるものか。唖然としてがっかりしました。





ヤン・イクチュン監督・主演 「息もできない」 2010年韓国
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映画「殺人者の記憶法」

2018-02-04 10:55:24 | 映画感想

ウォン・シニョン監督

大事故で脳に障害(健忘症)をおったビョンスは、娘を誘惑する男テジュがシリアルキラーだと気づき、彼と闘う。ビョンスもかつて同じサツ人者だった。原作は未読。映画は記憶の錯誤からくる叙述的迷宮感よりサスペンスに重点をおいた作り。良かったような物足りないような。

いつもの良くできた韓国映画で、記憶を失ったサツ人者という設定から「信頼できない語り手」的な演出を期待していたのだけれど、そのへんはストレートで、去年見た「コクソン」の様に後々まで心掻き乱す作品ではありませんでした。
事故が遠因というものの、映画で描かれていたビョンスの混乱(幻覚)はアルツハイマーの症状なのかと素人ながら疑問。他にもビョンスはどうやって各被害者に接点をもったのか?ボイスレコーダーが残されていたのは何故か?等々疑問に思うところがありました。





ネタバレ警報



映画の冒頭と、結末の場面は、現実の場面ともとれるし幻覚ともとれるバランスとして設定された「絵」で、それほど破壊的な意味は無いと僕は思います。
●ビョンスが介護施設を脱走して、現実には死んでしまったテジュの幻を追いかけていると解釈。この場合は、ビョンスの「生きる意思」を現しています。
●逆にビョンスは、死線を彷徨っていて、黄泉の世界のとばぐちで、先を行くテジュを追いかけていると解釈。この場合は、トンネルという絵柄が象徴的な意味を持っていることになります。(臨死体験で有名なイメージ)
上記のどっちでもいいんじゃないか、と僕は思いました。

作品内の現実としてテジュが生き延びていて、ビョンスが追いかけている、また繰り返すのかという解釈は僕はとりません。
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映画「バーフバリ 王の凱旋」

2018-02-04 10:37:53 | 映画感想

S・S・ラージャマウリ監督

長い長い回想場面が続き、先王と現王を同じ役者が演じていたり、船がいきなり空飛んだりと奇想天外、荒唐無稽の釣瓶打ち。
圧倒的な映像と音楽の力で、理屈を越えた楽しさに満ちている。
内容に着目すれば、これはまさに本編というべき。陰謀と裏切り、取り返しのつかぬ錯誤と慚愧の果て、25年の時を経て成就する無慈悲な復讐という、壮大なギリシャ悲劇ならぬインド悲劇?なのだ(因果応報の関係性は意外ときっちり出来ている)。
こんな馬鹿馬鹿しく無茶苦茶なのに面白い映画を前に言葉を失う。シナリオや映画の本などでやってはいけない事例として書かれていた演出、自分が映画鑑賞人生でこだわるようになっていた整合性などおかまいなしに吹っ飛ばす勢い、それでいて面白い。前編「伝説誕生」もたいがいだったが「王の凱旋」は本編としての貫禄。なんだか今まで知らなかった途方もなく凄いものを見たなあ。

仮にバーフバリ3があったとして、それが宇宙人襲来でも、氷河期到来でも、恐竜復活でも巨大隕石落下でもゴジラ上陸でも銀河の衝突でも、王バーフバリがいるかぎりインドは安泰だ。


アイチューンストアでダウンロード購入して、ZX300とAndromedaでしばらくこればかり聞いていた。日本でCDとしては出ていないらしく残念だ。
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上野の森美術館の「生頼範義展」を見る。(2018.1.15)

2018-02-04 09:29:35 | 雑感
(2018年2月4日に終了しました)

月曜の11時で並ばず、展示も楽に見ることが出来た。子供の頃から本屋さんで見ていた絵を間近にみられて感激。原画が行方不明というSWのポスターは下絵が展示されていた。凄い絵ばかりでくらくらします。絵画も含めて写真撮影可のコーナーが所々ありました。

すっごい細かい繊細なアクリル画???!!!でびっくりしました。それでいて絵の具の層は薄く、描き直しや迷いなど無い?!感じ。
点描や線画のモノクロ人物画はホワイト殆ど使っていないんですね。


「生頼タワー」と名付けられた、書籍ごと表紙絵を展示するスペース。


ゴジラ関係の絵画も多数。


元絵が紛失?した(どうして??)というSWのポスターは、撮影禁止区域に下絵(それでも凄い迫力)が展示されていました。


作家のアトリエ。


「減摩大戦」のイラストを参考に寺田克也が再デザインし、造形作家・竹谷隆之が立体化した立像。


運慶展で見た仏像のようなたたずまいです。


こういうタッチの絵もあったのか。


下絵と並べて展示されている絵も多数ありました。


「DAK TO 1967(ベトナム)」


大作「我々の所産」


7年をかけたという超大作「破壊される人間」。

写真にしか見えない点描も多数。軍艦や拳銃の絵も。
凄いとしかいいようのない作品群でした。
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映画「怪物はささやく」

2018-01-14 20:48:28 | 映画感想

フアン・アントニオ・バヨナ監督

孤独な13歳の少年コナーの夢枕に巨木の怪物が現れる「お前に3つの物語を聞かせよう。4つめはお前の物語を語れ」。一つめは王子の残酷な物語…。なぜ? 大好きな母が今死にかけているのに。怪物は12時7分になるとやってきて、コナーの心をかき乱す。二つ目は偏屈な薬草屋の物語。三つ目は…。
やがて少年は空想する力そのものにふれる。それは愛に満ちた精神のリレーだった。
傑作。


不治の病を得て入院した母。
シガニー・ウィーバーが裕福だが孤独で厳格な祖母としてコナーの前に立ちはだかる。
「お前は私の家に来て暮らすのです」
「いやだ、僕はお母さんと暮らしたこの家を離れたくない」

別居し再婚した、イケメンだが軽い父が訪ねてくる。
「俺はお前を引き取ることはできない、そうだお前の妹がいるぞ。いつでも会いに来てくれ」
「……」コナーには居場所がない。
「お前の母さんは若い頃絵描きになりたかったんだ」
「どうして、それをあきらめたの?……僕が、生まれたから?」
少年に一度につきつけられた困難はあまりに、重い。


(ここからは結末にふれ、勝手に想像しています)

少年コナーが見て育った風景、苦しんだこと、夢見たことは、母も経験したことだった。
母も、墓地にそびえるイチイの巨木を見て大きくなったのだ。そして空想した。祖母(母)に反発して家を飛び出した。世間にもまれ、夫になった男ともうまくいかず、別れた。
5歳のコナーと二人きりになった貧乏な暮らしの中で、コナーに空想のお話を語り聞かせた。そう、人は見たままの人ではないの…。
そのお話たちを、13歳になったコナーは忘れていた。母との別れという困難を前にして「お話」はコナーの意識の底から、ふたたび語りかけてきたのだ。
恐ろしげな木の巨人。それはかつて母がイチイの巨木を見て想像したものだ。

祖母の居間をコナーがたたき壊したのに、祖母は怒らなかったのは、かつて母が同じ事をしたのだろうと思う。
行き違いをして半生を離れて暮らすことになった娘との離反のきっかけとなった情景を再び見て、まえと同じように怒りに身を任せてしまうことを祖母は恐れたのか。

「お話」は、苦い現実認識からはじまって、やがては彼を励まし癒やすことになる。第四の物語、それはコナーに現実の直視を迫ることだった。
母の空想が、コナーの心に宿り、その言葉は、困難に直面した彼を癒やし励ましている。
母の空想する力はコナーに受け継がれ、新しい物語を刻んでゆくことだろう。コナー自身の物語として。

ラストの母がかつて描いた絵画帳に描かれたイメージは謎解きのように見えて、実は再会でもあった。







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映画「ジョン・ウィック:チャプター2」

2018-01-14 19:56:14 | 映画感想

チャド・スタエルスキ監督

汚い手口で成り上がろうとする男に巻き込まれ再びコロしのただ中に身を投じるジョン・ウィック。前作の底知れぬ組織の闇、その世界観はだいぶこぢんまりしてしまった。でもそれなりに面白かったです。コロし屋ばかりで警官はいないの?この作品世界。マンガだね、でも面白かった。きっと細部が良いんだろう。

格闘技のことは知らないけれど、この映画の殺陣、倒して腕をとり転がして固めるところなんかは、なんだか合気道や柔術のように見えて、面白かったです。昨今はエキゾチックな格闘技がつぎつぎ映画に登場している中、日本風?もちゃんと通用するじゃん!うれしい。
それにしても、まいどまいど悪党がうじゃうじゃいる中にずかずかと歩いて行って、目指す親玉の真ん前に来るまでだれも気づかないってのはどうしてなのかわからないが何だか納得させられてしまう。時代劇にたとえていいのかわからないけれど、お城に一人乗り込んでいって、全滅ーー。級のことやってるわけしゃないかしら。

ちょっとがっかりした点だけど、
前作の印象として、世界をくまなく網羅する正体も底も知れない「組織」があり、現実世界との接点、それが「ホテル」なのかと思っていた。ところが今回、オーナーなる人物が現れて「ここは俺の王国だ」みたいなことをのたまうので、なんだ一つの王国に過ぎないのかとちょいがっかり。世界観がこじんまりしたというのはこういうところ。

ラストで、ジョンは一見、絶望的な敵対世界に一人ふみこんでいった様に見えるけれど、もし続編があったら、別の「王国」の助力者が現れても不思議ではないわけか。
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