私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

用事で「被災地 熊本県益城町・宇土市」へ

2016年06月24日 | Weblog

始発バスに乗り、早朝便で羽田空港から熊本空港行きに乗り込みました。

6月22日(水)のことです。

 

 

条件付きのフライトで、悪天候から他空港か羽田に引き返すとのことです。

途中、ロデオのような揺れの中、熊本空港に着陸いたしました。

乗客は不安顔でしたね。

上空からはビニールシートを被った屋根が沢山見えます。

 

 

熊本空港も半分は閉鎖されています。

壁にはあちこちにクラック(ひび割れが)入っています。

お店屋さんもコンビニだけです。

くまモンの土産品が微笑んでいました。

ここで仲間が迎えに来ることになっていましたが、豪雨により高速道が閉鎖されていて1時間遅れで出会うことができました。

 

 

そして、益城町に入りました。

役場も傾いているように見えます。

半旗が掲げられています。

いつになったら正常な掲揚ができるのでしょうか?

 

 

 

二度の震度7で、全ての家が何らかの影響を受けています。

震度1以上は1500回を超えているとのことです。

今までに震度7が2回▽震度6強が2回▽震度6弱が3回▽震度5強が4回▽震度5弱が7回▽震度4が88回▽震度3が255回・・・。

そして、今回の集中豪雨です。

特に活断層?に沿っての家々は半壊、もしくは全壊状態です。

 

 

手つかずのところもありますが、人々は動き出しています。

しかし、先日の集中豪雨では追い打ちをくらったのでしょう。

伺った22日は雨でしたので、濡れた家具などはまだ出されてはいないようです。

今週末は大変な片付け作業になることでしょう。

 

 

 

多くの畳やじゅうたんなどが山積みになっています。

 

 

それでも、活気のあるお店屋さんもありましたよ。

日常生活が戻って来たのでしょう。

 

 

そして、宇土市に向かいました。

目的は宇土のある施設の激励と状況を確認するためです。

 

 

途中、宇土市役所に立ち寄りました。

危険な状態で、関係者でもあっても中には入れないのでしょう。

もう、20年くらいになるのかなぁ~?

宇土市の職員が東京の熊本県事務所に派遣になっており、何かに機会に知り合いになり、我が家にも遊びに来たことを思い出しまた。

もう、卒業しているか?まだ現職いるのかも分かりません。

近くの体育館に市役所が分散移転されていました。

そこを訪ねて、受付の方を通してある部長さんにお会いしお話したところ、U君は現職でいますよ!とのことです。

違う場所を訪ねましたら、ご本人がいましたね。

どちらからともなく、再開し熱い握手です。

こんな機会がなければ、一生会うことが無かったのでしょう。

お互いの健闘を祈り合いました。

 

 

次回は熊本城や、一人居酒屋などをご紹介いたします。

 

 

ガンバレ熊本!

 

yuki


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2 コメント

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お疲れさまでした (小川將二郎)
2016-06-24 17:13:04
ほんとに大変でしたね。良く決断しましたね。豪雨被害で見合わせることになったのでは、と思っていました。
写真の1コマ1コマ、状況が手に取るように解り、さすがプロだなーと、ですから、被災地の皆さんの労苦がストレートに伝わりました。
宇土の友人の方ともお会いできて良かったですね。
ゆっくり休んでください。
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実際に現地に行かないと・・・ (小川さま←yuki)
2016-06-25 05:07:40
小川さま
行動することが性格なんですかね。
過去にはベルリンの壁が崩壊した時にも、そうJケネディーが暗殺されたダラス(46年前)、中越沖地震、東日本大審査(岩手県)は7回・・・。
これと言って何もできませんが、現場を見ることで自分のヒストリーを作っているような気が致します。
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