なんでも辛口!升井紘の宇宙遊泳

暑いねえ!かき氷でも食べようかな!

どらえもんのポケット

2010-12-29 00:04:31 | Weblog

【ランキング“自主落第”を“落第”しました】
広島ブログ
毎度ご訪問くださって「辛口」は満足です。

28日(火)、官庁は御用納めで1月3日までの年末年始休暇。全く関係ない「辛口」は餅つきで快い疲労を感じたあと、奥方ともども君田温泉へ出かけるが、不覚にも「本日休業」の張り紙。それならばと車を走らせて庄原簡保へ。なんでこんなに温泉好きになったのか、うんちくは別に譲るとして、いい湯だった。帰ろうとすると外は大雪、予測していたとは言えびっくりするくらいの降りようだった。

相変わらず民主党のドタバタお家芸「内紛」は幕を下ろせない。ああ言えばこう受け止めて言い返す。それにまた追い打ちをかけてこき下ろし、あげくの果て「政倫審に出てもいいよ」。本来なら野党が大声を上げて威嚇するところであるが、民主内紛のあまりの賑やかさにクチュンと静まりかえり、遙か後方から蚊の泣くような声でグジグジと恨めしげな声が聞こえる。

一方、あの活躍で一躍有名になった「はやぶさ」。太陽系のどこにあるのかよく分からない「いとかわ」から粉末状の土ほこりを持ち帰ってブームとなり、昨日も別のポケットから「珍ほこり」を取り出して得意そうだ。蓮舫大臣の「世界一でないといけないのですか」の仕分けをひっくり返して23年度予算に 計上されるらしい。

「えっ 何が計上されるんですか?」  「ちょっとー 聞かないでよ、アタシにも よく分からないのだから」

そしてまた、別のはやぶさトランクから珍品(土埃には変わりないが)が出てきたらしい。いいなあ科学技術畑は、堀りさえすれば何かいいものが見つかる、まるで“花咲かじじい”。価値があるのか無いのかさっぱり分からないが、宇宙のゴミさえも新物発見で地域込みで賑わう。

「まてよその話!どっかで聞いたか見たかしたことがあるぞ そうだ思い出した」。のび太が困っていると、その前に必ず現れる猫型ロボットの“どらえもん”そのお腹についているポケットから取り出した○○でジャイアンを倒し、しずかちゃんを奪い返す。宇宙学の博士さまのごとく、まるで はやぶさ のおなかから土埃があとから、あとから出てくるのにそっくりだ。

これは際限なく土埃が出てくるぞ。 はやぶさ から出てきたほこりで調味料をつくり、宇宙ふりかけに加工して売り出すことにしよう。

「その話 ホントですか、またしても「辛口」じいさんの たわけた 駄洒落じゃと言うとる人がおるんですが? ホントに際限なしで出てくるんですか?」

「う~ん 無視しなさい」

 

 

12月18日(土)から、三次ワイナリーで開催中の展示会。開場時間は9:30~18:00で12月31日、1月1日はお休み。 HPへ載せております。プライベートではありますが。

升井紘の気ままな空間http://www.pionet.ne.jp/~h-masui

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (観空庵)
2010-12-30 10:12:58
私達も 以前は良く温泉に出かけておりました。

大きな湯船での気分転換は、良きものです。

良きお年をお迎えください。

(*^_^*)
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年越し (なんでも辛口)
2010-12-30 21:59:02
(観空庵)さま
大晦日は明日31日ですが、こちらは大雪の恐れありの予報に恐れをなし、本日君田温泉へ言って参りました。

さすがにこの荒天、入浴客は数えるほどで、温泉には気の毒ですが「辛口」はゆっくりと楽しんできました。

それでは良いお年を。
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argument (noga)
2011-01-01 21:02:24
持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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寺島先生へ (なんでも辛口)
2011-01-01 22:02:20
いただいたコメントから「辛口」が感じるところでは、先生は日本人と言語について研究されているように見受けられます。

もちろん内面的なところは「辛口」に理解できるはずも無いところですが、人間は相反する物事を解決する手段として、力で相手をねじ伏せるか、言葉で戦う(論破)かのどちらかだと思います。

そう言いながら、「玉虫」に出てきてもらったり、「落としどころ」というオブラードを使ったりする“知恵”も使います。

英語(他の国語も)はからっきしダメな「辛口」ですが、カミカゼの後押しをしてもらわないで済む程度の国語で今後も過ごすことになると思います。
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