ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

130.ちび猫が見付けた【アリ的な人々の想い】の断片(7)

2015-03-21 | つぶやき
第0130号


*****(制作終了)*****


『ちび猫のつぶやき』(記録)はこちらから。


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128.ちび猫が見付けた【アリ的な人々の想い】の断片(6)はこちらから。

131.ちび猫が見付けた【アリ的な人々の想い】の断片(8)へ続く。







令和3年度版







*魔法世界の真解釈(止める事を出来るようにしておくコトの大切さ)【12月18日・日】



具体的に話せば、


《口先魔法》は、

我慢できなくなってしまう{だろう}事を{色々と想定しておいて}止めるという事を{物事を進めながら、大全体を充実させる予備行為を並行して色々としておいて}出来るようにしておくコト(多種多様な再出発の為の色々な用意)を{個人の勝手に振り回されていて、物事の蛇足でしかなく、神の勝手を再現する上で不要であると言って}剪定してしまう。



『魔法管理』は、

間違えてやってしまう{だろう}事を{様々に想定しておいて}止めるという事を{物事を進めながら、間違えた時のリカバリーの為の様々な準備をしておいて}出来るようにしておくコト(多種多様なヤリ直しの為の様々な用意)を{個人の勝手の野放しであり、効率的ではないし、有用でもなく、自由競争で淘汰する側に立つ上での障害でしかないと言って}枝打ちしてしまう。



≪魔法世界≫は、

{お利口で在る事で一致した}みんなの『お金』や『努力』や『思い』が{無駄なく}特定の一つに纏(マト)まる事で形成される土台の{閉塞した}上で、物事が積み上げられながら{パラダイム変換を必要とする、破綻へと至る通常の進歩として}進歩していて、{大全体を充実させる{我慢できなくなった時の為の}予備行為(再出発の用意)をしておいたり、{間違えた時の}リカバリーの為の準備(ヤリ直しの用意)をしておいたりするのに欠かせないハズの}個人の勝手が{問答無用で、無自覚に}嫌悪(無駄扱い)され、一方的に{剪定や枝打ちとして}排除されて、{止めた事からの再出発が{大全体が充実していなくて}出来ずに、人間社会を劣化させてしまうような}我慢できなくなってしまう事の放置が増え続け、{止めた事からのヤリ直しが{リカバリーの為の準備が不足していて}出来ずに、人間社会が劣化してしまうような}間違えてやってしまう事の放置が増え続けて、人間にとっては{必然のように}生きづらい世界になってしまう。



【闇魔法】は、

最低限の目標達成をクリアーする範疇に於いて、{していると頭痛や吐き気を催(モヨオ)すような}自分の勝手を優先させる考え方をして、{みんなから「止めた方が良いよ」と言われるような}エキセントリックな奇行(【勝手な呪文】や【思うコトの勝手】や【勝手な事を想う】によって出来るようになる、我慢できなくなってしまう事や間違えてやってしまう事をきちんと止められるようにしておく為の{無駄としか思えない、雑多な}準備)を断行する為のモノ(大全体を充実させる{我慢できなくなった時の為の}予備行為(再出発の用意)をしておいたり、{間違えた時の}リカバリーの為の準備(ヤリ直しの用意)をしておいたりするのに必須)であり、『独善的なテロリスト』や『偽善者の詐欺師』などが悪用しているモノ(最低限の目標達成のクリアーを設定していない)とは似て非なるモノでありますから、{腐敗し切った【生きた水】と、腐敗を促進させる『EM菌』が似て非なるモノで、使った時に違う現象が起こるのと同じで、注意は必要であるものの}否定してしまう必要はないのです。







*魔法世界の真解釈(剪定や枝打ちで虚弱になっているところで自主ダイエットをしてしまって総崩壊に至る)【12月14日・火】



もっともっと簡単に話せば、

《口先魔法》は、

各種スポーツを作って{特定の人にとってだけ効率的で有用に作用するトレーニングに}参加させて特定のトップ選手以外のその他大勢の{引き立て役に仕立て上げた}人たちの意欲を{バカバカしくなって頑張っていられなくなるようにし向けて}折ってしまう(神の勝手の再現の為に進化論の木の人間という枝を剪定する)為に実施される体育教育(人間に挫折を受け入れさせる)と同列の発想で行われる、

子供たちに実施される{神の勝手の再現の為の進化論の木の様々な枝の剪定が肯定された学問での}学科教育(物事の切り揃えが世界の課題だとされる)や、

労働者たちに実施される{ヒエラルキーな段階的形状の枠組(様々に剪定された階層)で構成された人間世界での}職場教育(自分が立つパラダイム(階層)は{剪定が変わって}みんなで揃って変換を起こすまで閉塞したままであって一人ではどうする事も出来ないのであるとスリ込まれる)であります。



『魔法管理』は、

効率や有用性が追求されたシステムに適合できるかどうかの自由競争という篩(フルイ)に掛ける事(間引き・枝打ち)による余計なモノ(物事や人)の世界からの削ぎ落しとして行われているのでありますが、

それはそれに引っ掛かったモノの排除(進化論の木の枝の間引き)を目指しているのであり、

それによって神の勝手の淘汰(進化論の木の枝打ち)を起こそうとしているのであります。



≪魔法世界≫は、

「頑張るように仕向けられていながら、頑張っていても{批判の対象になって}晒(サラ)し者にされるだけなので、迂闊(ウカツ)には頑張れない」であり、

「特定の人が得意としている事が科学的だとされていて、いくら科学的追求をしても特定の人を引き立てる事しか出来ないものだから、科学を追究する事が馬鹿々々しくなる」であり、

「効率や有効性が追求された事を大事にして、大切なハズの個人の勝手を我慢してしまい、物事への嫌悪感が増大し、不安定要因が増加してきて、物事が{放棄されて}破綻へと向かっている」であり、

「知的社会での自由競争に於いて{勝ち残れない大多数のモノ(物事や人)の}切り落としが目的となっている」であり、

「『前後が反転した時間認識での土台の上で閉塞している世界観』の魔法に人世界が縛られている」でありまして、

「良いとされる{個人の勝手をしない事を大事だとする}ダイエット的(結果的に出来ない画一的)な事をみんなが{追い詰められて}自主的(一律)に目指していて、{世界に於いて}必然的に{物事や人の}総崩壊に至っている」であるのです。



【闇魔法】は、

個人の勝手を予備軍として活性する【更新する無限に多様な大全体】の概念を根幹とし、

【最小限の成功】が目指された上での個人の勝手を推奨していて、

【勝手な呪文:KY(空気を読まない)OK】や【思うコトの勝手:誰もが莫迦やアホで良い】や【勝手な事を想う:ヘタレでも良いのです。ワガママでも良いのです。ブレても良いのです】によって個人の勝手を大切にしているのです。







*魔法世界の真解釈(女子たちという可能性の芽の剪定・枝打ち)【11月29日・月】



もっと簡単に話せば、

《口先魔法》は、

{自分(男たち)が低レベルの認識度である事によって、他者(女子など)に認識度の負担を背負わせつつ、その行為を卑下して、他者(女子など)のヤル気を削ぎ落す}

《大人の会話》という{進化論の木の}剪定によって、

《神の勝手》の担い手にしてしまい易い女子たちの可能性の芽を摘み取って{家族の中での{男の為の}生贄にしてしまって}いる。



『魔法管理』は、

{有効な修行になるとして急かし、過度な認識度をゴリ押しして、他者(女子など)に効率や有用性を{勝手を禁止して}追求させる}

知的社会(男社会)の構築という{進化論の木の}枝打ちによって、

自由競争での引き立て役にしてしまい易い女子たちの可能性の芽を摘み取って{社会の中での{男の為の}生贄にしてしまって}いる。



≪魔法世界≫は、

女子たちが

{ヤル気を削ぎ落す{進化論の木の}剪定や、急かして勝手を禁止する{進化論の木の}枝打ちの}

生贄にされ、

{物事の}可能性の芽(個人の勝手)が摘み取られて{物事がどんどん積み上げられて}いて、

人類の根(人の世の土台の裾野の広がり)が腐ってしまって{人の営みが閉塞に陥って}いる。



【闇魔法】は、

{【大全体】を構成する予備軍である}女子たちを、

進化論の大樹の枝(剪定や枝打ちの{男たちが犯す}暴挙によって摘み取られて来た、【最小限の成功条件】をクリアーした上での【個人の勝手】)として、

{【勝手な呪文:KY(空気を読まない)OK】や【思うコトの勝手:誰もが莫迦やアホで良い】や【勝手な事を想う:ヘタレでも良いのです。ワガママでも良いのです。ブレても良いのです】によって解放させて}

広く大きく伸ばす。







*魔法世界の真解釈(これさえ押さえていればいい最小限の成功条件に辿り着く)【11月23日・火】



簡単に話せば、


《口先魔法》は、

自分は{知識が有るだけの}不器用を{ヒエラルキーの上位者として}装い、

みんな(人々)に{《神の勝手》の再現の担い手(【個人の勝手】をしない勇者)として}何でもいいから《やる》コトをしなくてはならなくなるように{《大人の会話》で巧みに}仕向けておきながら、

《やる》コトを{『魔法管理』によって忙(セワ)しなく急(セ)き立てられて}画一的にする事になるのを{《神の勝手》を裏切る}卑しいモノ(【個人の勝手】で失敗するゴブリン)だとも言い含め、

{【個人の勝手】を全封鎖して}みんな(人々)のヤル気を{ヒエラルキーの下位者となるように}削ぎ落して、

それをもってヒエラルキーの形成(《神の勝手》の再現)としての《進化論の木の剪定》としているのである。



『魔法管理』は、

物事の過程(リスキーな手順)を{近代科学の向上を決定する}大事な事とし、

行為の効率や有用性(近代科学の向上がもたらすモノ)を{リスキーな手順に欠かせないモノとして}重要視し、

みんなを{【個人の勝手】などしている}時間が無いと{効率や有用性を追求してリスキーな手順に挑むように}忙しなく{修行をするように}急き立てて、

この世界を近代科学の向上の場(【個人の勝手】などをしてはならない修行場)としてしまい、

リスキーな手順に挑んで行く事をもって科学技術の進歩(【個人の勝手】などをしない修業)としての『進化論の木の枝打ち』としているのである。



≪魔法世界≫は、

「《神の勝手》の再現の担い手として【個人の勝手】をしない勇者となるべきであり、【個人の勝手】で失敗するゴブリンになどなってはならない」

と言う反省転嫁をする《口先魔法》と、

リスキーな手順に挑む修行(【個人の勝手】などをしない)のような近代科学の向上(効率や有用性の追求)をゴリ押ししていながら

「近代化(リスキーな手順に挑む)についてこない{「自由は、勝手と違う」という事に気付こうとしない}怠惰な者がいるから物事が失敗するのだ」

と言う責任転嫁をする『魔法管理』との、

{諍いを起こしながらの、結果としての}結託(ケッタク)によって、

人々の【個人の勝手】が{ゴブリンがする事であり、怠慢な手順であるからと}封じられてしまっていて、

{それによって}物事の大切な事(ゴブリンとしてであろうと、怠慢な手順であろうと、{【個人の勝手】が最大限に許される}これさえ押さえていればいいという{最小限の成功条件の}コト)が隠蔽されてしまっている。



【闇魔法】は、

物事の大切な事(ゴブリンとしてであろうと、怠慢な手順であろうと、{【個人の勝手】が最大限に許される}“これさえ押さえていればいい”と言える{【最小限の成功条件】の}コト)に辿り着けるコトであり、

物事の大切な事が実践できるコト(【勝手な呪文】や【思うコトの勝手】や【勝手な事を想う】による解放)でありまして、

【大全体】を構成する【予備軍】である為のものであり、

【進化論の大樹のようなアリ的なモノたち】の構成員(アリ的なモノ)である為のものであります。







*魔法世界の真解釈(答えから目を背けているから問題なのです)【11月14日・日】



《口先魔法》:

有用性や効率が優先(知的社会をより高度化)される自由経済(人間を淘汰して社会を掃除する)に於ける、

認識度のレベルが低い{掃除対象の人間ゴミとされるような}モノたち(高度な知識が有って他者への注意は厳格に出来るのだが、行動はデタラメで、手抜きや誤魔化しが多い)であり、

{人間ゴミが掃除し切れていなくて知的社会の高度化の妨げとなって}様々な分野で{埃(ホコリ)のようにどこにでもいる彼らが}足を引っ張ってしまっていて、

人の世

(知的社会の高度化に適応できる{認識度のレベルのバラツキが大きく攻撃的なモノが多い男子に対しての}女子(認識度のレベルのバラツキが少なく温厚なモノと言える)やエリート(認識度のレベルが高い{温厚である為に少数派とされてしまっている}男子)たちが多大な頑張りで支えている)

の混迷の種(知的社会の高度化から取り残された事の憂さ晴らし(反抗)であるセクハラやイジメや差別や迫害を悪化させる)となっている。



『魔法管理』:

{有用性や効率を優先させる}公共の利益の為として{知的社会をより高度化させる事が出来る}科学技術を広め、

有用性や効率を優先(知的社会をより高度化)させる自由経済(人間を淘汰して社会を浄化する)を駆使して、

認識度が低いモノ(浄化対象の人間ゴミ)を淘汰する事(知的社会の高度化から取り残され狂暴性が暴発(ボウハツ)した男子を排除する)を目指しているものだから、

大多数の{掃除対象の人間ゴミにはなりたくない}社会生活者をも{【個人の勝手】を放棄させて}疲弊させてしまい、

人の営みを{みんな(セクハラに晒される女子や、イジメに晒されるエリートだけではない、当たり前に生きている多くの社会生活者)をドロップアウトへと追い詰めて}破綻させてしまう。



≪魔法世界≫:

{納豆食に於いて、自分の都合や好みを優先さられず、有用性や効率が優先された知的な食べ方をしなくてはならなくて、{誰もが納豆食に疲弊し}納豆嫌いが増えているのと同じように}社会生活者がドロップアウトし、

{納豆食に於いて、他から【個人の勝手】とは違う食べ方がゴリ押しされていても、{それが知的食べ方であれば}それを受け入れるのが人として自由で在るという事なのだとされているものだから、誰もが無理な納豆食を始めてしまって、{納豆食にみんなが疲弊し}納豆食の減退が一般化してしまっているのと同じように}人の営みが破綻して、

{納豆食に於いて、他者に対しては【個人の勝手】とは違う知的な食べ方をゴリ押しするのに、自分はあまり納豆を食べたりしないという{認識度のレベルを下げてしまった}人が多いのと同じで}人の世の混迷が深刻化している。



【闇魔法】:

私は【勝手】で良い、ズルくて良い、卑怯で良い、一人で良い、KYで良い、嫌われて良い、莫迦で良い、残念で良い、つまらなくて良い。:【勝手な呪文】

人はもっと【勝手】で良い、【大全体】を構成する予備軍で良い、必要性に応じられなくて良い、見捨てられていて良い、取り残されたゴミで良い。:【思うコトの勝手】

想いはもっともっと【勝手】で良い、誰の為でもなくて良い、何の為でもなくて良い、楽しくて嬉しくて幸せであれば良い。:【勝手な事を想う】

【大全体】を構成する予備軍であるには、そんな各自個別な【勝手(個人の勝手)】が大切なのです。

『自由は勝手と違う』と言ってしまっては、問題の答えから目を背ける事にしかならない。

答えが無い問題なのではなくて、答えから目を背けているから問題なのです。







*魔法世界の真解釈(認識度のレベル差{の個人間での違い}に拘る事の問題)【11月11日・木】


《口先魔法》:認識度(物事を受けとめてしまう度合いであり、このレベルが重いほど強く縛られていて、より大きな負担を強いられても担う事が出来る:《大人の会話》でされる事)の重い{不自由な}者の上に認識度(このレベルが軽いほど縛りが弱く、物事に対した時のフットワークが軽くて、指示命令を出す側に向いている:《大人の会話》でされる事)の軽い{より自由な}者が立って{《神の勝手》を再現した}《ヒエラルキー》を作る。

『魔法管理』:認識度(このレベルが低いモノほど物事を知らないとう事であり、この世に不要なお荷物でありまして、排除すべき{不用で不効率な}存在である)が軽くて上に立っているモノを淘汰する為に『自由競争』を実施する。

≪魔法世界≫:《ヒエラルキー》と『自由競争』の抗争の中で{逃げ場が無いまま}翻弄されて疲弊し切った人々がドロップアウトしている。

【闇魔法】:認識度(車で道路を走るのに速度制限の標識の意味を理解していてもそれを守る意識レベルは低いが、{それに対して}一旦停止の標識に対してはそれを守ろうとする意識レベルは高い)のレベル差{の個人間での違い}に拘るのではなく、「自分が物事に於ける認識度のレベルが高くても良いし、他の誰かが物事に於ける認識度のレベルが低くても良い」と思っている。







*魔法世界の真解釈(⦅進化論の木⦆と【進化論の大木】は似て非なるモノ・2)【11月7日・日】



《口先魔法》:

《神の勝手》を⦅進化論の木⦆で再現して{この自然世界を《神の勝手》のままに}永続させようとする、

⦅進化論の木⦆の枝葉を{《神の勝手》に従って}剪定するような{本質的には他力本願な}介入。



『魔法管理』:

有用性や効率性が追求されている『指示命令系統』が幹(ミキ)となる⦅進化論の木⦆の先端を{『生産的自由』により勝手を淘汰して}伸ばそうとする、

⦅進化論の木⦆の枝葉を{『自由競争』で}枝打ちするような{客観的には他力本願な}介入。



≪魔法世界≫:

⦅進化論の木⦆の剪定や枝打ちで⦅進化論の木⦆が{人も自然も疲弊して}衰弱してしまった事による、

⦅進化論の木⦆の枝葉が{⦅進化論の木⦆の剪定や枝打ちという人の営みでは対処が出来ずに}枯れていくような{人の世や自然世界の歪みが止まらない}世界の危機。



【闇魔法】:

この世界の危機に、

{【大全体】で構成されている【進化論の大木】が用いられている}【魔法の理】(予備軍(不要な枝葉:個人の勝手)の多様な保有による無限に近い更新)が有効活用できるモノなのだが、

{欧米で実績のあった}西洋の理を有効活用した明治維新の時や、

現世での理を有効活用する{異世界転生系のライトノベルの}お話の中とは違って、

{納豆食の減退が人々にとって一般化したコトであっても、個人の勝手である「自分の都合や好みを優先させるコト」が出来れば、何時でも{誰であっても}納豆食が旺盛になるという簡単な話しであっても、理想的な納豆の食べ方を納豆食の減退した人が熱心に触れ回っていて、そんな理想的な納豆の食べ方で誰もが納豆食を減退させていて、{誰もその簡単な話しに耳を貸す事はなく}納豆食の減退の悪化が止まらないのと同じで}

この現代社会に於いて【魔法の理】に耳を貸す者はいなくて、

「人道主義を騙る偽善者が、「既存の倫理や道徳が通じない時代になった」と言って{他力本願な《神の勝手》の再現と同じ}新たな魔女狩りの道の開拓をしているものだから、八つ当たり的な差別や迫害が少し増えたぐらいでは、隠蔽に手を貸す事はあっても、{周囲に居るだけの大多数の人々の}誰も何とかしようとは思わない」や、

「『グレータ・エルンマン・トゥーンベリ』が既存の『指示命令系統』に働きかける{他力本願な『自由競争』と同じ}環境問題の解決の訴えをしているものだから、環境問題の解決が遠のくという事が起っているのに、誰にも如何(ドウ)にも出来ない」という様な問題の悪化が色々な分野で多発している。







*魔法世界の真解釈(『進化論の木』と【進化論の大木】は似て非なるモノ)【11月6日・土】



《口先魔法》:

《神の勝手》の永続の為に、人や物事の成長を{宗教や哲学や倫理道徳などで、庭木を剪定するように}整形しようとする欺瞞。



『魔法管理』:

『進化論の木の先端』を伸ばす為に、有用性や効率性が{神聖視され、何よりも優先するべきモノとされて}試される『自由競争』での{余計な枝葉を枝打ちする様な}淘汰にさらそうとする詭弁。



≪魔法世界≫:

{宗教や哲学や倫理道徳などの欺瞞のゴリ押しによって}人や物事の成長の整形に努めさせられたり、{有用性や効率性が神聖視された詭弁のゴリ押しによって}『自由競争』での淘汰にさらされたりして、誰もが疲弊し切って{ドロップアウトして}しまっていて、{精神的に引き籠って}石橋を{必要なコトだからといって}叩き続けたり、{ゲームやバーチャルに籠ったまま}論理上の成功(得るモノが無い、虎の威を借る狐での、栄誉の獲得)を追い続けたりしてしまう。



【闇魔法】:

【進化論の大木】という【大全体】を構成する{今は余計な枝葉でしかない}予備軍を{剪定したり、枝打ちしたりする事なく}豊かにする為に、【勝手な呪文】や【思いの勝手】や【勝手を想う】を欠かさず、【個人の勝手】を確保する。







*魔法世界の真解釈(欺瞞と詭弁の勢力争い)【11月5日・金】



「様々な宗教や哲学や社会思想や倫理道徳(「されて嫌な事を相手にしない」など)や格言(「鶏口となるも牛後となるなかれ」など)によって、ヒエラルキーの{上位の者が下位の者を露骨に卑下しながら言う事によって}下位の者がヤル気を削ぎ落されて来ていて、上位の者ほど{無条件に崇高なものとして}より敬(ウヤマ)われ続ける」

という《神の勝手》がこの世界で永続していると認識できればそれで良いという欺瞞の《口先魔法》と、


《神の勝手》がこの世界で永続していると考えてしまうような{論理を用いずに、勝手な主張をしていて、有用性や効率性に欠けている}劣等者を{勝手を自制して『生産的自由』を駆使している}優秀な{『自由競争』での}勝者が淘汰する必要があるのは『進化論の先端を伸ばすのに枝葉を早く落としてしまわなければならない』からだという詭弁の『魔法管理』との、


{納豆食で言えば「伝統的な食べ方の継承か、研究開発した食べ方の効能かで諍(イサカ)う中で、各自個別に個人の都合や好みを優さんさせる【個人の勝手】にとっては何の良い事も無く、納豆食の減退が誰にとっても一般化してしまう」という事であり、{作って来た砂上の楼閣が崩壊に至る}人の営みの閉塞(前後が反転した時間認識の土台の上での物事の積み上げ)にみんなが精神を病んでしまう事である、{パラダイム変換を理想の進歩だとする妄想を抱いての}パラダイムが必然的に{納豆食に於いて、伝統的な食べ方の追求や、高い効能がある食べ方の追究が{競争しながら熱心に}行われていながら、{【個人の勝手】を拒絶してしまって}結局は納豆嫌いを増やしてしまうのと同じで}破綻へと至る}

不毛な勢力争いに{何度も}散々巻き込まれて来ていて、


{大多数の人々の}誰もが{石橋を叩いて{誰からどんなに勝手だと非難されてもゆっくりゆっくり}渡って【闇魔法】を駆使して回復を待たなければならない程に疲弊しきってしまい}辟易(ヘキエキ)して≪魔法世界≫を形成しているのですが、


それについて{その誰もが}まったくの無理解なのです。







*魔法世界の真解釈(近代科学と合理の連鎖と、淘汰の競争と閉塞の進行)【10月30日・土】


《口先魔法》がこの世界に《神の勝手》を再現しようとして来た事に対抗する『魔法管理』での『自由競争』の根幹をなしている『近代科学』では世界の更新が認められていなくて、

{誰もが考えたくない事なのでしょうが}そこで行われる『淘汰の競争』による進歩は『閉塞の進行』と言える「潰し合い」で行われて来ていて、

{誰もが認識をしたがらなかった事なのですが}そういった「足の引っ張り合い」の連鎖と言えるものは「自己正当化の為の頑張りをやり過ぎて疲弊した事で始まる独善的な合理のゴリ押し」が人々の中で連鎖して行く『合理の連鎖』で行われて来ていたのです。



そうして至っている≪魔法世界≫というのは表面的には『近代科学』が進歩し『自由競争』が華やかに行われているのにその側面では飢餓や貧困や紛争やテロなどの問題が絶えないのですが、

その裏側では誰もが疲弊しきって大多数の人々がドロップアウトしていて、

「各自個別に個人の都合や好みを優先させる」という大切な事が疎(オロソ)かになっている事による{砂上の楼閣の崩壊のような}文明の破綻(人間活動の減退や物事の閉塞)が深刻化しているのです。



【闇魔法】での【個人の勝手】は『自由競争』で淘汰しようとしている《神の勝手》とは違うと{勝手な呪文や、勝手に思う事や、勝手な想いをする事を駆使して}誰もが自覚し{「自由と勝手は違う」という甘言で唆(ソソノカ)される事にみんなが疑問を抱けるように}人々に周知されていて、

「各自個別に個人の都合や好みを優先させる」という事が人の営みに於いて大切に守られているのであれば、

人の世は「更新する多様な【大全体】の構成員である予備軍」として存在する事が出来て、

文明の破綻(人間活動の減退や物事の閉塞)などというような事になる文明は起こらないのです。







*魔法世界の真解釈(疲弊した人々が人の疲弊の元になって、合理の連鎖が積み上がる)【10月29日・金】



我慢をしていれば、{そんな}小さな事が大きな喜びとなり、{そういった}喜ぶ気持ちが大きな幸せを引き寄せてくれるのだ。


コツコツとお金を貯めれば、それが{間違いなく}気持ちのゆとりとなり、{さらには}そういったゆとりが投資などでのリスクの回避を可能にしてくれるのだ。


「自由と勝手は違う」と言われていて、{やたらに}勝手を通さず、{少しでも}生産的自由を発揮すれば、{意外と}大きな見返りが期待できるのだ。


そういった話しが合理的に行われているのですが、

それによって誰もが淘汰の競争へと誘い込まれてしまい、

そしてみんなが頑張り過ぎてしまって、

人々が疲弊してしまうのです。



淘汰の競争に引き込まれて疲弊した人々がする合理的な話しが、

人が疲弊して合理的になってしまう事の元凶になっているのですが、

そういった合理の連鎖も、

『特定の(一つの共通する)土台の上に物事が積み上がる世界観』の基になった『前後が反転した時間認識』の上に積み上がって行く閉塞の進行だと言えるでしょう。







*魔法世界の真解釈(過剰な淘汰が蔓延した≪魔法世界≫の絶望)【10月28日・木】



《口先魔法》が《大人の会話》を駆使してこの世界に《神の勝手》を再現(ヒエラルキーを作成)しようと{昔から}頑張って来ていたが、


『魔法管理』が《神の勝手》を{問答無用で}淘汰してしまおうとして

{「自由は勝手と違う」に基づいた『生産的自由』で在る事を人の前提にした『自由競争』で有用な事や効率的な事を競い合う、合理的な人の営みに於いて、ついて来られないと負担を担わせる}

人の振り落としを{近代化の名の下に}ゴリ押ししていて、


過剰な淘汰が蔓延して疲弊しきってしまった≪魔法世界≫には絶望(閉塞した未来観:前後が反転した時間認識)が{無抵抗なまま}充満しているのだが、


【闇魔法】では

{勝手を炙(アブ)り出して痛めつけるのが目的の『自由競争』を{勝手な呪文(莫迦で良い)や、思い(莫迦でOK)や、想い(莫迦な想いに耽(フケ)る)で}バカバカしいモノと認識し、{結果的には誰もが}振り落とされて排除されるに至るだけの{有用な事や効率的な事をする}合理的追求から{自分がヤルベキ事や、自分達が担っている事や、人間に求められている事にキッパリと背を向けて}離脱して}

【個人の勝手】を満喫するのです。



納豆食に於いて{有用な事や効率的な事を追求した}合理的な納豆の食べ方(納豆を食べる時は必ず朝によく掻き回してから食べる)をしている{大多数の}人々が納豆食を減退させているが、


{各自個別に}個人の都合や好みを優先させる事

(夕食時に掻き回さずに納豆を食べていると“もったいない”と言われてしまうが気にしない)

が出来ている人は納豆を沢山食べられているのと、


近代的な経済活動に於いては

{勝手を禁じられていて、自由という名の{お金を得るのも使うのも画一的な}苦難の生き方しか残されていない}

多くの人間が貧困に陥り、


{社会や会社への{求められている事に応じる受動的行為の}貢献よりも自分の遣りたい事(自己優先の能動的行為)の方が大切だとして}

自分の都合や好みに合ったお金の得方や使い方(みんなから“もったいない生き方だ”と言われるコト)の出来ている人は満足して生きているのと同じ。



納豆食が減退してしまっている人が{納豆を沢山食べている}私(ちび猫)に「納豆は朝によく掻き回して食べる物だ」と忠告して来るという{理不尽な?}不思議があるのですが、


それと同じで、


お金儲けでたいした大成をしているとは思えない人が書いたお金儲けの手引書(苦労して借金を増やすだけのもの)が世に溢れているという(不条理な?)不思議がありまして、


困ったものであると私(ちび猫)も思っているのです。







*魔法世界の真解釈(《神の勝手》の淘汰が目的の『自由競争』)【10月26日・火】



この世界に《神の勝手》を再現しようとして、

《口先魔法》によって{勇者のようだと褒め称え、ゴブリンのようだと蔑む}《大人の会話》が駆使され、

人間が{仕事や責任を担うように}唆(ソソノカ)されてしまい、

{ヒエラルキーの}より下層の犠牲者が負担を背負わされる事になり、

反抗をする者は{異物として}排除される事になる。



この世界から《神の手》を淘汰しようとして、

『魔法管理』によって{有用な事や効率的な事をして生産性を高め、ついてこない者を炙り出し、社会的に抹消する}『自由競争』が厳守され、

人間の憂さが{憂さ晴らしが必然と言われる程に}どんどん溜まってしまい、

{憂さが溜まる事がそのまま続けられる為のガス抜きとしての}イジメやハラスメントやテロや紛争が放置される事になり、

『自由競争』への参加を{有用な事や効率的な事をして生産性を高めるバカバカしさにうんざりして}逃れて【個人の勝手】を{楽園で楽しむようにして}追求して、

自分の都合や好みを優先しているのを{少しでも}見付けられてしまうと{理不尽で不条理な}八つ当たりに合う事になる。



『管理魔法』での『自由競争』で人々が憂さを溜めて、

人の世は争いで溢れ、

世界が{各分野の方々で随時}砂上の楼閣の崩壊のように破綻してしまい、

それが{パラダイム変換のように、全面改装のような変革を伴い、みんなを巻き込んで}繰り返されるものだから、

人類はどんどん疲弊してしまって、

≪魔法世界≫ではもう誰もまともに『自由競争』に取り組まなくなる。



【闇魔法】によって、

{納豆食に於いて誰もが、各自個別に個人の都合や好みを優先して、有用な事や効果的な事に捉われなくなるように}【個人の勝手】を誰もが手に入れて、

{納豆食に於いて納豆をあまり食べない人が、納豆を沢山食べている人(私)に「納豆は朝食時によく掻き回して食べるように」と忠告して来るような事が無いように}《神の勝手》や『自由競争』の無駄なゴリ押しが無くなり、

{納豆食に於いて誰もが、自分の都合や好みを優先させるように}≪魔法世界≫が生気をとりもどせれば、

{私(ちび猫)が納豆を活用して【生きた水】を作っているようにして}誰もが【大全体】の構成員になれるのです。







*魔法世界の真解釈(『神の勝手』と【個人の勝手】は似て非なるもの)【10月24日・日】



『口先魔法』に於いて、

『神の勝手』を語っていく『大人の会話』によって人々を導き、

ヒエラルキー(使う者と使われる物とが階級分けされて三角形を構成している:『神の勝手』)をこの世界と人の世を使って再現(実施)して、

そのヒエラルキーからハミ出す異物や邪魔者を排除してヒエラルキーの実行に努める


『魔法管理』に於いて、

「「自由と勝手は違う」と言って(呪文を唱えて)ヒエラルキーを作る『神の勝手』への抵抗力を備え、

「前後が反転した時間認識に基づいた特定の(一つの共通した)土台の上に物事が積み上がる世界観」の認識によって{『神の勝手』の影響を受けない}一つの共通するもので平等となった人間(自由の身)となれ、

そんな{自由の身の}人たちにより特手の土台が形成されて、

その特定の土台の上での物事の積み上げが行われていて、

{そして}物事の積み上げの効率や有用性を高める為に{積み上げを崩壊させて}土台が再形成される。


『魔法世界』に於いて、

{『神の勝手』による特定のヒエラルキーに縛られたり、『一つの共通した特定の自由の身』になって自己を奪われたりする}魔法が問題となって憂さ晴らしが必然だと思われていて、

頑張り過ぎによってこの世界やみんなはドロップアウト(土台の上の積み上げの崩壊)に至るが、

パラダイム変換(特定の土台の交換)をする事が出来る事で、

結局は{何度でも作り直される砂上の楼閣の崩壊のように}人の世(土台の上の積み上げ)の破綻が繰り返される。


『闇魔法』に於いて、

特定の土台(この世界)の再構築を行う事なく、

{各自個別な【個人の勝手】を確保する}多様なみんなによる更新(新しい土台が作られていく)が起り、

土台だけが{積み上げはそのままに}広がって行く。



ヒエラルキーを作る『神の勝手』と各自個別な【個人の勝手】は似て非なるものでありまして、

その違いの認識には「【大全体】の概念」と「前後が反転した時間認識の修正」と「反省転嫁を繰り返すだけだった人類を反面教師にする」が最低限必要なのですが、

{しかし}これがけっこう大変(「『神の勝手』を壊してもあまり良くならずに『この世界と人の世を砂上の楼閣の崩壊のように破綻させる疲弊』は拡大し続けているという事」や、「『憂さ晴らしが必然の憂さの蓄積』の責任を【個人の勝手】に転嫁している事」や、「『神の勝手』を壊せる最高の権威を維持する為にノーベル賞が隠蔽体質である事」の公表と、周知徹底が困難)なのです。







*魔法世界の真解釈(『神の勝手』と【個人の勝手】の問答無用の混同)【10月23日・土】



『口先魔法』は、

物事も人も『神の勝手』により{使役する側から使役される側にピラミッドの形(ヒエラルキー)で}分別されて生じて来る{秩序を模された}モノだとしていて、

使役される側の使役する側への反抗(秩序からの逸脱)を押さえ付けたり排除したりする{理不尽で不条理なコトをする}事の{『大人の会話』での}正当化(正当性の確立と維持)を最重要としている。


『魔法管理』は、

特定の土台(『神の勝手』に代わる強大なモノ)の上に物事が積み上がる(人が積み上げる)世界観で{誰もが平等の組体操やマスゲームの根幹をなす強大なモノとして}形成されていまして、

{その『神の勝手』に代わる強大なモノをより強大にして維持させる為に}前後が反転した時間認識の周知徹底(パラダイムを構築し、維持する頑張り)によって物事や人々に出来うる限り蓄積させてからのストレスの{パラダイム変換に至った事にしての}解消(ギリギリまで頑張らせ続けての発散)を最も{効率的で有用性の高い}大事な事(人類の理想)であるとしているのです。


『魔法世界』は、

『口先魔法』や『魔法管理』によって物事も人間も頑張り過ぎてしまっていて、

それによるストレスに物事も人間も疲弊してしまい、

そして{それにより}ドロップアウトしてしまった物事や人間で溢れるに至りまして、

人の営みは閉塞し人の世は破綻へと向かってしまって、

文明は砂上の楼閣を築いてしまって来たのです。


『闇魔法』は、

更新する多様な予備軍で構成される大全体の世界観に基づいていて、

{個人の都合や好みを優先させる}各自個別な【個人の勝手】の獲得を大切に考えるモノなのですが、

それが『口先魔法』からは{物事の崩壊や人の営みの閉塞の元凶となっている}傲慢な人間の{模された秩序を逸脱する}暴走(『魔法管理』の弊害)として{一方的な言いがかりで完全な八つ当たりであったとしても{神の名の下で}自己正当化してしまって}非難され、

『魔法管理』からは『神の勝手』の信奉(『口先魔法』の詭弁)と{問答無用で}誤認されて、

{結局は}誰からも相手にされないのです。



「自由と勝手は違う」で否定的なモノとして認識される『勝手』は、

『魔法管理』がその排除を{永遠の}最終目標に掲げている『神の勝手』の『勝手』(理不尽で不条理なモノ)であり、

『闇魔法』でその獲得が大切に考えられる【個人の勝手】の【勝手】(個人の都合や好みを優先させる、各自個別なモノ)は別モノなのですが、

その違いの認識(混同の修正)は{『魔法管理』の立場からすれば}取り組むべきではないもの(最難関のひっかけ問題で、チャレンジして失敗すれば全てを失う、リスクばかりなのにメリットは少ないもの)と言えるかもしれない。







*魔法世界の真解釈(各自個別な事になど誰も目を向けない)【10月21日・木】


人間は{古いアリの認識(生まれながらに兵隊アリや働きアリなどに分かれている)と同じで}階級分けされて{神によって造られて}産まれてくるという古い世界観を{合理性を追求して、階級を無効にし、人間を一括(ヒトクク)りにしてしまって}崩壊させる為に、

ノーベル賞に権威が与えられ、

前後が反転した時間認識に基づいた特定の(一つの共通した)土台の上に物事が積み上がる世界観が作られ、

みんなに効率や有用性が追求された事を追従してもらい、

「自由と勝手は違う」が基になった『生産的自由』の発揮(勇者を目指しゴブリンを嫌悪する)を人々に求めさせ、

『コロンブスの卵:知識を知って用いる事が出来るのは大事な事だが、勝手な事の為に使ってはならない』が人々に{勝手をさせないように}ゴリ押しされているのです。


私(ちび猫)の言う

【大全体の概念:更新する多様(各自個別)な予備軍(これからの為の用意)で構成されているとする新しいアリの認識:人の営みが閉塞していて人の世が破綻に向うのが解決できていない『倫理道徳』や『思想・哲学』や『ノーベル賞』を反面教師にする】

というのは

「納豆食に於いて私(ちび猫)が納豆を夕食時にまったく掻き回さずに食べる」

のと同じ各自個別な事であるので、

それを言ったところで納豆嫌いの人が納豆を食べるようになる事がないように、

頑張り過ぎ(口先魔法や魔法管理)に伴う『憂さ晴らし』や、

『疲弊』による物事の減退(魔法世界)でどんなに窮地にあっても、

【大全体】や【反面教師】の事(闇魔法)になど誰も目を向けないのです。







*魔法世界の概要(“担保”である【勝手】の絶対確保)【10月21日・木】



「これは便利な事」・「これは効率的な事」・「これは有用性が高い事」・「これは生産性が良い事」などと言われて、

『コロンブスの卵』の状態(それを妄信していて、それをするのに自由を発揮するが、それを反面教師にする事は{勝手にしか思えず}出来ない)に陥ってそれを頑張ってしまい、

憂さ晴らしが必要な程に憂さが溜まってしまうというのも、

それはそれで確かに問題の一面ではありまして、

「憂さの溜め込みを問題視して、憂さを溜め込んでいる人を危険な存在にでっち上げ、それを相手(標的)に{自分や仲間の}憂さ晴らしをするような事から始めて、憂さのガス抜きのし合いの為にグループ分けして競争(過剰な対立や差別に至る)を煽(アオ)るものだから、国や宗教によってはそれが紛争やテロ(戦争や虐殺)へと至ってしまっている」とどうしても見えてしまうからでありますが。


{しかし}本当に問題(人類が見過ごして来た事)なのは、

{『前後が反転した時間認識』に基づいた『特定の(一つの共通する)土台の上に物事が積み上がる世界観』が示す通りに}人の営みが閉塞していて、

人の世が破綻に至る(限界になった砂上の楼閣が崩壊する)という妄想(魔法世界の人為的構築)をしているという事の方でありまして、

ここから紐解(ヒモト)いていって、

{納豆食の問題で例えるなら、画一的な食べ方の一律なゴリ押しに不満を持つのではなく、自分の都合や好みを優先させる事で、ようやく納豆が食べ始められるように}ようやく解決の糸口が見え始める訳でありますから、

{汚れた水で手を洗うような}憂さ晴らしの問題解決(闇雲に頑張ってしまい、結局は人(人々)が更に疲弊してしまうだけ)にいくら取り組んでも{悪化こそすれ}無駄でして、

{そんなだから}世界から{必然にように}戦争や虐殺が無くならないのです。



人(人々)に『憂さ晴らし』や『疲弊』を{必然のように}招く、人(人々)の『頑張り』を経済に置き換えて考えてみると、効率や有用性が追求された事への追従を{勇者らしく在ろうとして}一人でもするし、生産的自由を{ゴブリンの様になりたくないとして}みんなの為にと発揮させていて、そんな頑張りを人(人々)は『投資』として行っている訳ですから、{本来は}人(人々)はその{頑張った事の}“担保”として{それ相応の}【勝手】を確保しておかなければならないハズなのですが。


{しかし}人(人々)の様々な活動や研究に対して{人類に多大な貢献をした証しとしての}ノーベル賞が授与される事によって、人(人々)にとっては{人類への『投資(頑張り)』の為の}“担保”を{最大限に}贈られたと勘違いをさせられてしまい、誰もが{勝手の確保を浅ましい行為だとして{牽制し合いながら}抑制して}人類の進歩が追求された事への追従を一人でもして、生産的自由をみんなの為にと発揮させてしまう訳でして。


{これによって}担保価値の無い“担保”を掴(ツカ)まされたまま、

多大な『投資(頑張り)』が無闇に行われる事になり、人(人々)の生産的自由が発揮された{“担保”の【勝手】が無いままでの}社会活動(企業活動や武力活動や宗教活動や思想活動など)に『投資(頑張り)』が次々と行われてしまって、

{【勝手】という“担保”も無くて}人(人々)の誰もが{『憂さ晴らし』や『疲弊』を招くような}資金の枯渇に至ってしまい、社会活動の{必然のような}破綻(砂上の楼閣の崩壊)が起ってしまうのです。







*魔法世界の概要(コロンブスの卵の恐ろしさ・ガラパゴスを守れ)【10月17日・日】



日本人は、

欧米人や右翼たちの『大人の会話』に乗って、

『コロンブスの卵』の状態(『パラダイム論』や『自由と勝手は違う』を反面教師にする事が出来ないまま理想のものだと妄信する)に陥り、

謙虚なガラパゴス生活の勝手(闇魔法)を慎んでしまって、

世界での責任や仕事を担う事を{カッコを付けて}引き受けてしまうような事(生産的自由の発揮)になってはならない。


日本は【闇魔法】が掛かった奇跡の国ではあるが、

奇跡が失われる可能性は限りなく高くて、

世界での責任や仕事を担う為の自由の発揮(効率や有用性が追求された事をしたりする事による生産性の向上)に{安易に}手を出し、

謙虚なガラパゴス生活の勝手を疎(オロソ)かにすれば、

『口先魔法』や『魔法管理』が横行する(自由の名目で勝手を抑制する)事になり、

日本の奇跡(闇魔法)は瞬く間に失われてしまうのです。



中国や韓国は欧米の知識(文字だけの正しさ)を{『コロンブスの卵』の状態で}導入し、

世界での責任と仕事を{疑似的にでも}担おうとして、

その生産性向上の犠牲者となった中国人や韓国人は勝手を消失させてしまっていて、

『魔法世界』に陥ってしまった{不幸な}両国(国民)が、

【闇魔法】が掛かった奇跡の日本が{自虐を隠れ蓑にする事で、日本人(個人)の都合や好みを優先させる事がなんとか守られて、細々と維持されて来ている}ガラパゴスであるのを「国粋主義の動かぬ証拠だ」と唆(ソソノカ)されて、

知識(文字だけの正しさ)だけの{『コロンブスの卵』の状態での}導入(中国や韓国に足並みを揃えた疑似国際化で国力を浪費して、国民が消耗していても、{知識を優先し、ただ従って}疑問を抱かない)に見向きもしない日本への批判(ヒステリー)を{考え無しに}しているだけなので、

日本国(日本人)は{日本人(個人)の各自個別が優先された結果のガラパゴスを、「軍国主義の再現だ」などと言われても}耳など貸す必要はない。


日本(日本人)よ、ガラパゴスを守れ!!。







*魔法世界の概要(コロンブスの卵の恐ろしさ・目クソ鼻クソを笑う・天にツバする行為)【10月16日・土】


中国・韓国の庶民は『コロンブスの卵』の枠組に捉われていて、

知識によって他者からより畏怖される存在に見られたいと思い、

考え無しに犠牲者や生産性労働者に甘んじてしまい、

文化レベルの減退を招いていて、

その上に胡坐(アグラ)をかいているだけの権力構造は野蛮で見るに耐えない『目クソ』である。


しかしそれを非難する日本の右翼も、

「自由と勝手は違う」と言い、

『コロンブスの卵』を進行させる欧米諸国を真似て中国・韓国を見下し、

『生産的自由』で日本の強化が目指せると妄信している、

『コロンブスの卵』の枠組に捉われている『鼻クソ』である。


その客観的姿は「目クソ鼻クソを笑う」であり、

その「天にツバする行為」による日本(ガラパゴスで謙遜しながら勝手が確保されている奇跡的な存在)への悪影響は計り知れない。







*魔法世界の概要(コロンブスの卵の恐ろしさ・補足2)【10月16日・土】



『コロンブスの卵:口先魔法や魔法管理の方便(相手に各自個別な考え方をさせない為の用語で、「自由と勝手は違う」と言われただけで『生産的自由』に励めるのはこの為)で、魔法世界はその副作用によるもの』の恐ろしさをもう少し身近な問題で説明すると、


中国や韓国の文化が

{国家が主導する画一的なもので、個人が勝手にアレンジしたりする事など出来ないものだから}

『コロンブスの卵』的なもので国民に根付いていなくて、


{仰々(ギョウギョウ)しくゴリ押しまでするものだから}

中国や韓国が外国(欧米など)から

{直接的な目障りや脅威として}

疎(ウト)ましく思われているのに対して、


日本の文化は

{GHQや共産勢力の陰謀のせいだと言われながらも、{日本人の気質で}謙虚な姿勢を頑(カタク)なに続け、文化や行事を国が主体となって画一的に行うのを{軍国主義に戻るかもしれないと}庶民ほど拒み、大衆の手によって文化や行事が{外国のモノマネを{高度に応用させながら}自国のモノに加えながら}様々な形で行われて来て}

『コロンブスの卵』的なものではなく国民に根付いていて、


{さらには日本の事を自虐的にガラパゴス(『コロンブスの卵』のエリアの外)になぞらえていて、世界標準と言われる事に異議や不満や追加の申し立てなどしないので}

日本は外国(欧米など)から

{物語の登場人物の様に}

民度の高い国だと思われている。



角度を変えて見ると、


日本は近くの国(中国や韓国など)からは

{こちらの国家体制の邪魔にしかならない{異様な事ばかりしようとする}独り善がりな国(自分たちの進める『コロンブスの卵』にそぐわない、身近な厄介者)だとして}

異常なまでに低く評価(決して容認されない)され、


遠い国(欧米など)からは

{誠実な聖国家(自分たちの進める『コロンブスの卵』には直接関係しない、遠い地の聖人・聖女)として}

かなり過剰に高く評価(憧れの目で見られる)されている。



日本国民は自虐的(「ゴメンネ」と言ってしまえる)になれて、


勝手な事(モノマネや小手先の応用)ばかりしているだけなのだが、


{ガラパゴスであっても}

みんながそこそこ幸せだし、


{ガラパゴスの度合いの高さを誰も気にしていないで}

突出(トッシュツ)した者は少ないがそれぞれがユニークであり、


{みんながそれぞれにガラパゴスで頑張っていて}

全体としては高い頂を築けているものだからか、


{バカバカしい話しなのだが}

近くの国(中国や韓国など)にとっては【下からしか見えない勝手に作られた瓦礫の山】にしか見えず、


{不思議な話しなのだが}

遠い国(欧米など)にとっては【そこにだけ存在する幻想的な場所の不思議な人々】に見えてしまう。







*魔法世界の概要(コロンブスの卵の恐ろしさ・補足)【10月15日・金】


『コロンブスの卵』の恐ろしさをもう少し具体的に説明すると、【薄め経口補水液】を知識として{強引に}広めたとも、{私(ちび猫)が砂糖の代わりに塩を入れて不味い思いをしたのと同じで}誰が試しても不味い思いをするだろうという事なのです。

{そして}【薄め経口補水液】が誰かに使われるとすれば、その人の個人の都合や好みでの要求に、【薄め経口補水液】が偶然にも合致した場合に限られますから、【薄め経口補水液】が一般に広まる事はまず無いでしょう。







*魔法世界の概要(コロンブスの卵の恐ろしさ)【10月15日・金】




『コロンブスの卵』(ただ物事を知っただけでは{特定の(一つの共通する)土台が確定されて}何も始まらなくて、かえってそれが{その物事自体を衰退させて}その物事の積み上げを減退させる事になってしまう訳ですが。{さらに}その物事が効率的で有用性が高いという場合には、{情報が反省転嫁され、歯車で力を加えるようにして}その物事の画一的なゴリ押しがされるようになり、その物事を押し付けられる(歯車に力を受ける)側は、{勝手をしないという事に意義が在るのだと妄信してしまって}自分なりに工夫をする事(勝手)を{どうしても}したくなくなってしまい、さらには{その喪失感や嫌悪感が必然のように、瞬く間に}広く一般化される事になってしまうのです)

の歯車作用(知識を歯車で伝わる力にして、歯車の力が加わる{知識を知る}側の人を画一的に制御する)

によってどんどん枠組(歯車が組み合わさっている事により、人に勝手の自粛をさせてしまうに至る枷)

が{堅固に}作られてしまい、


人々がその画一的な力関係(歯車が組み合わさっている事により作られる枠組の枷)

の内側(確定している特定の(一つの共通する)土台の上:知識が力の様に伝わる歯車の組み合わせ)

に閉じ込められてしまって、


{それによって}魔法世界(自分らしく出来なくて{人や、社会や、人が作る物事が}廃れてしまった{歯車が組み合わされて、知識が伝わり、人が枷に縛られて動けなくなってしまう}世界)

が{廃れが回復困難なまま進行して}形成されてしまって(画一的な歯車世界が形成され、人の在り様が劣化して)、


誰もが{そこで息をする(立っている、生活をする)にも}窮屈(想う事も勝手に出来ない)

になってしまうのです(画一的な歯車としての動きしか出来ないままの退化した魔法世界から{無自覚を疑う事も出来なくて}抜け出せない)。



それが『コロンブスの卵』という

{知識が{力の様に}伝わるように歯車が組み合わさった状態で{物事が積み上がる}土台が固定して、人が{自分らしさを失って}劣化し、社会が{人の多様性を失って}退化し、人が作る物事が{作り手がドロップアウトして}崩壊していく}

魔法の言葉(特定の(一つの共通する)土台(枠組・枷):新しい土台を各自個別に作る事を困難にする)

の恐ろしさなのです。                                                                            


{しかし}簡単に言うと、「『コロンブスの卵』として拡散する{効率的で有用性が高い}知識(歯車で伝えられる強制力の様なもの)は『特定の枠組』を形成して{知識を受け取る側の}人を{口先魔法の大人の会話で担ぎ上げられる犠牲者として、魔法管理で生産性の向上をゴリ押しされる自由な人間として}縛ってしまうものであり、{大多数の一般人(知識を受け取って来た者たち)をドロップアウトさせて}世界を破綻(魔法世界を形成)させてしまうものでありまして、{さらに言えば}勝手(闇魔法)が出来なければその『特定の枠組』(知識による縛り)を人が越えるのは{各自個別に個人の都合や好みを優先させるのを{劣等で醜悪で非生産的でゴブリンな}ダメな事だと妄信していて、{勇者気取りで無自覚に}知識をただ受け取ってしまうだけなので}難しいのであります」という事なのです。







*魔法世界の概要(薄め経口補水液)【10月14日・木】



今までに何度も「納豆食に於いて、テレビなどで昔から言われていた「効率や有用性が追求されているのだから、納豆は朝食時によく掻き回して食べるベキなのだ」という事を妄信してしまうモノだから、結局は納豆食の減退(好んでは食べない人や、食べても週に2~3回という人)が一般化し、{飽きたと言って}納豆嫌いになって行く人も増えているのだが、{数十年間も飽きた事を理由にして納豆嫌いを続けていた経緯のある}私(ちび猫)が{個人の都合や好みを優先させられるようになって}夕食時にまったく掻き回さずに納豆を{毎日3パックほど}食べているのだと言うと、{納豆嫌いな人まで加わって}みんながみんな「それは{身勝手で}間違いだ」と{私(ちび猫)も昔はそうしていたと思うのですが}連呼してくるのです」という事で魔法世界の構造を説明して来たが、

この【身勝手納豆食】とは違う切り口を用いれば、魔法世界をもっとリアルに感じてもらえると思って、色々と{振り返って}考えてみました。



汗っかきの私(ちび猫)は夏になると{ペットボトルの}スポーツドリンク(ただの水やお茶では疲れてしまう)を{仕事の時はほぼ}一日に2Ⅼ~3Lは飲んでいましたが、それをコンビニで買っていたものですから{毎年}結構な出費になってしまっていたので、ネット検索で『経口補水液』の作り方を調べて自分で作って{仕事場に持って行って}飲もうとした時なのですが、{ネットで紹介されていた}その『経口補水液』が{自分にとっては塩も砂糖も多すぎて}とんでもなく濃い上に美味しくなかったものだから、その『経口補水液』を4倍~8倍程に薄めて、それでコーヒーや紅茶を作ってみたのですが、それが{不思議な程に}とんでもなく美味しかったのです。


{そして}その時になって、「{だいぶ昔の事なのですが}コーヒーや紅茶に塩を入れると美味しいと{テレビかラジオで}聞いて、{砂糖の替わりに}塩をブラックコーヒーに入れて飲んでみて、とんでもなく不味かったものだから、それからは塩をコーヒーや紅茶に入れて飲む事など{今まで}まったくしなかった」という事を思い出したのです。


{しかし}今では、その【薄め経口補水液】は私(ちび猫)の必需品(【生きた水】や【自己流納豆食】と同じレベル)で、飲み物は何でもそれで作って{美味しく}飲んでいるのですが、{少し昔の私(ちび猫)もそうだったと思うのですが}誰にも{その美味しさを}信じてもらえませんし、私(ちび猫)の知る限りそんな事をしている人は{ネット内でも}いないようなのです。







*魔法世界の概要(頑張りの悪循環)【10月13日・水】



私(ちび猫)には、

長年に亘(ワタ)って「社会への『敵意』と他者への『悪意』の衝動」に悩まされていた時期がありまして、

色々な{思想や哲学や宗教に関する}本を読んでいた(反省転嫁の問題(口先魔法や魔法管理の根源)に気付かせてくれた『菜根譚』と、大全体の概念(前後が反転した時間認識により物事が閉塞する{魔法世界を囲む}枠組の外側の{闇魔法を掛けられた事による}認識)の大本になった『科学革命の構造』と、人類史を{人間が間違いに至った実験と認識できて}反面教師として考えさせてくれた『攻撃 悪の自然誌』が愛読書)ものの、

若い頃は{頑張って}色々な本を読めば読むほど『敵意』や『悪意』の衝動が高まりまして、

家のドアは{蹴ったり殴ったりして}穴だらけでしたし、

{頑張ろうとした仕事ほど}仕事は長続きしませんでしたし、

{オートバイを深夜に乗り回したり、無茶な旅を強行したりしていて}運転免許証番号の末尾は三十代になったばかりの頃には2(違反点数の累積(免停を繰り返した上での無免期運転)による失効と、{宿を当日に決める行き当たりばったりの海外旅行を数週間していて}更新を忘れた事によるもので、紛失によるものではありません)でした。 



{そして}今の自分に至る{十年以内の}一つ目の転機と言えるのは、

8年ほど以前の事なのですが、

{正社員として就職しながら}一週間ほどで止めてしまった会社で、

資格の有る者が貴族の様に横暴で、

資格の無い者は{小さなミスをしてしまったぐらいで}後ろから突然蹴られてそれから続く叱責にただ耐えているという仕事環境を見た事でありまして。


それから{今の会社ではまじめに勤めながら}奮起して、

{頑張って勉強し、5年間ほどの期間を掛けて}『フォークリフト』と『電気工事士2種』と『工事担任者のAI3種とDD1種』と『消防設備士甲種4類』を取得したのです。



{そして}二つ目の転機と言えるのが、


最後に取得した消防設備士の試験の直後の仕事中に体調を崩したものの、

軽い気持ちで定時より少し早いぐらいの早退をして{事務員さんに勧められた}病院へ行って、

慢性心不全の末期だと{生きているのが不思議な様に}突然の診断をされた事でありまして。


それからは{新たな取得を予定していた資格の試験勉強をストップさせて}仕事に励みつつも養生に{二年間半に亘って}頑張っていて、

主治医からは心臓がだいぶ良くなって来ていると言われていたのですが、

会社の健康診断の時に{主治医とは違う}医者から「慢性心不全が良くなって主治医が油断しているようだが、不整脈が多くて危険なので、動悸が起ったらどんな仕事をしていても早退し、目まいを起こしたら救急車を直ぐに呼ぶように」と言われ、

それを会社の上層部に知られた為に「会社の疫病神」であるかのような扱いを受け、

社長に言われて「心臓病に気を付けていれば、仕事をしても大丈夫」だとする診断書を{主治医に頼み、亀田病院で検査を受けて}書いてもらうのですが、

{心臓の悪い事を会社内で言う事を慎むように言われて}仕事が減る事は無く、

{慢性心不全と不整脈の両方が悪化して}亀田病院での『カテーテル』の手術が難航する事態に至りまして。


人間はどんなに「見た目に悪くないと思える事」や「関わりのある人たちから良いと思われる事」や「誰からでも社会人として立派だと思ってもらえる事」であっても、

{頑張れるからと}不用意に頑張り過ぎれば、

{それからどんなに頑張ろうとも、回復が困難な}取り返しの付かない『頑張りの悪循環』に陥る事になるのだと、

{納豆食に於いて私(ちび猫)が納豆に飽きていた期間がけっこう長かった事に気付いた時と同じように}思い知ったのです。



{しかし}今の私(ちび猫)は、

「勝手で良い」と{自分に}呪文を言い、

「勝手でOK」とする思いを{他者に対して}して、

「勝手なシミュレーショ(想い)」をして幸せを感じられていますから。


大多数の一般人が{回復困難な}『頑張りの悪循環』に陥っている(それが魔法世界)ようだが、

私(ちび猫)のように勝手(各自個別に、個人の都合や好みを優先して、効率や有用性に左右される事がない)を肯定的に受け入れられれば、

誰でも{勝手に想う闇魔法が使えて}幸せになれると思うのです。





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~~~~~参照~~~~~







*魔法世界の概要(魔法世界に至るまで)【10月13日・水】


まず始めに、既存の物事の概念では説明できない{近代科学に於いて『砂上の楼閣』として破綻した【瓦礫の山】であるハズなのに、「使い道」や「作り方」や「作る人の違い」や「その組み合わせ」などによってその可能性が無限に有る}モノである【生きた水】が在りまして。

次に、【生きた水】の存在を自分が受容する為に、【更新する無限に多様な大全体】という大全体の概念(前後が反転した時間認識に基づいた『特定の(一つの共通する)土台の上に物事が{閉塞して}積み上がる世界観』の枠組の外側)を作り。

次に、大全体の概念の正当化の為に、各自個別で在りながら千差万別の全体を柔軟に構築(自然相手の巣作り)する【アリ】に着目し。

次に、人類の{人が【アリ】の様で在る為の}反面教師だと思った『科学革命の構造』や『攻撃 悪の自然誌』が{その著者が}ノーベル賞を受賞して「人類の進歩の理想形」や「実験研究のお手本」になっている{トンチンカンな}事に疑問を抱き。

次に、想いは自由であって良いハズなのに、{「勝手な呪文」や「思いの自由」や「幸せなシミュレーショ」などの}個人の想いまでも{一律に}縛ろうとする『倫理・道徳』や『宗教・哲学』や『理念・思想』に{自分がぜんぜん幸せな気分になれず、社会への敵意や他者への悪意を抱くようになり}疑問を抱き。

次に、「自由と勝手は違う」に基づいた『生産的自由』によって{責任や仕事を犠牲者に押し付ける{偽善でしかない口先魔法の}為や、責任や仕事を人に満遍なくゴリ押しして全体を発展・繁栄させる{独善でしかない魔法管理の}為に}人を一律に縛ってしまっている『国家や軍隊や会社や学校や家族や人間』の理想像(「納豆を夕食時にまったく掻き回さずに食べている」と言うと、たいていの人が{私(ちび猫)より納豆の食べる量が{圧倒的に}少ない人ばかりなのに、{「朝が良い」とする}効率や{「よく掻き回すのが良い」とする}有用性の事を強調し、我儘は悪だと言わんばかりに}「それは間違っている」と言って来る)に疑問を抱いたのですが。

それからしばらく、「若い頃は納豆が好きだった私が、朝によく掻き回して食べていて、いつの間にか納豆に飽きてしまい、ほとんど食べなくなっていた時期がけっこう長く(数十年間)あった」という事を思いだしつつ、納豆について私(ちび猫)に「それは間違っている」と言って来る{納豆をあまり食べない}人たち(大多数の一般人)を見てよく考えてみて。

そして、魔法世界(理想を武器に他者を{皆に合わせて、外見だけ}攻撃していて好戦的に見えてしまうのだが、本当は{理想に挫折して}破綻した人たちが{個人の都合や好みの優先を悪だと妄信したまま}枠組の中に{一生の間}籠っているだけ)の考えに至ったのです。







*魔法世界の概要(魔法の導入)【10月12日・火】


この世界というのが、

{みんなで一緒に生徒が{「自由と勝手は違う」に基づいた『生産的自由』を実践させて}閉じ籠っている{生徒にとっては一律な}学校(パラダイムの枠組:物事を積み上げる土台)に酷似した}閉塞をみんなで共有する事が大事だとされている{みんなの想いで作られた}空間であり、

その枠組み(特定の(一つの共通する)土台)から抜け出す事が{生きたければ生きる事を放棄する(学びたければ生徒である事を止める)しかないような}とても難しい{魔法が存在する状況でなくては矛盾が立ちはだかる}ものであったのですが、

{みんなの{一律いな}想いに同調せずに}生きる事を放棄しなくては自分らしく生きられない(生徒で在る事を止めなければ自分の学びたい事を学校で学ぶコトが出来ない)というような矛盾を解消する必要に迫られてでも、

{大全体(更新する多様性)の概念を構築しての}各自個別な予備軍の形成(「時間の進行」や「物事の積み上げ」が【アリ】の様に行える大切な事)に取り組みたかったので、

{自己矛盾を受容する事(勝手で良い:莫迦でOK:ゴブリンでの幸せの達成)の出来る想いとして}この世界に魔法を導入する事にしたのです。







*魔法世界の概要(世界が人に求める事)【10月11日・月】



世界が人に求める事として、


魔法管理で行われている、

生産性向上の為に個人(ゴブリンな自分)を犠牲にする事の出来る{勇者としての}自由(大人の会話で誰かが犠牲者に仕立てられる時の大義名分の拡大解釈)などではない事は確かであり。


口先魔法で行われている、

大人の会話によって{ゴブリンになりたくない}誰かに{勇者として}犠牲を担わせて、

責任や仕事からみんなが逃れられている事ではない事は確かでありまして。


魔法世界で行われている、

{各自個別な事をするのを我儘とされて}みんな(人の営み)の為に責任や仕事を{「自由と勝手は違う」という{正論とされる}言葉に踊らされて}背負い込む人間である事や、

{個人の都合や好みが否定されて}効率や有用性を追求した事が{正義とされる生産的自由に抗えずに}実施される社会である事でもない事は確かでありますが。


闇魔法で行われる、

{一人一人が}個人(千差万別の事を一つずつする一人一人)の都合や好み合わせて【生きた水:善玉菌(麹菌や納豆菌など)をメインにしつつも出来るだけ多くの{自分の身近に常在している、バイ菌と呼ばれてしまう事もある}雑菌を{人体に悪影響がない範囲で}取り入れて作る】を{別々の事の為に、別々の方法で、別々のモノとして}作る事や、

{みんなが}各自個別に想うコト(勝手で良い・一律な事が共有される必要のない科学観・タブーの無い想い)によって【土台の芽:可能性の種:幸福の蕾】を{既存の{前後が反転した}時間認識や{特定の(一つの共有する)土台の}世界観や{争いを止められないでいる人類史と同じで反面教師にするべき}倫理道徳に捉(トラ)われずに}増やして行く事などの事は、

{勇者の対極に位置する{仲間として居ても価値の無い}ゴブリンで、バラバラでまとまりに欠けた{集合していても価値の無い}烏合の衆なので}確かだと言えるでしょう。



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