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【ぐるぐる】のお店「愚流愚里庵」

日常の、ちっちゃいことを楽しんで、楽しく生きられれば良いにゃあ、という事をモサクしてゆきまする。

君はもう観たか!?俺は観た。

2007-04-09 21:02:04 | 映画
「パッチギ!LOVE&PEACE」の予告編!

「お父さん、あなたの強さを私たちに下さい」ってトコでもぉ何かグっと来る。

つか、試写会ももう始まったのねん(なぜ俺を招待しない!)。

ちょこちょこ試写会を観た人の感想を覗いたりしたけど、なんか凄そうよ?期待できそうよ!?

ということで、世の人がすなるバナーといふものを自分も張ってみる。



宮崎吾朗の「ゲド戦記」を語る。語るったら、語る。

2006-08-31 19:38:20 | 映画
と、ゆーことで、えー、「ゲド戦記」について、語らして、頂きやす。とゆーか、何か引っ張りすぎて、どう話を進めれば良いのか分かんなくなっちゃった。多分話があっちゃこっちゃ飛ぶと思うけど、ついてきてね。あ、ちなみに映画版・原作のネタばれあります。


・・・この映画に関しては、言いたい事がいぃぃぃっぱいありすぎて、どっから手をつけて言ったらいいのか分からないんだけど、、


僕がこの作品で心に残った、というか「うーむ、、」と思ったのは、テナーの家でゲドが食事をする前に言う「いただきます」という言葉。


ちなみにこの言葉、原作にはない(敬虔なキリスト教徒は食事の前に神に感謝の言葉を捧げるけど、原作の「ゲド戦記」の中にはそういう文化は描かれてない)。


んで、巷では原作と映画版の違いに関して色々(例えばアレンは父親を殺していない、とか)語られてるんだけど、僕はこの言葉に、映画版の、原作から離れたオリジナリティー・独自性を感じたんだよね。


これはよく言われてることなんだけど、映画版のゲドはかなりのんびり屋というかのんきというか、「お前ホントに世界を救う気があるのか!」とツッコみたくなるところがある。なまじ「戦記」なんてタイトルに付いてるものだから<※注1>、「ゲド、戦ってないじゃん」とか言われてしまうんだろうな。


しかし、実はこの「のんき」っていうところが、実はこの作品の中核のひとつではないか、と僕は思うのだ。





・・・いきなりだが、続く!待て、次号!






<※注1>でも、それで吾朗監督を責めるのは酷というものだ。だって原作だってゲドは派手な戦いほとんどしていない(一巻の途中で、悪さをする竜たちを、竜に変身して退治する話があるけど、それくらい)し、原題になかった「戦記」という言葉をタイトルにつけたのは吾朗監督じゃないもん。


気になるアイツ

2006-06-11 18:44:15 | 映画
隣のクラスに、気になるやつがいる。


噂によると、結構変人らしい。

「かなり頭、良いらしいよ」とある人は言う。

「何言ってんのか分かんねえよ、アイツ」と言う人もいる。

「でもアイツの友達って、いばってるやつ多いよ、何か」なんて話も聞いた。


実は、友達になりたいと思って、何度か話しかけたことがある。

そしたらやっぱり、わけの分かんないことをむにゃむにゃ言われてしまった。


ひょっとして、馬鹿にされてんのかなあ。

人付き合いが、好きじゃないのかなあ。

でもやっぱり、仲良くなってみたいなあ。

また今度、話しかけてみようかなあ。



・・・・・・というのが、僕の、ゴダールという人に抱いている印象。



彼の作品は、代表作と言われる「気狂いピエロ」や「勝手にしやがれ」をはじめ五、六本観ているのだけれど、正直ぜーんぜん分からんかった。67年の作品「メイド・イン・USA」の中で「右とか左とかの区別は完全に時代遅れ。やめた方がいい」という台詞があって「おお~すげえ」と思ったけど、そんだけ。少し前、井筒監督が「ゴダールは難解だって言う人がいるけど、全然難解じゃない。非常に具体的なんですよ」と言ってるのを聞いて、では、と思い「中国女」を観てみてのだけれど「♪な~んとかかんとか、マッオマッオ~」という歌くらいしか覚えていない。


別にゴダールが分かんなくたって死ぬわけじゃないし、困ることもないのだけれど、やっぱ気になる。「ゴダール分かんない」とかいうとちょっと恥ずかしいような気もするけど、でもだからって無理して分かるふりをするのもイヤだし、「ゴダール?あんなの衒学趣味のスノッブ野郎の映画だよ」なんていうのはもっとイヤだ。インターネットというのは便利なもので、多分「ゴダール」というキーワードで小一時間も調べれば、一通りゴダールのことは、分かる。それを元に、もっともらしい「ゴダール論」だって出来るだろう。でもそれも、何か違う。もっと、こう、何ていうか、仲良くしたいんだよな、隣のクラスのゴダール君と。


・・・んで、前置きが長くなったけど、先日久々にゴダール君の、いやゴダールの新作「アワー・ミュージック」を観てみた。相変わらずゴダールは、何かむっつかしそうなことゆってるし、わっけわかんないことしてるのだけれど、でも今までの中では、一番とっつきやすかった気がする。最後の天国のシーンで、少年が「弟が生まれたよ!」と叫ぶところと、女の人が、草みたいのをひゅんひゅん回してるのが印象に残った。


ということで(どういうことだ)、多分これからも時々は、ゴダールの作品を観るんだろうな、と思う。もしかしたら分かるのかもしれないし(ていうか、「分かる」ってそもそもどーゆー事よ?とか言い出すとまた話が長くなるけれど)分からないかもしれないけれど。これが僕の、ゴダールとのつきあい方。




気になった予告編。

2006-06-02 18:48:29 | 映画
「ゲド戦記」


いわずと知れたジブリ最新作。昔からの原作ファンなのでかなーり楽しみ。元々の原作は全五巻(と「外伝」。とりあえず、今のところは)なのだけれど、どうやら三巻が中心らしいっすね。


「日本沈没」


オリジナルは観てないんだけど、CGを駆使した「沈没」シーンは、かなり見応えありそう、だけど・・・勝手な予想としては「デイ・アフター・トゥモロウ」+「黄泉がえり」、隠し味に「デビルマン」少々って感じ(隠し味の効き具合が作品のクォリティーを左右するか?)。てか、何でもかんでも「ラブ」を入れとかなきゃ、という製作者の魂胆が見えたような気がするのが、気のせいであれば良いんだけどね。


「花よりもなほ」


是枝監督が、それまでの手法を一回捨てて挑んだ時代劇。インタビューによると山中貞雄の「丹下左膳余話・百万両の壺」や「人情紙風船」を意識したとかしなかったとか。うむ、その心意気や、よし。お手並み拝見でござるな。

ホイットニー・ヒューストンかて一千万やゆう話は聞いとんのや、

2006-05-06 14:45:02 | 映画
さてさて。いささか遅きに失した感もあるのだけれども、2005年という年は井筒ファンにとってはとてもとても嬉すぃ一年でありました。一月に「パッチギ!」公開、そしてスマッシュヒット(まぁ、踊るほにゃららの何十分の一だけどさ)!さらには日本映画賞総ナメ(まぁ、日本ほにゃらら~賞にはシカトされたけどさ)!
嗚呼、めでたや、めでたや。





でもね。





そうやって嬉しい反面、時々ワタクシは、夕日(三丁目?いやウチは二丁目)に向かってこう叫ばずにはいられなくなるのですよ。





「ゲロッパ!」だって、「ゲロッパ!」だって、良い映画じゃんかああああ・・・!





・・・ええ~ええ、分かってますよ。人にはそれぞれ好みというものがあるし、「面白くなかった」という、シンプル且つ最強の言葉を言われてしまったら、もうそれに対して反論などしても詮無き事(たとえその人が「エンタの神様」とかで大爆笑出来る様な感性の持ち主だったとしても)。それにさ、あんだけ井筒監督がメディアで毒舌(しかも多くは映画に対して)吐いてりゃ、自ずと観る側の眼も厳しくはなりますよ、しょーがないっすよ。だから、これは「反論」とかではなく、なんつうのかな、重度のゲロッパ中毒患者のリハビリを兼ねた手記と思って読んで頂ければ幸いでごんす。


<注:ここから「ゲロッパ!」のクライマックスシーンのネタバレあります>



僕がこの映画で一番好きなのは何と言っても羽原親分(西田敏行)がJBの代役としてステージに上がり、“SEX MACHINE”を熱唱するシーン。

ジェームス・ブラウン(JB)大好きで、次の日には刑務所に収監されてしまう運命の羽原親分は、長い間離れ離れになっていた娘のかおり(常盤貴子)に二十五年ぶりに再会。しかし自分と母を捨てた事を許すことが出来ないかおりに拒絶され、激しく落胆する。

一方、物真似プロの社長であるかおりは、その日のライヴに出演するはずのJBのそっくりさん(ウィリー・レイナー)が逃げ出してしまったせいで窮地に追い込まれる。出演者が欠けてしまえば契約不履行でギャラが受け取れない。事情を知った羽原は「娘に銭払たれや・・・四百(万)やな・・・よし、行こ」と呟き、ステージへ上る・・・



僕はこのシーンを観る度に背筋が「ぞわっ」として、同時に涙が滝の如く流れてきてしまう(「まるでパブロフの犬だよなー」と、自分でも可笑しい位)。

想像してみて欲しい。たとえば貴方が栗田貫一(でもコロッケでもホリでも構わないが)の物真似ショーを観に行ったとする。

そのステージ上でいきなり見ず知らずのオッサンが(頑張ってはいるけど)全く似ていない細川たかし(でも美川憲一でもえなりかずきでも可)の物真似を披露したとしたらどうなるか?まずブーイング、もしくは失笑、冷笑の嵐になってしまうのではないだろうか?もしくは、急に出演者が出られなくなった、困った、とスタッフが慌てふためいている中、貴方はその代役としてステージに立てるだろうか?



つまり何が言いたいかというと「大勢の観客を前にしたステージにド素人が立って歌う」という行為は、とても勇気が要る、という事。「勇気が要る」という表現はちょっと青臭いけれど、これは言い換えれば「よほどの大きな感情・衝動に突き動かされなければ成し得ない」という事でもある。しかし羽原はそれを成し遂げる。

大勢の前でJBを歌いたかったからではない(余談ではあるが、もし仮に居なくなったのが、森進一のそっくりさんだったとすれば「冬のリヴィエラ」を歌っていた筈だし、美空ひばりのそっくりさんだったとすれば「川の流れのように」を熱唱したであろう)。自分がヤクザであるせいで長い間一人ぼっちにしてしまった娘の為、である。



羽原親分の、いささか緊張した、しかし覚悟を決めた面持ちで、ゆっくりとステージへと歩む時の、あの背中!僕はあの背中から、たとえば中村錦之助の「関の彌太ッぺ」での決闘場へ向かうラストシーン、あるいは往年の仁侠映画の主人公が敵地に殴り込む直前のシーンを連想する。

彼らが向かうのは勝ち目の無い、無謀な戦いだ。彼らはおのおのの想い(絶望だったり復讐だったり、あるいは大切な者を守ろうとする決意だったり)を胸に秘め、“戦いの場”へ赴く。



そして観客がそうした場面に胸打たれ、共感するのは、それが「勝ち目の無い戦い」であるが故である。それは例えば「敵の数を大きく上回る数の味方を引きつれて決闘に赴く彌太ッぺ」があり得ない、という事を考えてみれば明らかだ。

そしてそれは「ゲロッパ!」の羽原親分も同じである。繰り返しになるが、いくら歌い慣れたJBとはいえ、物真似ショーにズブの素人がステージに上がるというのは無謀以外の何物でもないのだ。リアルに考えれば、彼がブーイングに遭い、無残にもステージから引きずり下ろされ、そのまま娘と邂逅することも無く収監、というオチの筈だ。



<余談だが、時折聞く「西田敏行が全然JBに似ていない」という批判に対しては、「だからこそ素晴らしいのだ」と反論したい(←さっき反論してもしょうがないつったばっかりじゃん)。「JBの物真似が完璧な主人公」というのはつまり「圧倒的多数で敵地へ乗り込む」というのと同じなのだから。>





しかし井筒監督は、そのような「リアル」な結末を選ばなかった。ステージに上り、JBを熱唱する羽原に対し、観客はブーイングと冷笑ではなく、拍手と歓声をもって迎える。これは先程の仁侠映画のたとえで言えば、少数人数で圧倒的多数の敵を倒す、という「リアルに反する」結末に通じる。決して現実的ではない。

更に言えば、収監される筈の羽原組長が“超法規的措置”で釈放される、という強引過ぎるハッピーエンドは、昨今の“ツッコミ”大好きな観客からは「ご都合主義」と非難されるかもしれない。

がしかし、強引に論を持っていけば、それが「映画」という事なのだと思う。“ありえない”が、多くの人間が“そうあって欲しい”という願い、祈りが込められたもの、それが「映画(全ての映画がそうであるとは言わないけれど)」だ、と思う。



だからこそ僕はこの映画を支持する。あの、「鴛鴦歌合戦」や「ブルース・ブラザーズ」を彷彿(ほうふつ)とさせるような、「ニヒリズム」という言葉をフルパワーでぶっ飛ばすようなポジティヴで朗らかなエンディングを支持する。「素晴らしき哉、人生!」や「チャップリンの独裁者」や数々の名作と同じく、断固支持する。(そんな名作と同列に語るなよ、という声が聞こえてきそうだけど、遺憾ながら無視致します)。

たとえば「独裁者」をもってして、チャップリンは結局ナチスを止められなかった、と言ってしまえばそれまでだ。しかし本来「現実」を変えるのは「映画」の役目ではない。それは人間の役目だ。「祈り」であり「願い」でもある映画は、人の心に訴えかけ、変えるもので、だからこそ、素晴らしいのだ。






<もうひとりのぐるぐるさんによる追記>・・・あ~あ、三十過ぎて青い事↑熱く語っちゃってからに・・・てか、話のスケール、大きくし過ぎ。要はさあ、一回観て「つまんねー」と思っちゃった人も、「評判良くないから観る気しねー」って人も、もし気が向いたら、で良いから観てみてって事なんだけどね。別に無理にとは言わないからさ。







「パッチギ!」DVD発売だチギよ!

2005-07-29 20:45:26 | 映画
出たチギよ出たチギよ!今年最高の日本映画の傑作(多分、いや主観的には絶対)「パッチギ!」DVDが、ついに出たチギよ~~~~!

はぁ~~~、この日をどんなに待ち望んだことか(涙)。某大型チェーン店で発売日より一日早く「パッチギ!プレミアムエディション」を手にした時はもぉそのまま座り小便しそうになったチギよ~。・・・ツ○ヤ神○店様、ありがとう。もう「金儲け主義だけでは金は儲からない」なんていぢわる言ったりしないチギ(ペコリ)。


さて、「パッチギ!」の作品そのものに関しては「みんなのシネマレビュー」でも書いたので、今回はとりあえず「プレミアムエディション」についての感想など。

やはりなんと言っても嬉しいのが100分以上の特典映像の豪華さ。プロデューサー李鳳宇氏のコメントや製作上の意外な裏話など、ファンには垂涎モノ!特にメイキングでは若手をバシバシ(しかしあくまで愛情を持って)シゴキまくる井筒監督、そしてそれに悩み、傷つき、そして瑞々しい演技で応える主役・塩谷瞬をはじめとする若手俳優たちの姿は、本編に負けないくらいの感動作です。


ただ、1コだけ物足りないことが・・・本編ディスクには「TVスポットCM」も入っているのだけれど、おすぎさんが「パッチギ!パッチギ!パッチギ!」って連呼してるバージョンも入れて欲しかったなあ。あれ、一回しか見てないので・・・。

偉大なり、アホウドリ。

2005-07-16 17:32:16 | 映画
先日、ちょっとした出来心で「女子高生ロボット戦争」というDVDを観てしまった。発売は、知る人ぞ知るアルバトロス。「女子高生チェーンソー」とか「チアリーダー忍者」とか、ツッコみ待ちな作品を沢山リリースしている会社。



んで「女子高生ロボット戦争」はどーでもいいのだが、リリース予告編に、映画館では見逃してしまった「大統領の理髪師」が入っていた。「殺人の追憶」にも出てたソン・ガンホ(ちょいとサモ・ハン・キンポー似)と「オアシス」のムン・ソリ主演の韓国映画。予告編を観る限り、かなり期待できそう。



それにしても、こういう作品と「ハリウッド人肉通り」を同時リリースしちゃう会社っていうのも、何だか素敵だ。ちなみに、やはり同社からリリースされる「郵便処刑執行人」のキャッチフレーズは、



泣く子も黙る郵政事業ホラー



んー、やっぱり素敵だ。

ツ○ヤ・○立店との戦い

2005-07-12 19:11:39 | 映画
「マルメロの陽光」「特別な一日」「丹下左膳・百萬両の壷(オリジナル)」「昭和残侠伝・死んで貰います」「はなればなれに」「ニッケルオデオン」「カレル・ゼマン作品集」「緋牡丹博徒シリーズ」「アルジェの戦い」「兵隊やくざシリーズ」「兎の眼」「太陽の子・てだのふあ」「愚か者の船」etc,etc・・・

↑これらの作品群は何かというと、去年チョー近所(チャリで五分)に出来た、某大手ビデオレンタルチェーン店に僕が出したリクエスト作品。んで今の所入荷してもらったのは「特別な一日」と「昭和残侠伝・死んで貰います」の二作品。

・・・いや、良いんですよ、別に。中にはレンタル禁止や廃盤作品もあるだろうし、ボランティアじゃないんだから、商売なんだから、全部の要望を聞くっちゅー訳にはいかん、とゆーのは、分かる。ひょっとするとお店側から「うっせー客だなー、サービスデーにしか借りに来ないくせに」とか、思われてるかも、しんない。



んでもさ。



「アナ○ンダ2」のDVDを12本入荷って、商売的にどうよ?


・・・・・・戦いは、続く。

映画「村の写真集(監督・三原光尋、出演・海東健、藤竜也ほか)」

2005-06-29 16:44:52 | 映画
さて、今回は先日参加したオフ会(お蔭様で大成功)の事を書こうかなーと思っていたのだけれど、「みんシネ」のレビュアーの方々のブログや掲示板でもう話題になっているので、今回はオフ会当日に観に行った映画「村の写真集」のお話。


ストーリーは、故郷を離れ東京で見習いカメラマンをやっている主人公(海東健)の元に故郷の村役場から一本の電話がかかってくるところから始まる。その故郷は近々建設されるダムに沈む事になっているのだが、その前に村人たちを撮った写真集を作りたい、ついては村で写真屋を営む主人公の父親(藤竜也)に撮影を依頼したので、そのアシスタントを務めてほしい・・・という内容。


主人公は頑固な父親、そしてさびれつつある故郷に見切りをつけて上京したので、当然乗り気ではなかったのだが、渋々承諾。帰郷するとやはり父親は相変わらず頑固者で、役場の人間が車を用意しているのに徒歩で村を回るといって聞かないし、村のお婆さんの話を聞いている時に無遠慮に携帯に出る息子をいきなり殴り倒したりする。そんな父親に反発を覚えながらも、黙々と村を回る父の背中をついていく内に、次第に心境の変化が起こっていく・・・というお話。


・・・と、ここまで読んで、あなたはどう思います?「へぇ、面白そう。観てみようかなー」と思って頂ければ嬉しいけど「なんか地味だし、いかにもありがちなマジメ映画って感じぃ」とか、思ってないですか?いや、実は僕も途中までチラッとそういう事を思わないではなかったのですよ。つくりはどちらかというと実直な感じ(別にタランティーノの影響とかは、受けてないと思う)だし、あまり日本映画に興味のない人の食指が動くような要素はあまりないかもしれない。


でもね、これが良い映画なんだよ!僕は良い映画の条件の一つに「ストーリーとか作品のテーマとかとは直接関係ない所で、何だか分からないけど感動してしまう」というのがあると思ってる。何だか分からないけど何気ない風景や、人の表情や佇まいを観てるだけで涙が溢れてしまう、そんな映画。ちょっと話はずれるけど、もうすぐDVDが発売される「パッチギ!」も、僕にとってはそういう映画で、(これはひょっとして井筒監督の意にそぐわないかもしれないのだけれど)在日の問題がどうとかというより、もう登場人物の一挙一動で泣けてしまうんだな(この辺は、7/29前後にまた語ります)。


で、この作品も地方の過疎の問題とか、父と子の断絶(と和解)とか、そういうテーマがあって、もちろんそれも注目すべきところではあるんだけど、それ以上に、「人間に対するまなざし」の温かさが沁みるんだな。写真を撮ってもらう時の村人たちの嬉しそうな表情―お爺ちゃんが子や孫たちに囲まれながら見せる至福の表情とか、或いは新婚夫婦が心底幸せそうにキスしてる所とか、或いは(これは息子の方が撮るんだけど)魚捕りに興じる子供たちの生き生きとした表情とか―を見てると、クサい言い方だけど「ああ、やっぱ人間て良いよなあ、生きてるっていいよなあ」って思えるんだよね。


僕は映画作りの事は良く分からないけれど、きっとこういう「人間の描き方」って、やろうと思ったり頭で考えたりして出来るものではないのだと思う。むしろ意図した所を超えて、(たとえ隠そうとしても)どうしようもなく「出てしまう」ものなんじゃないかな。僕はこれを、頭で考える狭い意味での主義・思想を超えた所にある「肉体の思想」と勝手に呼んでいるのだけれど、きっとこの作品にはそういう監督の技術的な部分を越えた資質が現れているのだと思う。こういう人が日本映画界にいるって事は、まだまだ邦画も捨てたモンじゃないよね。